大手マスコミでは一切報道されないが、ネット上に流布する海外ニュースによると、お隣のK国は、日K間に横たわる問題と直接関係のない国々で、広告媒体を使ったり、同胞が多く住む地方自治体に働きかけて、日本に対するネガティブ・キャンペーンを大々的に行っているらしい。
K国とは過去に不幸な出来事があったとは言え、戦後60年以上に渡って日本はさまざまな形(金銭や技術供与、最近では5兆円スワップの確約等)で償いを行って来たと、私は理解している。それでもなお、K国は日本の過去の過ちを許そうとはせず、寧ろ敵視している。まるで敵視することで、自国の国威発揚を図っているかのようにも見える。或いは来る大統領選に向けて、国民の目を内政の問題から逸らすスケープゴートとして、日本は扱われているのだろうか?
ネガティブ・キャンペーンの中身自体、事実とは明らかに反するのに、「嘘も言い続ければ本当になる」と言わんばかりに執拗に訴え続ける姿は不気味だ。
私は当ブログでこれまで何度もK国映画を取り上げ、その質の高さを賞賛しているし(ただし、来日する作品が数多ある中から厳選されたものであると言う前提があってのことだが)、作品に関連して発信されるK国映画人のメッセージにも心動かされることが多く、彼らから日本が学ぶべき点も少なくないと思っている。それだけに、一方で執拗なまでに日本に対するネガティブ・キャンペーンを張る人々の存在(←その多くが本国を飛び出した在外K国人と言うところに、ひとつの理由があるのかもしれないが)と、そのメンタリティが理解し難いのだ。
そんな私の戸惑いにひとつの解を示すかのように、昨日の日経夕刊1面のコラムに興味深い指摘があった。作家の久間十義氏によるものだ。韓流ドラマファンと自認する久間氏。
氏曰く、それが歴史を描いたものであれ、恋愛を描いたものであれ、韓流ドラマを支配するのは「大義名分」らしい。登場人物達は自己の奉ずる「大義」を押し立て、激烈な闘争や対立に身を投じる。「要するに登場人物の行動を律しているのは、自らが正しいと信じ、それを他人にも認めさせようという強度の思い込み(世界解釈)なのだ」と言う。
つまり、彼らにとって主張が真に正しいのかどうかはさして重要ではなく、自分が正しいと信じさえすれば、それを何が何でも他人に認めさせるまで突きすすむ、と言うことなのか?
久間氏の指摘はさらに続いていて、80年代末バブルを境に目標(経済的豊かさか?)を達成し、「大義名分」を失った日本人は、自らを正当化させるための理論武装を必要としない社会に住んでいる、としている。
だから、K国のがむしゃらな自己顕示パワーに対して、日本は後手後手に回っているのだろうか?つまり、幸か不幸か日本は最早ハングリー精神を失って闘えない、ということだよね?これはいろいろな意味で日本の現状を言い当てているようで、それに対して、悔しくも「そんなことない!」と反論できない自分がいる
日本はこれから、どうしたら良いのだろうね?果たして、どの方向に向かうのだろう?K国との関係性から、日本の弱点がひとつ見えたような気がする。
K国とは過去に不幸な出来事があったとは言え、戦後60年以上に渡って日本はさまざまな形(金銭や技術供与、最近では5兆円スワップの確約等)で償いを行って来たと、私は理解している。それでもなお、K国は日本の過去の過ちを許そうとはせず、寧ろ敵視している。まるで敵視することで、自国の国威発揚を図っているかのようにも見える。或いは来る大統領選に向けて、国民の目を内政の問題から逸らすスケープゴートとして、日本は扱われているのだろうか?
ネガティブ・キャンペーンの中身自体、事実とは明らかに反するのに、「嘘も言い続ければ本当になる」と言わんばかりに執拗に訴え続ける姿は不気味だ。
私は当ブログでこれまで何度もK国映画を取り上げ、その質の高さを賞賛しているし(ただし、来日する作品が数多ある中から厳選されたものであると言う前提があってのことだが)、作品に関連して発信されるK国映画人のメッセージにも心動かされることが多く、彼らから日本が学ぶべき点も少なくないと思っている。それだけに、一方で執拗なまでに日本に対するネガティブ・キャンペーンを張る人々の存在(←その多くが本国を飛び出した在外K国人と言うところに、ひとつの理由があるのかもしれないが)と、そのメンタリティが理解し難いのだ。
そんな私の戸惑いにひとつの解を示すかのように、昨日の日経夕刊1面のコラムに興味深い指摘があった。作家の久間十義氏によるものだ。韓流ドラマファンと自認する久間氏。
氏曰く、それが歴史を描いたものであれ、恋愛を描いたものであれ、韓流ドラマを支配するのは「大義名分」らしい。登場人物達は自己の奉ずる「大義」を押し立て、激烈な闘争や対立に身を投じる。「要するに登場人物の行動を律しているのは、自らが正しいと信じ、それを他人にも認めさせようという強度の思い込み(世界解釈)なのだ」と言う。
つまり、彼らにとって主張が真に正しいのかどうかはさして重要ではなく、自分が正しいと信じさえすれば、それを何が何でも他人に認めさせるまで突きすすむ、と言うことなのか?
久間氏の指摘はさらに続いていて、80年代末バブルを境に目標(経済的豊かさか?)を達成し、「大義名分」を失った日本人は、自らを正当化させるための理論武装を必要としない社会に住んでいる、としている。
だから、K国のがむしゃらな自己顕示パワーに対して、日本は後手後手に回っているのだろうか?つまり、幸か不幸か日本は最早ハングリー精神を失って闘えない、ということだよね?これはいろいろな意味で日本の現状を言い当てているようで、それに対して、悔しくも「そんなことない!」と反論できない自分がいる

日本はこれから、どうしたら良いのだろうね?果たして、どの方向に向かうのだろう?K国との関係性から、日本の弱点がひとつ見えたような気がする。