コップ半分の水を見て
『まだ半分残っている。』と捉えるか、
『もう半分しか残っていない。』と捉えるか。
コップの水理論と言われるものは
心理学から来ているのではなくて
ビジネスで成功するための例え話なのだそうです。
心理的の観点から考えると
楽観主義的で捉えるか、悲観主義的で捉えるか、
一概にどちらの捉え方が良いとは言えません。
楽観主義的に捉えると
気持ちにゆとりが生まれるとは思いますが、
それによって余裕を持ち過ぎてしまうようでは
場合によっては駄目だろうし、
悲観主義的に捉えて
強い焦りや不安等、危機感を覚えることで
余裕を失くし過ぎてしまうのも駄目っす。
私達の世界では時間が流れていくので、
どちらの捉え方をしようと大事なのは
それによって次の場面がどうなるかです。
現実に『まだ』とか『もう』とかを加えて
楽観的なアレンジをしようが、悲観的なアレンジをしようが
その時の現状により適した選択をして、
適した行動を取れることが大事なことになります。
石橋を叩いても渡ることに
慎重になり過ぎている自分を感じていたり、
叩き過ぎて石橋を壊してしまう自分を感じているようなら
楽観主義的な捉え方を無理のない範囲で
取り入れていくことは有用だろうし、
目の前の橋を何の確かめもしないまま
躊躇なく渡ってしまう自分を感じているのなら
慎重(防御的)な捉え方を無理ない範囲で
取り入れていくことは有用なことです。
これらは今に焦点をあてて未来の結果に
よい影響を与えるためのものですが、
少し先の未来へと心の焦点を当てることで
現実の気持ちや行動を変えることも出来たりします。
例えば自分の部屋の様子は、
自分の心の状態を表しているなんて言って
常に掃除や整理整頓が出来ている部屋であることは
良いことには違いないとは思うけれども
必ずしもそうである必要が無いかも知れません。
それぞれの人のここまではの許容範囲があるもので
それを超えるようなら行動を起こしますし、
無精者であっても誰かを部屋に招き入れる時には、
少しは掃除をして整理整頓をするものです。
言うまでも無いとは思うのですが
ゴミ屋敷のレベルになると別の次元の話になるので
それは置いておいて、
部屋の掃除や整理整頓を
今より出来る自分でありたいと思っているけれども
どうにも腰が重くて行動を起こさない自分に
影響を与えたいのならば、
掃除や整理整頓をやり終えた気持ちの良い部屋にいる
自分に心をフォーカスすると、アクセルの役目をする
やる気を想起させる気持ちを持てるかも知れません。
他にも上に書かせて頂いたことを利用して
自分の部屋を許容範囲を超えるように
ワザと部屋を酷く散らかすことで
行動を起こしやすくすることが出来るかも知れませんし、
また毎週、友人を部屋に招待することで
行動を起こしやすくすることも出来るかも知れません。
また好きな相手と会えていない時に
寂しいとか悲しいとか不安を感じることに
心をフォーカスすると
相手に会いたい気持ちを過多に伝えたり、
相手を責めることが多くなったりすることで
自分の望んでいる関係性から
逆の結果を招くことになりかねません。
心を次の会う時にフォーカスすることで
楽しい気持ちや喜びといった全く違ったものになるだろうし、
次に会うまでの相手と電話で話す内容までも
違ったものになるかも知れません。
そんな簡単なことでと思うかもしれません。
そのような簡単なことであり、
大きな違いを生み出すかもしれないことを
知った後でも出来ないというより
しようとは思わないことの方が多いかも知れません。
私達は簡単なこと程、難しかったりします。
その分かりやすい一つにダイエットがあります。
一日にたった100g、いや50gだけ痩せる食事をすれば
単純計算で100日で5㎏、200日で10㎏、
痩せることになりますが、これが難しい。
減量は出来てもダイエットは簡単じゃありません。
それらについて厳しい言い方をすれば、
そんな時、私にはできないとか、
私は、そういう人間だからとか、
頑張ってはいるんだけどねとか、
しないことや続けないかったことの理由を探し出して
正当化をして、しない自分や続けなかった自分へ
許しを与えます。
そうではなくて、やらないことをバカボンのパパのように
『それで良いのだ。』と心から受容出来るのであれば、
それはそれで全然良しなんですよね。
自分が良いと思えることを何でもかんでも
完全にこなせるのだとしたら素晴らしい事なのかも知れないし、
完全にこなそうとする必要はないと思うし、
完全にこなせなくても普通っす。だって人間なんだもの。
自分を適度に否定しているようなら問題は無いかと思いますが、
酷く否定することを繰り返しているようなら
何かをこなすことよりも、そのことの方が問題なので
何か行動を起こすことよりも強く否定する気持ちについて
検討してみることは大切なことです。