
タイトルの言葉は昨年の11月に余命4か月と宣告されるも、それを冷静に受け止め、治療を受けながら(ご本人は残り半年が限度と考えて)精力的に活動を続ける経済評論家、森永卓郎氏の言葉です。
あるインタビューに答えたもので、今後の生き方の参考になると思ったので、抜粋してここにメモとして残そうと思います。
Q「何が折れない心の支えになっているのか?」
森永氏
「私は、老後の生きがいを確保するために必要なのは『教養』だと考えています。
例えば、休日にテーマパークに出かければ、誰でもエンターテイメントを満喫できますよね。楽しめるように作られているのだから当然です。しかし、楽しむには1人1万円以上のコストを負担しなければなりません。
一方、大自然のなかで休日を過ごして楽しいかどうかは、その人の教養レベルに大きく依存します。雲の名前、鳥の名前、植物の名前を知っているかどうか。どこに湧き水があるのか、どこで魚釣りができるのか、どこに秘湯があるのか。それを知らなければ、楽しくないのです。それは人生も同じではないでしょうか?
そう言った、お金をかけずに生きがいを見つけられる教養さえあれば、老後でも人生を楽しめる仕事はいくらでもある。仕事と言っても、お金を稼げることばかりではありませんが、私はむしろ今、そう言う仕事に全力投球しているので、不安や恐怖を感じる暇がないのです。」
また森永氏はがんと言う病を前向きに捉えていて「突然死することが少なく、人生の幕引きを整える時間を確保できる。だからがんと言うのは幸せな病気だ。」と。
結局、「お膳立て」された遊興は手っ取り早く楽しめ、自分で用意すれば良いのは「お金」だけですが、それも昨今の値上げラッシュで相当なコストがかかります。しかも、お手軽な分、その余韻は長くは続かない。
そして、残念ながら「お金」は有限です。使えば無くなるものです。老後は大半の人は収入が限られている上に、現役時代以上に病気や怪我に備えなければいけません。しかもリタイアしてから20年以上は続きます。
ただし、ものは考えようで、何かを始めようと思ったら、時間はたっぷりあります。時間が味方してくれる。
『教養』は一朝一夕で身につくものではなく、自ら能動的に学び、獲得して行くものです。時間をかけて積み上げて行くものでもあります。
それだけに、一度身につければ、そう簡単には失われません。しかも蓄積することで、より深く物事を味わうことができるようになります。視野が広がり、教養を土台に新たな学び、知見を得ることもできるでしょう。自分の内側に、無形の資産を蓄えるようなものですね。
森永氏がインタビューの中で「教養」と表現しているものは「さまざまなことに興味・関心を持つ好奇心やひとつのことをとことん突き詰める探究心」、「仕事」は、「夢中になれるもの」と言い換えることもできるでしょうか?
『教養』と『(何か)夢中になれるもの』があれば、老後の人生も退屈とは無縁ですね👍。
自分もそうありたいです☺️。
(了)