はなこのアンテナ@無知の知

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蜜入りリンゴ、美味しいねえ♪

2020年12月07日 | 「食」についての話題


幼い頃、風邪をひいた時に母がすりおろしリンゴを食べさせてくれたのは、振り返ればけっして多くはない母からの愛情を感じた思い出のひとつだ。

その後暫くして妹弟が立て続けに生まれて、当然ながら母の愛情を独占出来なくなったり、父が病に倒れて失職し母が外に働きに出るようになってからは、母自身に精神的にも時間的にも余裕がなくなったせいか、以来、母から目をかけて貰った記憶がない。

考えてみれば、親子が共に同じ屋根の下で過ごす時間は、長い人生の中では思いのほか短い。結婚すれば、配偶者と過ごす時間の方が圧倒的に長い。母との蜜月は短すぎて、さらに大人になって物理的距離が大きく離れたのもあって、今でも心の距離がなかなか縮められない。

幼い頃、母がくれたすりおろしリンゴには、美味しいか不味いかの味以前に、心も身体もほんわか温まった思い出の記憶が濃いと言えるだろうか。正直言うと、たまたま私が住んでいた南方の地方都市には、北から美味しいリンゴが届かなかったのか、子どもの頃、果物としてのリンゴに、美味しさをついぞ感じたことがなかった。私はリンゴより梨、安価なバナナ、みかん、柿の方が好きだった。

そのせいもあってか、年末年始、夫の実家への帰省の度に義母が食後に出してくれるリンゴが苦手だった。倹約家(←そうでなければ、貧しい家計で二人の子どもを県外の大学へ進学させることは出来なかっただろう)の義母はおつとめ品でも買っているのか、歯ごたえのない食感に淡白な味。それまでリンゴの美味さを吟味するほど食したこともなかったが、そのリンゴだけは美味しくないと思った。ただ、大好きな義母が帰省した息子一家への精一杯のもてなしに出してくれたであろうリンゴだから、不味いと言う気持ちはおくびも出さずに毎回平らげた。

リンゴは元々好きではなかったのに、なぜか実母や義母との思い出が深い果物である。

そもそも、実家にいた頃は貧しかったせいか、野菜に比べて高価な果物が毎日食卓に上がることはなく、果物自体、そんなに数多くの種類を食した経験もなかった。

しかし、今では毎朝、季節の果物を食べている。最近までキィウィや柿やブドウや早生のみかんを日替わりで食べていた。そして、先週辺りからリンゴを食べている。

写真のリンゴ。青森県産(ゴールド農園さん)の品種は「ふじ」。断面の中心部の蜜の濃厚な色合いが食欲をそそる。生協でたまたま出ていたので購入してみたのだが、これが思いのほか美味しい。サクサクとした食感に絶妙な甘みと酸味。リンゴをあまり美味しいと思ったことのない私が、素直に「美味しいなあ」と舌鼓を打てる美味さである。

今まで、こういう美味しいリンゴに、たまたま出会えてなかっただけなのかもしれない。還暦近くになって、リンゴの美味しさを実感できようとは、人生にはまだまだ"発見"が尽きないのだなあ…

そう言えば、先日、日帰りバスツアーで訪ねた千葉で、ツアー土産に貰った千葉産の大ぶりのミカンがこれまた美味しく、夫婦して感動した。夫は「人生で出会ったミカンで最高の味」とまで言い切った。「こんな美味しいミカンが千葉にあったなんて?!地元で消費されてしまって神奈川まで回って来ないのか?或いは東京止まりなのか?」と至極残念がっていた。確かに神奈川に30年住んで、今まで千葉県産の梨はともかく、ミカンは一度も地元のスーパーで見たことがない。また機会があれば、是非食べてみたいほどの美味しさであった。


現在は折しもコロナ禍でなかなか楽しさや幸せを実感できない日々だが、ひとつでも素敵なこと、モノとの出会いがあれば、それをいつも以上に深く味わいたいと思う。その意味では、私は昔「貧乏」で、未だに「物知らず」で良かったのかもしれない(笑)。
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