昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

二・二六事件と私

2021年06月04日 10時25分28秒 | 5 右翼青年 1974年~

昭和40年(1965年)11才                                       
「陸海軍流血史・五一五から二・二六」 との出逢いは、
何かしらん重々しいものを感じた。 ・・・リンク→話せば分る・・問答無用
昭和45年(1970年)16才                                       
市ヶ谷での三島由紀夫の自決は、16才の私の潜在意識を喚起させた
然しそれは、未だ漠然としたもので核心までは至らなかった。 ・・・リンク→憂 国
そして、
昭和49年(1974年)19才
『吾は日本人である』 ・・・此が潜在意識の核心であった。
そして、『日本人とは如何』 ・・・この追究の過程に於いて 昭和維新に殉じた人達を知った。
それは、運命的な出逢い。
まさしく、逢うべくして逢ったのである。
そして 彼らこそ、『 日本人である 』 ・・ そう確信したのである。 ・・・リンク→男のロマン 1975

私は 斯の人達の言動を知るにつき、
それらは、
私自身の 「 昭和の記憶 」 として

宛も私自身の実体験の如く蓄積されていった。

・・・リンク  クリック すると、頁が開く)
昭和 ・ 私の記憶 『 二・二六事件 』 
憲兵大尉 大谷啓二郎の 『 二 ・二六事件 』
三島由紀夫二 ・二六事件と私

磯部浅一・安藤輝三・西田税の写真
昭和50年 ( 1975年 ) から、今も尚 私の懐中に存する


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