KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

彼岸花咲いた

2023年09月22日 | 俳句
天気 曇がち

朝、テレビの実況中継放送の画面に一面の彼岸花が・・。有名な、私も一度は行ったことのある埼玉の巾着田の群生地?と思ったら、府中郷土の森博物館の梅園の彼岸花、という。句会でも私的にも始終行っていた、言わばお隣の町の公園(公園となっている部分も含め、博物館となっている)。広い梅園とその周辺に彼岸花の咲くのは知っていたけれど、こんなに咲いてはいなかった・・と不思議に思っていたら、この数年、球根を植えて株をふやしたのだという。今年から、「曼殊沙華祭」を開くというからびっくり。「梅祭」はずっと以前から開いていて、府中の梅園はこの地域では有名だ。彼岸花も、あの広い梅園いっぱいに咲けば、かなりのインパクトがあるけれど・・
私の中では、なんか違和感。
今日の写真の彼岸花は、夫が元気だった最後の年、散歩道の公園の林で。


実は、私には彼岸花を楽しむ、という気持が子供の頃からない。これは母が悪い。彼岸花は、秋のお彼岸になれば田舎の畦道やら道の端っこやら、墓地の周りやら・・至る所に咲きまくっていた。でも「毒があるから触れてはいけない」と母に言われ、指先に触れたことすらなかった。子供の頃から花が大好きで、山百合なぞは崖から落ちそうになりながらも手折って持ち帰ったというのに。
おまけに母には、彼岸花を「亡くなった人の数だけ咲くのだよ」と教えられた。戦争直後のことだから、あの家もこの家も戦死者が居る、その人たちが花になって村へ帰ってきたのだ、と思ったものだ。母の実家は歴史が古くて、一族の墓地には江戸時代の墓碑がたくさんあった。彼岸花は、そんな祖先たちの霊? とも思ったものだ。


それから何十年ものち、彼岸花を活花にして飾ってあるのを見てびっくりした。私も活花は免許を貰うまで習ったが、活ける材料に彼岸花を使ったことはなかった。今は花屋で売っていることもある。
俳句を始めてから、おそるおそる花に触れてみた。思ったよりも固くて冷たかった。


さて、その後、もっと驚くことが・・
ブログでお友達になった同年配の、静岡のFさんが、子供のころに彼岸花の首飾りを作って遊んだ、という話と写真をブログに載せていた。
なんとまあ!なぜ、私にはそういうことを教えてくれる大人が周りに居なかったのか。だから、彼岸花を手折る子供も居なかった。同じような田舎暮らしでも、彼岸花で遊べた子供と、触れるのさえ禁止されていた子供と・・騙されていた~~というか、悔しい。
その時になって毒性はあっても、食べなければ何も危険はない、と知った。万一を思い子供には「毒」と教えていたのだろう。母は看護婦資格のある人だったから、そんなことを知らなかった訳がない。

歳時記によれば、彼岸花の別名はたくさんある。 死人花・天蓋花・幽霊花・三昧花・捨子花・曼殊沙華・・などなど。

森暗きあたりを灯し彼岸花   KUMI
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フルーツの味・そして免疫療法

2023年09月21日 | 俳句
天気 曇がち

昨日の夕方から今朝まで、あちこちでゲリラ豪雨。このあたりも、隣の市やすぐ北の埼玉では豪雨に晒されているというのに、相変わらずわが市は雲の塊りが掠め通るだけで・・あの、テレビ画面で見るような滝のごとき大雨、は来ない。地形の関係かもしれないが、高い山のまったくない同じ武蔵野の平地の地続きなのに。
適当に猛暑で、適当に時々の大雨だけだと、果物は甘くなるらしい。今年はモノによるが日焼けして見た目が悪くても、甘いのだそうだ。柿大好きなので先日、和歌山の柿を買ってきた。このあたりも柿は産地なので、あまり期待もしない早生の柿。食べてみて驚いた。まだ蔕のあたりは青い色の残っているような固い小さな柿なのに、完熟したように甘かったのでびっくり。これも猛暑のおかげ?

昨日は一日がかりの通院で、ぐったりして、雨の降り出す前に帰り着いた。
免疫療法の点滴は約1時間半ほど。こんな長椅子を使う。カメラ禁止ですけど、人の居ない長椅子くらいはいいでしょ。
免疫療法は、簡単に言うと、自分の免疫力を元気にしてがん細胞と闘わせる治療なので、がん細胞を完全に消してくれる訳ではない。でも、今の点滴薬「テセントリク」は、私の免疫力にとても役立っていて、早や2年以上、今回で19回目。普通は他の抗がん剤との併用もあるらしいが、私の体力にはあれもこれも、は無理だし単独で効くことが解ったのでずっと同じ薬だけ。
副作用でいちばん顕著なのが「消化器障害」で、結局、そのせいかどうか、イレウスまで引き起こしてしまった。ま、簡単に言えば酷い下痢。今回は間を少し置いてみたので、ちょっと楽ではあったけれど・・これがなかったら「素晴らしい薬」と言えるかも。他にも免疫力が落ちてしまうので、口内炎とかヘルペスとか、罹ると治らないで長引く。そして心臓の機能は弱くなる薬。

ということで・・以前も書いたが、何時迄治療を続けることになるのか・・循環器科の先週の検査で心臓機能は「低値安定」みたいな状態らしく1年間は経過観察、となった。肺の方は、点滴の前に必ずレントゲンで確認し、悪化の気配はないようだ。で、年に1回、来月はCT検査で外側からではなく検査をすることになった。脳のCTも受けるので、転移の有無も解る。がんの種類は違うものの、夫も脳へ転移してから急坂を転げおちるように症状悪化した。
さて、来月、どうなるやら・・本当は、私の心臓では手術出来ない、ということで始めた化学療法。「ほっとけば2年かよくて3年」と言われたのが3年前ななので、今も一応生かされていることは治療に感謝せねばならないのだけれど・・まだ、気持の中ではこのまま生き続けていいのかどうか、このシンドイ体調をいつまで我慢し続けるのか・・迷いがある。

で、話がとっても大きくなるけれど、今、国連総会へ行っている我らが(?)首相の演説の「人間の尊厳を大切にしたい」という話。私はあまり熱心にその演説を聞いていないので前後が良く解らない。でも、今日、解ったことがある。日本は世界に貢献するため「グローバル・ヘルス」の推進に力を入れているそうだ。武器に使う知恵と金を健康と医療へ使えば、これを否定する国はない筈。
上川さんという女性が外務大臣になった。彼女は法務大臣のときから、後進国の法整備に力を注いでいて、これからこの「グローバル・ヘルス」推進に力となれる実力があるのだそうだ。多くの人の死刑執行に印を押したことが記憶に強い法相ではあったけれど・・
日本の、世界に誇れる医療制度をひろめることで、人間の尊厳を守れるなら素晴らしいこと。私ごときどーでも良いようなバアサンを生かしてくれる日本の医療と医療保険制度。人手不足で崩壊する日が来ないことを祈る。

やっぱ、もう少し生きてみるか・・日本人なのだから、世界に誇れる医療制度を堂々と使わせてもらえる訳で。

子規ほどにあらねど柿を喰らふ日々  KUMI   




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秋暑し

2023年09月19日 | 俳句
天気 晴 34℃

いい加減に秋が来てもいいのに。今日の昼間の空は、フワフワの雲が浮かんでいて、秋にはほど遠い風情だった。午後3時過ぎたら知らないうちに消えていた。

9時過ぎに眼科通院のため外へ出たら、相変わらずの真夏の日差しだったが、施設の隣の林に、彼岸花が咲いていた。ひょろひょろの情けない3本だけが見えた。金網に囲まれた一画なので、金網越しに撮ってみたけれど・・咲いた証拠にはなる写真。まだまだこれから咲く株が奥の方にたくさん見えた。

何だかほっとした。明日は入り彼岸。天気も明日あたりから秋雨前線が南へ下りてくるようで、涼しくはなりそうだ。やはり彼岸は天気の変わり目。

連休明けで患者が多いと解っていても、眼科へ行ったのは・・私の薬の管理が悪くて、まだ残りがあると思っていたドライアイの点眼薬だ全くなかった。気づいたのが土曜の夕刻。「洗うように使ってもいいですよ」と、たっぷり処方してくれたので、無駄に使ってしまったのかもしれない。2日間、その薬を全く点眼しなかったら、やはり眼が乾いてきて痛くなった。テレビもパソコンもスマホも見ないで空だけ見ていれば、ドライアイになんかならないのかも。
そういえば・・食事の前にいつも食堂で眠っているSさん、先日、一人で眠らずにラウンジの椅子へ座っていたので「毎日、よく眠っているわね。テレビは見ないの?」と聞いてみたら「テレビは疲れるから殆ど見ない」と言っていた。彼女はドライアイなどと無縁なのかもしれない。

鳴きながら尾長発ちたる秋暑かな  KUMI
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敬老の日ですよ

2023年09月18日 | 俳句
天気 晴

林檎も美味しくなってく季節、梨が今年は食べごろが早くなったという。葡萄は色々種類があるので、まだまだ食べごろが続く。今日は、久々にスーパーへ行ってみたので、柿に目が止まった。地元の柿はまだまだ先の筈なので、和歌山産とかいう、小ぶりのものを2個だけ買ってきた。

今日は、敬老の日ですよ。同じテーブルで毎日食事しているOさんが、昼食時間に「今日は仕度が遅れているみたいね」と言う。
「多分、お赤飯の松花堂弁当に付ける茶碗蒸しに手間どっているのかも」と私。去年の敬老の日にはお弁当に茶碗蒸しと果物が付いた。と、彼女、
「お赤飯?何でそんな祝い事をするの?」と。いつも、運営会社のナントカ記念日とか、特別の日でもないと、松花堂弁当は出ない。
「え?今日は敬老の日でしょ」Oさんは認知症などではない。テレビも見るし新聞も読んでいる。ちょっと愛想のない人なので、私には気楽だ。
「あ、そうだったわねえ・・ちっともお目出度くないから、忘れていたわ」
その気持は同じ。人口の10人に1人が80歳以上の年寄。なんて聞いてしまったし。
今日は弁当箱ではなかった。これには多分訳があって、今まで視力障害の人は一人だったが、この春からもう一人増えた。しかも、新しい人は全く見えないらしい。なので、弁当箱に入ったものはとても食べ難い。

ちょっと料理の数が少なくなった気がするけれど・・滅多に出されない天婦羅と茶碗蒸しが美味しかった。

配膳が終って皆が食べ始めると、食堂は静かになる。すると、いつものように、真ん中あたりのテーブルに居るオバアサンの大声が響いてきた。夏になってから入所した人で、階も違うし私は名前を知らない。ともかく耳が遠いらしくて凄まじく大きな声で話す。
「息子がねえ、オレも敬老対象だし、お袋のところへは今日は行けない、って電話が来たのよ」「※※※」※、のところは向かい合っている人の話で、こちらまでは聞こえない。
「もう70歳なのよねえ、今日は孫たちも集まって自分の古稀のお祝いなんですって」「※※※」
「いいええ、孫ったって息子の孫だから、私のひ孫よ。何人いるのか解らなくなっちゃった」「※※※」
「娘が近くに居ればいいけど、〇〇へ嫁にいっちゃったから、滅多にこっちへは来ないし」・・・・・
長生きすると子供も敬老の日を祝われる立場になるので、ややこしいこと。彼女は、多分90歳を幾つか過ぎているように見える。見た目、「日本のお婆さん」という風情の髪と顔立ちと腰の曲がり具合と。車椅子ではなく歩行器で移動できるし認知症ではないようで、一人で食堂まで来ている。声の大きなお喋り好きの人、自分の話がたくさんの人に届いているのを知っているのかしらん?
敬老の日の有料老人ホームなんて、お目出度いムードはあまりないです。午前中にスーパーへ出かけたとき、玄関には面会者の靴がズラリと並んでいた。コロナのクラスターでしばらく面会禁止だったので、連休に面会者が多いのは当たり前のこと。でも何だか全体的に静かだ。

米寿なぞ長寿と言はぬ敬老日  KUMI

(昨日のネット句会出句作です)
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自己責任、という無責任

2023年09月16日 | 俳句
天気 晴のち曇がち

今頃、芒の根元に咲く南蛮キセル。この暑さでは、今年は咲かなかったかもしれない。この写真は、昭和記念公園まで撮りに行った10年以上前のもの。

今年は、彼岸花がまだ咲かないのだという。彼岸近くなると咲き始めて、彼岸の間が最盛期になる花。そろそろ見ごろになる埼玉の巾着田の群生地をテレビで映していたが、見渡してほんの1・2輪が咲き始めたくらいのものだった。涼しい日がないので、咲く機会を失っているらしい。素晴らしい群生地、なのだが、一度行ったらあまりの凄まじい光景になぜか二度は行きたくない、と思ってしまった。彼岸花は、コスモスみたいに一面びっしり咲くから良い、というものではないような・・
以前の住まいの裏庭にも咲くので、元気が出たら見に行ってみようかな、と思っていたが、まだ無駄足になりそうだ。
暑さ寒さも彼岸まで・・という言い伝えも通用しなくなってきたようだ。彼岸の間も、残暑は去らないらしい。
そろそろ咲き始めるシュウメイギクも、まだまだなのだろう。


秋の彼岸近くなれば、富士山に初雪の降ることもある(初雪と初冠雪は違う)。富士山は冬モードとなり、11日からはいつものように登山禁止期間へ入ったそうだ。
が、外国人観光客に人気の富士登山、閉鎖の鎖をかいくぐっての「弾丸登山」があとを断たないのだという。いつもの年なら雪も降る季節、しかも頂上は、真夏でも気温は一桁という標高、それでも短パンTシャツに近い服装で頂上を目指すヤカラも居るという。禁止のルールを無視しても、
「自己責任だから別にいいでしょ」と言うのだそうだ。
日本のルールを破る外国人の決まりせりふ。無論、日本人にもそういう考えの人は居る。しかし、割合からしたら、圧倒的に外国人に多い考えだ。
自己責任という無責任。
登山道で負傷したり体調崩して倒れたら、どうする?自己責任なのだから、とほっておけば命に関わること。日本人は、そういう時にほっおけないから、最善を尽くす。戦場の敵兵ではないし、勝手にそこで死になさい、という訳にはいかない。日本人へ、日本へ、とんでもない迷惑をかけることになる。
先日も富士山でそんな若者(馬鹿者)が遭難した。冬になれば、滑降禁止のゲレンデ外で遭難、救助される外国人があちこちに出てくる。無論、日本人も居るが。税金払っている日本人だけ助けて、そうでない外国人は凍死してもいいか、とはいかない。冬山の救助は助ける方も命がけだ。

外国人が「日本人の奇妙な行動」と思うことの一つに、交差点の信号を、車が来ていなくても青になるまで待っていること、だという。そこまで守るなんて、バカじゃない?と真実、思うらしい。ま、日本人だって、守らない人は多いし、車の少ない道なら、私も信号のない所を渡ったりしたことはある。
今はモタついて転んだりしかねないのでしないことにしているが・・
まだ50代の頃、市内の図書館前の交差点で、真昼だし左右を見ても車は居ないし・・と赤信号を渡り始めた。すると後ろから子供の声で
「赤信号は止まりましょう」と、叫ばれた。その声に続いて「信号は守りましょう」「守りましょう」と、と何人もの声が合掌のように叫んでいた・・私は慌てて後ずさり。
近くの児童館に学童クラブがあって、そこの庭から交差点が見えるのだ。もう、赤っ恥。
日本は、子供の頃からルールを守ることを教わり、それが命を守ること、と身をもって知る。そう、ルールを守る大人でなければ、子供が見ているかもしれない。幼い子供には、車と自分の距離感が解らないので、信号無視はとても危険なのだ。・・もっとも、外国の殆どは、子供が小学校卒業くらいまでは保護者なしで家の外を歩けないのだというから、自発的にルールを守る習慣が身につかないのだろう。

昨日のネット句会の席題、「長」「露」だった。3句出句だったので、出来が今ひとつで出さなかった凡句。

貨車長き音遠ざかる虫の夜  KUMI




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