鳥取県の名勝・深田氏庭園から
次の目的地の島根県の史跡名勝・菅田庵に向かいました。
菅田庵までは、車で約40分の距離になります。
菅田庵は、老朽化に伴って約70年ぶりの大規模修理が
2015年から約3年4ヶ月かけて行われていたことで
長らく非公開となっていましたが
2020年の11月より一般公開が開始されました。
島根県 史跡名勝・菅田庵(かんでんあん)
最新の情報を入力していない友人の車のナビに
画面上存在しない道路上を何度か走らせたり、
突然、画面上に経路を示す黄色い道路が完全に消えたりと
なかなかの面白い現象を見せられながらも
大きく時間をロスすることなく目的地に到着しました。
菅田庵は、江戸時代中期の1792年頃に
松江藩七代藩主の松平治郷(はるさと)の
庭園の地割から建物の配置に至るまでの設計図により
家老の有沢家の山荘内に建設された草庵風の茶室になります。
松平治郷は、江戸時代の代表的な茶人の一人で
号の不昧(ふまい)で知られていて
茶風は、不昧流として現代まで続いているそうです。
菅田庵の説明版から思いのほか長い園路が続きますが
木々の間を通る園路の雰囲気が良く
それ自体を楽しむことが出来ました。
園路の苔と木漏れ日
菅田庵の園路の石畳は、
踏んだら弱るの苔で覆われているので
苔を踏みしめて園路を奥へと歩みを進めます。
苔に覆われた園路は、
ふわふわの絨毯の上を歩くような感触が心地良かった。
踏んでも弱らない苔の種類があるのかも。
菅田庵 石標
おっ石標を発見!
ようやく菅田庵に到着かと思われましたが
園路は、ここからが始まりのような感じです。
菅田庵 御成門
松江藩主の松平治郷が
菅田庵を訪れた際に通った御成門。
この門の向こう側に続く園路が正規の園路ですが
私達は、御成門の左側に続く園路を進みます。
御成門までの苔の園路と
御成門から先の私達が通る園路の雰囲気がまるで違います。
こちらの園路も立派で綺麗で気持ち良く歩けます。
この場所には、花見が行われる程の
沢山の桜の木があったようですが
その殆どの桜の木は枯れてしまったようです。
斜面に見られる若木は、桜の木かも知れません。
松江藩の家老であった有沢家は、
松平直正に仕えた有沢織部直玄が初代。
有沢家の有沢弌善は、松江藩の家臣としてだけでなく
藩主・松平治郷に茶堂を学ぶ立場になります。
つまり師匠と弟子の関係ですね。
お殿様に愛され、お殿様より与えられた菅田庵を
代々の有沢家が現在も所有して朽ちさせることなく
大切に保存し続けている。
松平家と有沢家との関係も
今も続いているに違いないでしょうし、
受けた恩恵をいつまでも忘れない有沢家の様子が美しい。
それはさておき、この園路はどこまで続くのかと
少し不安になり始めた頃に
目的の菅田庵の建物がある場所に到着。
御成門までは、緑色の園路と園路沿いの木々に緑。
御成門からは、垣根、石段、石垣も
赤茶色に統一されている感じ。
これまで歩いてきた苔の園路も
近年追加で名勝範囲に含まれたようです。
待合
正式なルートではない方にも待合がありました。
これってお殿様のお付きの人達の待機所としてなのか、
私達のような一般の人達が長い園路を通り
疲れた脚を休めるために造られた物なのか、
確かめることを忘れていました。
拝観の受付を済まして待合を通り抜ける前に
江戸時代に造られた待合かどうかは分かりませんが、
江戸の雰囲気を味わえるかもしれないので
やっぱ一度は、腰を下ろしておかなくっちゃね。
待合を通り抜けるとお目当ての景観が現れます。
史跡名勝 菅田庵庭園
これを庭園と言うのか何と言うのか、
目の前に樹高が統一された雲海のような緑が広がり
その奥には、高い樹々が見られます。
樹高が整えられた目の前の木は、
手前のツツジの様に樹高が低い状態ではなくて
2~3m程下の地面から生えている木です。
南東側からは、朝酌川を行き交う船や大山を、
南西側からは、松江城や宍道湖(しんじこ)まで
当時は見通せていたようですが、
時代と共に高い建物が景観を遮るようになり
また奥の樹が高く成長。
奥の樹の幹を伐採して元々の樹高に抑えるかどうかを
悩んだそうですが色々な方に相談した結果、
伐採しないことにしたそうです。
向月亭 手水鉢