天気 曇がち
朝、テレビの実況中継放送の画面に一面の彼岸花が・・。有名な、私も一度は行ったことのある埼玉の巾着田の群生地?と思ったら、府中郷土の森博物館の梅園の彼岸花、という。句会でも私的にも始終行っていた、言わばお隣の町の公園(公園となっている部分も含め、博物館となっている)。広い梅園とその周辺に彼岸花の咲くのは知っていたけれど、こんなに咲いてはいなかった・・と不思議に思っていたら、この数年、球根を植えて株をふやしたのだという。今年から、「曼殊沙華祭」を開くというからびっくり。「梅祭」はずっと以前から開いていて、府中の梅園はこの地域では有名だ。彼岸花も、あの広い梅園いっぱいに咲けば、かなりのインパクトがあるけれど・・
私の中では、なんか違和感。
今日の写真の彼岸花は、夫が元気だった最後の年、散歩道の公園の林で。
実は、私には彼岸花を楽しむ、という気持が子供の頃からない。これは母が悪い。彼岸花は、秋のお彼岸になれば田舎の畦道やら道の端っこやら、墓地の周りやら・・至る所に咲きまくっていた。でも「毒があるから触れてはいけない」と母に言われ、指先に触れたことすらなかった。子供の頃から花が大好きで、山百合なぞは崖から落ちそうになりながらも手折って持ち帰ったというのに。
おまけに母には、彼岸花を「亡くなった人の数だけ咲くのだよ」と教えられた。戦争直後のことだから、あの家もこの家も戦死者が居る、その人たちが花になって村へ帰ってきたのだ、と思ったものだ。母の実家は歴史が古くて、一族の墓地には江戸時代の墓碑がたくさんあった。彼岸花は、そんな祖先たちの霊? とも思ったものだ。
それから何十年ものち、彼岸花を活花にして飾ってあるのを見てびっくりした。私も活花は免許を貰うまで習ったが、活ける材料に彼岸花を使ったことはなかった。今は花屋で売っていることもある。
俳句を始めてから、おそるおそる花に触れてみた。思ったよりも固くて冷たかった。
さて、その後、もっと驚くことが・・
ブログでお友達になった同年配の、静岡のFさんが、子供のころに彼岸花の首飾りを作って遊んだ、という話と写真をブログに載せていた。
なんとまあ!なぜ、私にはそういうことを教えてくれる大人が周りに居なかったのか。だから、彼岸花を手折る子供も居なかった。同じような田舎暮らしでも、彼岸花で遊べた子供と、触れるのさえ禁止されていた子供と・・騙されていた~~というか、悔しい。
その時になって毒性はあっても、食べなければ何も危険はない、と知った。万一を思い子供には「毒」と教えていたのだろう。母は看護婦資格のある人だったから、そんなことを知らなかった訳がない。
歳時記によれば、彼岸花の別名はたくさんある。 死人花・天蓋花・幽霊花・三昧花・捨子花・曼殊沙華・・などなど。
森暗きあたりを灯し彼岸花 KUMI