昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

礼法について

2021年02月02日 15時34分57秒 | 10 三島由紀夫 『 男一匹 命をかけて 』

東京のある一流ホテルの経営者の妹さんで、戦前から上流社会で鳴らした婦人は、
外国生活が長いところからレディー・ファーストをあらゆる男に要求している
彼女はそのホテルの中の日本料理を食べたときに、
日本料理の座敷でありながら、
彼女自身、床の間の前にでんとすわり、
料理が自分の前に一番先に運ばれてこないのに憤慨した
このホテルはレディー・ファーストで統一しているのに、
どうして日本料理に限って男から先に出さなければいけないのか
これが彼女の深刻な疑問であった
そこで彼女はたちまちホテルに向って、
日本料理といえどもその席に女性がいれば、
女性に一番先に皿を運ばなければならないと厳命を下した
まず私の知る限り、
日本料理で女の前に一番先に皿が運ばれるのは、このホテルだけである

日本の女性は伝統に対して受身であったので、
自ら伝統を守るという役割を果してきたことがなかった
それが現在の礼法にまで微妙な影響を及ぼしていると思われる
もし、女性がほんとうに主体的であれば、
主体的に伝統を守るという考えがどうして生じないのであろうか
伝統は守らなければ自然に破壊され、そして二度とまた戻ってはこない
男は伝統の意味を知っているから、
ある意味で主体的にいつも伝統を守る側に立ち、
自らその伝統をよしとし、
あるいは悪いと思っても伝統を守らなければならないという、強い義務感を感じていた
それが日本の男性を必要以上に保守的に見せていた原因であると思う
しかし、いつも女性はこの男性に対して、
伝統を破壊するという方向にのみ、自分の開放の根拠を求めた
しかし、ここにはパラドックスがある
もし伝統破壊の行動を続けるならば、
その女性は自分が伝統によって受身に縛られてきたときの態度を、
伝統が破壊されたあとも、そのまま押し通すということになるのである
しかし、何もないところでは、何の行動も基準もあり得ないので、
今度は女性は、
西洋式な伝統のサルマネを始め、それを男性に強要するようになった
その最も端的な例が、最初に話した上流婦人の例であろう
その上流婦人は、日本料理に西洋式礼法を取り入れることによって、
日本料理の味までもまずくしてしまったのである
女性の力ではなく、
アメリカという男性の、占領軍の力によって女性の自由と開放が成就されたとき、
女性は何によって自分の力を証明しようとしたであろうか
それがいわゆる女性の平和運動である
その平和運動はすべて感情を基盤にして、

「 二度と戦争はごめんだ 」
「 愛するわが子を戦場へ送るな 」

という一連のヒステリックな叫びによって貫かれ、
それゆえにどんな論理も寄せつけない力を持った
しかし、女性が論理を寄せつけないことによって力を持つのは、
実はパッシブ領域においてだけなのである
日本の平和運動の欠点は、感情によって人に訴えることがはなはだ強いと同時に、
論理によって前へ進むことがはなはだ弱いという、女性的欠点を露呈した
私はエチケットばかりでなく、平和運動でも、政治運動でも、
ほんとうに開放された自由な主体的な女性ならば、
自分をかつて苦しめた伝統を、
自分がかつてその被害者であったところの伝統を、
もはや被害者になるおそれがない現代において、
そこから新しい意味を見つけ出してそれを再創造し、
世界に向って日本の伝統の美しさを示すような役割を、
自分ですすんで引受けてほしいと思うものである

若きサムライのために
昭和44年(1969年) から


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