はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

たとえ親バカ・過保護と言われても…

2011年03月22日 | 家族のことつれづれ
地震で帰宅困難を経験して以来、電車での外出をできるだけ避けていた。外出自体、せいぜい日々の食材の調達に、自転車で近所のスーパーマーケットに行くぐらい。

先週から始まっている計画停電も、私の住む地域では何度か実施されているので、駅前に出ても、停電時間はどこも休業中。計画停電が実施されなかった連休も、駅周辺の店は午後6時で閉店だった。私の大好きな美術館も近隣の映画館も地震以来、開いていない。経済を停滞させない為にも、できるだけ平時の生活を送りたいと思っているが、結局停電の影響で、家に引き籠もらざるを得ない生活になっている。仕方ないのかな。

連休の時は久しぶりに計画停電が実施されず、息子が滞在する街の最寄り駅まで行く電車も再開した。そこで、かねてから気になっていた息子の様子を見に、夫婦2人、1泊2日の日程で群馬県まで行くことにした。考えてみると電車で群馬県に行くのは初めてである。ネットで安いビジネスホテルを予約し、我が家からバス、電車を幾つも乗り継いで、3時間余りかけて午後5時頃現地へ到着。

息子は5時半まで自動車学校で、彼と会うまでにはまだ多少時間があったので、ホテルにチェックイン後、駅周辺をブラブラ歩いた。驚いたことに、殆ど道を歩く人がいない。地図で見るとメインストリートであるはずのだだっ広い道路も、殆ど車通りがない。沿道の商店は殆どシャッターが閉まっている。「貸店舗」の貼り紙が多く目につき、時折吹くからっ風が埃を舞い上げる。人気がなく閑散としたさまは、まるでゴーストタウンだ。

地方経済が疲弊し、人の流れも郊外型ショッピングセンターへと向かい、駅前には所謂「シャッター通り」が増えていると報道では見聞きしていたが、これほどまでとは予想だにしなかった。仮にもここは、今回の震災で部品調達が困難な為に操業を停止しているとは言え、日本の某大手製造業の工場が駅周辺に点在する企業城下町の玄関先なのである。たまに路上で見かける人はホームレスと思しき男性達で、歩いている私達が物珍しいのか、何やら話しかけて来る。途中、通りの脇にひとりぽつんと易者が腰かけていたが開店休業状態で、彼もまた私達に声をかけて来た。こんな寒空の下で、いくら何でも…運命鑑定なんてしてもらう気分じゃない。

めぼしい飲食店もなく、こんな場所での息子の毎日の食事が思いやられた。計画停電はグループ内でも実施されている地域とされていない地域がある。どういう線引きで決めているのか知らないが、都心から遠ければ遠いほど容赦なく停電は実施されているような印象だ。息子によれば、こちらは毎日確実に実施されているらしい。その影響は息子にモロに及ぶ。一度など自動車学校から夜8時頃帰宅して、ホテル近くのコンビニに行くと、弁当がひとつしか残っていなかったそうだ。

ふと見ると、休日で唯一開いているガソリンスタンドには、ガソリンを求める車が殺到していた。辻辻に車が数珠つなぎになって長い長い待ち行列を作っていた。待っている間、エンジンはかけたままだ。相当な待ち時間の間に消費されるガソリンの量も馬鹿にならないだろう。公共交通機関が発達した都心とは違って、車なしでは生活が成り立たない群馬では、ガソリンの有無は死活問題なんだろう(確か、一戸当たりの乗用車の保有台数は、群馬が全国一だったはず)

息子を宿泊先のホテルまで迎えに行き、予め調べておいたハンバーグステーキを主力商品とするファミレスに家族3人で歩いて行った。辺りは大分暗くなっていた。節電の為、街灯は一切灯っていない。歩道の真っ暗な足下が心許ない。時折通る車のヘッドライトが辛うじて足下を照らしてくれるぐらいである。時折、自転車が行き交う。息子の話では、ガソリン不足が喧伝されて以来、近くの量販店で販売されていた自転車が瞬く間に売り切れたらしい。

15分ほどで目的のファミレスに着いたが、現在食材の調達が難しいとかで、メニューは限定的なものだった。ワンプレートにライスとハンバーグと少しばかりの野菜サラダ。息子はご飯を大盛りにしてもらったが、何だか侘びしい。それでも当地に来て、これだけのボリュームは食べたことがないと言う。ただでさえ細い身体なのに、これ以上細くなったらどうするんだoni

食事の後、わずかに開いている店舗をはしごしてみた。早めの夕食になってしまったので、夜間にお腹が空くと思った息子はお菓子を幾つか買った。その後、息子をホテルまで送り、私達夫婦も宿泊先のホテルに戻った。結局、息子と過ごした時間は2時間弱だったが、彼の元気そうな姿を見てほっとした。

いつも休日にはどうしようもなく朝寝坊な息子が、連日続く教習に合わせて、早朝にちゃんと自分で起きていると言う。それを聞いて、親元を離れたことで、幾らか自律心が育ったのかと嬉しくなった。

翌日、元来た経路で地元に戻った。群馬と埼玉の久喜を結ぶ路線は1時間に2~3本しか電車がない。久喜から上野までの車内は結構混雑していて、1時間近く立ったままだった。車内には大荷物を抱えた人がチラホラと見える。栃木や群馬から首都圏の親族の元に一時避難する人達なのだろうか?また、大宮でドッと人が降りたのを見ると、大宮は広く栃木、群馬も商圏として取り込んでいるのだなと思った。道理で発展するわけだ。

それにしても同じ関東圏でも、この違いは何だ?地元の駅ビルの照明は半分に落としているとは言え(普段からこれくらいでも照度は十分ではないかと思った。ギラギラしていないせいか、却って心が落ち着く)、営業時間も短縮とは言え、いつものように地階でおいしい食パンは買えるし、レストランでいつもと変わりないボリュームのランチを食べられる。街は多くの人で賑わっている。東京や神奈川は本当に恵まれているなと思った。
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