日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

山と河にて (25)

2023年10月17日 03時40分08秒 | Weblog

 登るときには天候もよく、それほど苦にならなかった頂上への最後の急勾配の断崖も、下山するときには霧を含んだ風も吹いて岩石がぬれて滑りやすく、皆が、崖に吸い付くように足元に神経を集中して、緊張のあまり背筋に冷や汗を流しながら、一歩一歩足元を確認しながら降りた。
 大助は崖を降りる途中、眼前の奈緒の豊かに丸味を帯びた尻を見て、彼女も立派な大人なんだわと妙に触りたい衝動にかられながら、やっとの思いで登り口の勾配がやや緩やかになった尾根の登山道に降り立った。

 尾根の両側の下方を見ると、すでに霧が渦を巻いて奔流の様に湧き出てきて、左右の下方から吹き上げてくる風を遮るものが無いので、身体に当たる風も強く感じるようになった。
 一息入れて入る間にも天候が瞬く間に急変し、視界は全く塞がれて3メートル位離れた、前を行く六助達の組が見えなくなってしまった。
 雨水に打たれた赤土の小石混じりの道は滑りやすく、脇の熊笹は濡れて掴まりにくく、歩くにしたがい霧と風は益々濃く強くなってきたので、熊笹の葉が風と雨に打たれて奏でる音のみの静寂な霧の中で、最後部の健ちゃんは大声で
 「おぉ~い、危険なので、風と霧が少し途切れるまで、歩行を中止して、周囲の大きめな岩に身を寄せろっ!」
と叫んだので、大助も奈緒の手を引いて背丈ほどの大きさの岩陰に身を寄せた。
 各ペアも同様に、夫々が適当な場所を探して避難したため、話し声が途絶えて、風の音だけの静寂な世界となってしまった。

 大助は、霧の世界を眺め廻していたが、谷底の深さを試そうとでもするかの様に、石ころを拾って二・三回力任せに放り投げたが、なんの反響もなく、白い霧が濛々と渦巻くばかりで、様子を見ていた奈緒が気味悪がって「大ちゃん、止めなさい!」と声をかけたので止めたが、その声が畏怖心をおびてか震えていて、彼の胸をキュンと締め付けるように不気味に聞こえた。
 霧の水滴が大粒になり、皮膚に感じられると思ったら、いつか雨に変わっていた。 
 雨の色とも雲の色ともわからない、薄い灰色の深いひろがりが、海の様に脚下の谷底に口をあけている。と、不気味に思っていた瞬間、霧の中で雷が鳴り、こだまとなって長く響いた。 
 奈緒の呼びかけに強がっていた大助も、次第に大気を真二つに引き裂くような烈しい振動があり、稲妻がジグザグと眼下に鋭く走っているんでないかと想像すると、少し怖くなり身をすくめた。
 
 大助と奈緒は、初めて経験する眼下での雷鳴に不思議な感覚と畏怖を覚え、二人は咄嗟に岩陰に身を潜め、彼は腰を降ろし片足を小さい岩石にかけて踏ん張り、伸ばした足の間に奈緒を抱き寄せようとすると、彼女は少し躊躇したが、無言で強引に引き寄せてだき抱えたが、咄嗟のことで彼女を仰向けにし両腕を肩に廻してしっかりと抱きしめてしまった。
 彼女も、大助の両腿の上に身体を預けて、彼の濡れたシャツの背中を両手で掴み顔を胸に埋め足を海老の様に曲げていた。
 やがて霧は大粒の雨に変わり容赦なく二人に降りかかり、見る見るうちに被服を通り越して全身をぐしょ濡れにし、彼が「大丈夫か」と声をかけると、彼女は「大丈夫だゎ。少し怖いけれど・・」と力なく答えたが、だき抱えられている彼女は時々上半身を小刻みに震わせて、様変わりした環境に怯えているのか顔色も青ざめていた。

 大助は、抱きしめた奈緒の顔が雨に叩かれて濡れているのを見て、首に巻いていたタオルで拭いてやり、彼女も彼の額に粘りついた髪の毛を掻き上げるようにしていたが、その瞬間、彼は奈緒の真一文字に閉じている唇に無意識に唇を当てたところ、雨のにおいがして、それは冷たく燃えるもののないものであった。 
 彼女は顔をそむける様にして「ダメョ ミヨコサンニ ワルイヮ」と呟いたが、彼は構わずに彼女の後頭部に手を当てて顔を引き寄せ、再度、唇を求めたところ、彼女は拒むこともなく素直に唇をあわせ、霧が雨となって流れる水となり一つに溶け込んでいく様に、二人の心は感情をも流して思考が停止し言葉を交すこともなかった。
 彼女は、彼のなすがままに任せて、両手で彼のシャツを握りしめて抱きつき、初めて経験するフアーストキスに慄いたのか目を閉じて身体を硬直させていた。
 奈緒は、時が流れるにつれ、胸の奥深くに秘めて閉ざしていた彼への思慕の想いを、一挙に吐き出したかのように、感情がこみ上げてきて、雨と涙で顔を濡らし小さく嗚咽していた。

 大助は、奈緒の雨で濡れたサマーセイターが肌にピッタリと吸い付いて、胸の隆起がはっきりと見てとれや衝動的にチョコット手を触れても彼女は嫌がることもなく、彼の顔を下から無言で見つめていた。
 大助は奈緒のその表情が、赤ちゃんが、ひたすら生きる本能にかられて乳を飲みながら、無表情な顔で乳房に紅葉のような両手の掌を当てて、二つのつぶらな澄んだ瞳で、この世で唯一絶対的に信頼げきる母親の顔を、無心にジイ~ッと見つめている姿にそっくりであると思いおこし、奈緒の表情がよく似ていると思いながら、彼女が一層可愛いく思えた。
 彼女は、無言で見つめている彼に対して顔をそむけて隠すようにして、蚊の鳴くような小さい声で
 「コレッキリニシテネ」「ダレニモ イワナデョ」
と、小さく呟いたあと、俯いてやっと聞き取れるような細い声で
 「デモ ウレシカッタヮ」
と囁くように呟いて、彼の胸に顔を埋めてシクシクと泣き出してしまった。
 大助は、咄嗟に思いついた特有のユーモアで、彼女の耳下で彼女を安心させるために
 「雨の中での ”魚の接吻” ダヨ」 「勿論、人に言うわけないさ」
 「余り窮屈に考えないで、今まで以上にもっと自由に、あるがままに付き合うことにしようよ」
 「僕は、奈緒ちゃんが、これまで通り好きだよ」
と答えて、再び、顔を拭いてやったところ、彼女も泣くのを止めて顔を少し離した。

 風雨も弱まり霧も薄くなって視界が広がり、皆の姿がボンヤリと見えてきたころ、健ちゃんが
 「ヨ~シッ!、前進だ。 雨に濡れて道が滑り易いので、急がずに足元に注意して歩くこと」
と、霧の中から大声で指図したので、奈緒は大助の後について、雨に叩かれ濡れた熊笹の葉を掻き分けながら、水を含んだ靴を踏んで、ゆっくりと尾根を下っていった。
 奈緒は、歩きながら、美代子さんに悪いことをしたと思いながらも、その反面
  ”ホロ甘い雨の味がするキス”    ”必然性だけに裏ずけられた肉体の接触”
と、次々に思い浮かべ、それは造物主である神仏が、有史以前に生みだした、およそ罪とゆう意識のないもので、 男であり女であることの哀しくも必然的な出来事であり、美代子さんも許してくれるであろうと、自分に言い聞かせる様に考えながら、時々大助の背中を見ながらそのあとに従い歩いた。
 然し、一度は大助に抱擁してもらいたいと、高校卒業後、彼を男性と意識し始めてから思っていたことが、偶然にも叶い、いつのころか、彼を恋人として意識することを消し去ろうと懸命に努めていた心に、再び、火が灯ったように思えた。と、同時に、心の中では胸がときめくような恋に憧れながらも、積極的に彼との交際や心情を素直に表現することが苦手で、つい、控えめな行動になってしまう自分には、この先、心を明るく照らしてくれる、恋が訪れることもなく、青春が過ぎ去ってしまうのかと思うと、悲しく寂しい気持ちにもなった。

 登るときはチョロチョロと水が流れていた谷間の小川も、いまは幾筋もの細く浅い川になっており、白い泡を立てながら勢いよく流れていた。
 流れる水に粘り気を洗われた小砂利は踏むたびにズルズルと崩れて、奈緒の悲鳴を聞いて大助が振り返って見ると、彼女は足元をすくわれて2・3度尻餅をついて、尻が小砂利に擦れて痛いのか尻に手を当てて泣き出しそうな表情をしていた。
 大助は奈緒の傍に行き彼女を抱き上げて「こんなことくらいで情けない顔をするなよ」と励まして寄り添って手をとり小川を渡った。
 彼等の後方でも直子が滑って転倒したのか「健ちゃん~ 助けてぇ~」と叫んでいるのが聞こえた。
 
 谷間に入ると風圧は薄らいだが、雨の激しさが急に身に沁みた。
 服は着ているのだが、身体中水浸しで、肩は勿論、胸や背中、股ぐらなどにも、身体中のくぼみに雨水が容赦なく入り、まるで、裸で歩いているようであった。
 谷間を抜け杉や楢等の林を何度か通り過ぎたところで、風も雨も嘘の様に止んで、足の早い流れ雲の間から薄日さえ漏れてきて、下からソヨソヨと吹き上げる生温かい微風は、身体や服を乾きやすくしてくれ、中腹の草原に近くなるにつれ、下界の緑の展望が眺められる様になり、久し振りに草原の弾力のある緑の土を踏んだ。
 皆は、そこで小休憩中に靴に溜まった水を出して再び下山の道を歩き出したが、直子は途中で滑って足を軽く捻挫したとのことで、健ちゃんが、空のリュックにロープを巻きつけて、縄が尻に食い込まないように配慮して彼女を背負って来たが、皆に合流すると直子は照れ隠しに背負われたまま
 「健ちゃんは頼りになるゎ」「わたし、この様な男気のある優しい人が現れたら直ぐにでも結婚するゎ」
と、彼の胸の前で両手を握って嬉しそうに笑いながら話していた。
 マリーは、その姿を見て羨ましくなり六助に
 「この先、わたしも足が痛いほど疲れたので、背負ってネ」
と甘えた声で話すと、六助は「チエッ!アマッタレテ」と舌打ちしていたが、顔は満更でもないようだった。

 

 

 

 
 
 

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