一句鑑賞

読み飛ばして<(_ _)>

私は幼少の頃・・・かっこいい言い方ですね(-_-;)(笑)<m(__)m>この%くらい?

いや冗談は抜きにして、5歳の頃に父の長兄の家に養子候補で預けられていた。

その頃の親たちの会話を5才の頃の私は記憶しています。

叔父が父に、〇〇のところは男三人でいいな、こっちは娘二人で・・・どうやろう?ひとり貰いたいが、私です。

なんやかんや話はあったのでしょうが、その辺は子供ですからはっきりとは・・・で試しに預けられました。

叔父の家から帰っていく父母と兄、母に抱かれた弟が玄関先で見送る私の方を振り向いていた記憶があります。

結局は二三週間程度で私が馴染まないということで破談(笑)になったようです。その後も叔父叔母には大変かわいがっていただきました。

なんでこんなことを思い出したのでしょう・・・それはコートです。

すこし冷えて来ましたんで、夜はベストをとかオフのときはあのブルゾンとか考えますよね・・・(-_-;)

二十歳の頃に流行ったといいますか、ステンカラーのコートがありました。いつも毎日袖を通していまして、襟も擦れて汚れていました。

当時、刑事コロンボっていうTVドラマが好きで・・・大人気でしたね。

あ、それからもう一つ聴き忘れていましたが・・・云々っていうセリフがフッドでした。

問題はコートのヨレヨレ感がグッドでした。

で、私もヨレヨレのステンカラーを着て叔父叔母の家に行ったことがあります。

よーちゃんねー、そのコートはなんとかならんと?

うん?流行っとうと(流行っているの)!と私・・・(-_-;)

叔母は笑いながら、どうでもいいけど、お昼はなんば食べるね?、魚が有るけど・・・煮るね?焼くね?

焼き魚がいいです!

まあ、と笑いながら叔母は焼いてくれました・・・たまたま里帰りしていた従姉妹が子供を抱いたままで、私が主人とよく似てると笑ってました。当時、叔母と従姉妹とお風呂も一緒でしたし・・・これは68年ほど前のお話しです。

なんてことは無いのですが、こういった場面といいますか、印象に残っているのでしょう。ときどきフラッシュバック的に蘇り、懐かしむこともありますね。

養子に入っていたらどうなった・・・大いなる疑問のままですが、5歳ぐらいである程度の自己というものが見え始めていましたんで、真面目に勉学運動に励んでいたかも?

 

今感謝することは、なんていったて、わが両親の大っぴらさに育てられたことでしょう。

人は私を見て苦労なんかしたことないと言いますが、苦労は見た目ではありませんからねといつも思っております。

ステンカラーのコート、これはグッドでした。もう袖を通してときおり襟を立てることもありませんが、ざっくりと袖を通してボタンをとめずに両ポッケに無造作に手を突っ込むのがカッコいいのでした(-_-;)

コート・・・これも冬の季語なんですね。

山口青邨の例句が歳時記にありました。

外套の裏は緋なりき明治の雪

外套、コートですね。その裏地が緋色なんですが、これはお洒落ですね。

例えばえっと・・タータンチェックのなんでしたっけ?あのメーカー?とか、マグカップじゃなかったあのメーカー?裏地にその柄が生きていますよね!

実はこれは日本、JAPANが始まりで、羽織の裏地に凝っていますよね。

羽織と言えば地味なものでお洒落の仕様がないので、裏地にいろいろと工夫して独自色を個々人が出していますね。例えば歌舞伎の名場面を或いは流行のなにがしかを画いたものをあてていました。

わが家にもご先祖の物で、四十七士赤垣源蔵の裏地があったのですが、見当たらないのです(-_-;) ここ十年ほどいろいろと整理し処分していたので紛れ込んだかもしれません、残念。額装できればと思っていたのですが・・・

眠る前の昔話です。どうぞ読み飛ばしてください<(_ _)>

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