史跡名勝の菅田庵の受付でお願いした抹茶を
ここ向月亭のくつろぎの間で頂くことが出来るのですが
私は、お茶を頂くのを後にして
まずは菅田庵の全景を観賞させて頂くことに。
向月亭 橋杭型手水鉢
橋杭型手水鉢とは、
橋桁 (げた) を支える杭を手水鉢に見立てたものです。
平安神宮の蒼龍池に架かる飛石の橋には、
三条大橋と五条大橋の橋脚が再利用されているように
日本は、昔から再利用に長けていたんですよね。
向月亭(書院)【重要文化財】
向月亭は、
四畳半台目や六畳、八畳の部屋等からなる建物で
南側は細い竹を並べた縁側があります。
本来は、御成門を通り、放鷹等の後に
御風呂屋(待合、風呂等)で汗を流して
菅田庵(茶室)で御茶を愉しみ、
向月亭(書院)で歓談するという流れですが、
一般公開では、向月亭から菅田庵、
菅田庵から御風呂屋の逆の順で観賞することになります。
向月亭 竹の縁台
御風呂に入り、この涼しげな竹の縁台に腰を下ろし
緩やかな緑の山風を肌で感じながら景観を愛でる。
露地門
露地門を潜った所に菅田庵があります。
菅田庵(茶室)【重要文化財】
身体を屈めて茶室に出入りする『にじり口』と
刀を掛けておく『刀掛け』が見られます。
茶室は、身分の差はなく平等という茶道の精神に基づき
身分の高い方も刀を外し身体を屈めて頭を下げなければ
茶室に入られない構造となっているとされています。
菅田庵の厚みのある茅の屋根が特徴で
松平治郷(不昧)の筆とされる陶磁製の円形の額が
掲げられています。
菅田庵(茶室)の奥の石段を登ると
御風呂屋(待合、風呂等)があります。
竹穂垣
御風呂屋【重要文化財】
御風呂屋は、菅田庵や向月亭より
竹穂垣のある石段を少し登った高台にあり
待合として腰掛、袴直しの間、浴室、
脱衣の間、雪隠(トイレ)が設けられています。
お殿様が放鷹の後、ここの蒸し風呂で汗を流し
服装を整えて菅田庵へと降りて行ったのですが、
今、お殿様と同じ場所に立って
お殿様と同じものを見ていることを思うと
ワクワク感が止まらない。
建物の中を覗くと奥の狭い空間に設けられた
蒸し風呂を眺め観ることが出来ます。
松江藩主のお殿様の生活より、
今の私達の暮らしの方が便利で贅沢な暮らしなのは
間違いないですよね。「私達、うえいっちゃってるぅ。」
でもあの時代には無かったものが
今の時代に有るだけなので、
無い時代の人達が有る時代の人達を羨みようもないので
生活の充実度や幸福度は便利や贅沢、
有る無しでは決まらないのかなと。
元来た園路で向月亭へと戻り
お願いしていた御茶を頂戴することに。
御風呂屋から菅田庵で茶を嗜んだ後、
露地門を潜ると視界が一気に広がるんですよね。
視界が遮られていた世界から視界が一気に広がる世界へ。
実によく考えられた構造だなあ。
延段
延段とは、庭に設けられた敷石の通路のことで
飛石とは違って石と石の隙間が殆どないので
歩幅を気にせずに歩けます。
飛石の中に設けられている
両側を太い青竹で囲んだ延段が粋な感じ。
向月亭 くつろぎの間
向月亭のくつろぎの間からは、
また一味違った景観を味わえます。
向月亭と菅田庵と御風呂屋が、
昭和25年(1950)に重要文化財に指定されましたが、
その前の昭和16年(1941)には、
国宝に認定されていたんですよね。
しかし、菅田庵が造られたのが
1792年頃であることは判明していますが、
1790年に建設された可能性も浮上し
菅田庵の造設時期がハッキリとしないため
国宝から重要文化財指定と変更されたようです。
造設の時期が僅か三年の幅でもあると
あいまいなものとされて国宝認定されないとは
国宝認定の審査は、かなり厳格なようです。
頂いた和菓子と抹茶が
京都一乗寺の和菓子屋さんで頂いて以来、
美味しいと感じる抹茶となりました。
お茶を入れて下さった女性。
有沢家の娘さんなのか、奥さんなのか、
物腰から上品さを感じられて
何より美しかったのは、この女性だったかも。