午前中は倉庫での仕事でしたが、午後は紅葉を求めて・・・久しぶりに久山町方面へと行きました。
が、まだまだでした・・・そこから数キロに立花山があります。
立花宗茂の居城があった立花山です。福岡市の近郊ですから登山者も多いです。標高も367mと手ごろ?
歩き慣れたら女性一人でも大丈夫です、あくまで慣れたらですけど。
私は、10年ほど前に登りました・・・今日は久しぶりに来たものですからぶらっと途中まで歩きました。
駐車場からコンクリートの道は傾斜がきついです。
ここから山道。
山麓は果樹栽培が盛んです、ミカンが主ですね。立花みかんは福岡県のブランドです。
これはレモンですね。
ピントがぼやけてます。初めて見た花です。
駐車場からこの案内に従って、頂上まであと800mまで歩きました。こんなに傾斜がきつかったかな?と思い出しながらでした。いつかまた頂上からの展望を楽しみに行きたいです。
さっきBS2で再放送ですが、英雄たちの選択だったか立花宗茂を取り上げてました。えっ!と思いました、偶然だなー(笑)
司会の磯田さんがとにかくいい男・・云々などで始まりましたが、一度見ているし小説も読んでるしとお風呂にしました。
薩摩が大友と争っているとき、秀吉の九州征伐が始まります。宗茂の実父、高橋〇〇(調べ直すのが億劫で)は岩屋城で700の家臣と討ち死に。
立花城にも薩摩の軍勢が押し寄せていました。秀吉軍が近づいたのを知った薩摩は退却をはじめ、これを機ととらえて宗茂は1500の手勢で5万の薩摩郡に追い打ちをかけて散々に戦果を上げた。秀吉は大友の元の武将であった宗茂に10万石を与え大名に取り立て・・・筑後柳川に入ったのです。
とにかく連戦連勝の武将で、その強さは家康にも届いていた。それで関ヶ原では宗茂が参陣できないようにしたとのことですね。というほどの武将がいた柳川です。
柳川藩に家老だと思いますが・・・十時さんが居られます。数年前に何代目になられるか知りませんが、偶然にも立ち話したことがあります。そういったこともあり、私も宗茂びいき、ファンですね。
立花山から東へ・・・福岡市から見ると東に連なる連山沿いの中世の道に沿い合戦があったようです。わが氏神の宇美八幡宮が焼失したのもその頃です。
江戸期になり黒田も3代目になりますと、世の中落ち着いてきます。さっき書きました柳川藩の十時さんのご子孫は、宇美八幡宮の再建には私ども先祖が力を出しと話されました・・・黒田からの下名があったのかなと思いました。
この辺のこと思い出して書けばまだ続くのですが・・・この辺にしときます。
立花山からの展望は言葉にならないくらいです・・・いつか写真が撮れるといいのですが。