今だから…昭和さ ある男のぼやき

主に昭和の流行歌のことについてぼやくブログです。時折映画/書籍にも触れます。

ディック・ミネが語った あの歌手・このハナシ(第4章:東海林太郎)

2006-12-23 23:58:42 | 昭和の名歌手たち

僕がデビューしたとき、東海林太郎さんは「赤城の子守唄」「国境の町」でスターだったからね。ただ、まったく音楽のジャンルがちがうのと、こっちは、むしろその手の歌謡曲をバカにしてたから、気にもとまらなかったよ。親しくなったのは、しばらくあとなんだけどね。いまでこそ、あの人、まじめの見本みたいに思われてるけど、なんのなんの、おかしい人なんだよ。

お互いに大学出のせいか、話が合うの。僕には気を許してくれて、女の話なんかもずいぶんしたよ。
大阪に行くとき、偶然、一緒になってね。寝台車だ。新幹線なんてない時代だから、寝台で十二時間かかった。寝台車のはじに車掌室があって、その横が喫煙室になっていた。二人でウィスキー三本くらい空けたかな。横浜で買った崎陽軒のシューマイをつまみに、ボソボソ話ながら、とうとう大阪まで行っちゃった。

東海林さんは秋田中学を出てるんだけど、僕の姉の旦那と同期でね。だからよく知ってるわけ。

大阪のキャバレーの仕事のとき、僕はなんとか東海林さんを崩してやろうと思ってね。なにしろ、いつもあのスタイルでしょ。直立不動で、ただ歌うだけだもんね。ステージ前にさんざん酒をすすめてね。あの人、大酒飲みなんだよ。少しフラフラしながらステージに出た。
「あっあ、今日は酒までごちそうになっちゃって。そのうえ、ギャラまでもらえるっつうんだから、この商売、やめられないねェ」
やりましたよ。読者のみなさんは、東海林さんのこんな「しゃべり」想像できるかい。

満州へも何回も行ってるし、僕と一緒に回ったことはないんだけど、また似たようなことやってきているはずだよ

晩年はあまり幸せとはいえなかった。女房運というか、家庭的には恵まれなかったんじゃないかな。ガンになって何回も手術したんだ。人工の肛門を脇腹に開けて、そこから排便してる始末だからね。
「ミネさん、いくつになっても、新しい女はいいね。こないだ久しぶりにいただいな女が、これが処女でね。ていねいに、ていねいにやったんだけど、あんまりいい気分のもんだから、ここからウンコが出ちゃってさ。こっちは気持ち悪いし、あっちは気持ちいいし、困ったもんだね」
そんなこといいながら、三回目の手術の後、しばらくしてから死んじゃった。

あの人は、自宅に引っ張り込んで、手を出すタイプだったんだよ。息子がそのことで、東海林さんをボロクソにいうから、僕は怒鳴ってやった。
「お前な、お母さん、君を産んでまもなく早死だし、夫婦仲もうまくいってなかったんだもの、そりゃ女だって欲しくなるよ。だいいち、いまのお前さんは。お父さんの歌うたって食ってんだろ。感謝しなきゃダメだよ」ってね。
それ以来、すっかり考え直したらしく、立派にやってるけどね。

東海林さんは歌手協会の初代会長。象徴みたいなもんだから、なにもしてないね。二代目が藤山一郎さんで、三代目が僕。
藤山さんはいい格好してたから、「よきにはからえ」ってね。
僕が引き受けたときには、つまみ食いはあるわで、かなり乱れてたよ。僕はセコイこと嫌いだからね。全部きれいにして、いまは週三回は連絡してる。今日だって二回も電話してね。われわれ歌手は東海林さんのような、本当にステキな先輩を持ってるんだから、特に若手の歌手はもっともっとがんばらなくちゃいけない。

テレビのなかった時代という違いはあるけど、東海林さんは、身振りも手振りもない。
「歌心」一本であれだけファンの心をつかんできたんだから、すごいもんだよ。

(中略)
東海林さんのステージ見た人ならわかると思うけど、あの人は間奏の間、ずっと直立不動で正面向いてるよね。ところが、日劇で間奏のときに、舞台の袖のほう見て、二番の出だしトチっちゃったことがある。僕も一緒だったんで、思わずフいちゃったけど、あの人も人間なんだよ。
そのころ、十九か二十歳くらいの女がいてね、奥さんと別れたすぐあとだったから、東海林さんもそうとう惚れ込んだんだね。その娘がステージの袖にいたわけ。間奏のときにちらっと横向いたんだよ。そんなことする人じゃないんだが、惚れた女がいるときってのは、そんなもんだ。目と目が合って、それから二番の出になったら、間違えて、もう一回、一番歌っちゃたんだよ。東海林さんのそんな人間臭いとこ知らないでしょ。

そんな純情な面もあった東海林さん、女運にはとことんツイていない人でね。その女とも長続きしなかったよ。何もかも持っていかれてね。死ぬときは東京の立川に住んでいんだが、みじめなもんだったよ。ステージがあんなふうだから、私生活のほうもさぞかし、きちんとしてるだろうと思ったら大間違い。後世に名を残す人には違いないけど、末路はあわれだったね。冥福――。