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上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

外灘新発見(2):上海市地方志事務所「档案館」は入館無料

2010年12月10日 06時45分05秒 | 上海優秀歴史建築
「档案館」は旧フランス租界のあった中山東二路9号(延安東路口から南へ3棟目)にあります。


HPによれば歴史関係書籍の発行や各産業の統計業務なども行なっています。

建物自体も1936年築のフランス郵船会社社屋だったもので、優秀歴史建築の指定を受けています。



展示フロアはエスカレーターを昇った2階3階となっていますが、カメラの持込は禁止されており、ロッカーに仕舞います。


入り口ホールのレリーフは上海の歴史の流れを表現しているようです。

受付で身分証明書(パスポート)を見せ入館名簿に記載します。手荷物のx線検査などもあり、ちょっと面倒です。


展示物は写真や公文書が中心です。

玄関横にある1対のレリーフ。


古代の歴史を綴った文官を表現しています。

こちらは現代の文官。映像機器やPCを利用して歴史を記録している様子が表現されています。


日本だと事業仕分けの対象になりそうな施設ですが、市財政が豊かなので問題無しですね。

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上海総会の再来か:上海金融家倶楽部(旧英国上海総領事館)

2010年12月07日 06時11分57秒 | 上海優秀歴史建築
旧英国上海総領事館は外灘の北端に位置し、外灘では唯一広い敷地に庭を持った建物です。

南隣には香港系のペニンシュラーホテルが開業しています。

建物東面は英国風の庭園となっています。


外灘源1号を現すエンブレムが建物玄関横に掲示してあります。


上海市が指定する優秀歴史建築のエンブレムもあります。


今は改修中で通り抜けることができました。

オープン後は一般人は立ち入ることができなくなるでしょうね。

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上海Waldorf=Astoria Hotelオープン:外灘上海総会

2010年12月05日 06時23分42秒 | 上海優秀歴史建築
ニューヨークのWaldorf=Astoria Hotelはヒルトンホテルの旗艦店で最高級だそうですが。



建物外観も欧州の古いお城のように夢があります。



2階まで吹き抜けになったエントランスホールは天井がガラス張りです。



2階部分は回廊になっています。



外観と良くマッチしたロマンチックな内装ですね。


上海総会の内装は日本人が設計したそうですが、伝説の「上海一長いバーのカウンター」はどうなっているでしょうか。

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光複路の製粉工場跡:閘北区

2010年11月28日 06時34分15秒 | 上海優秀歴史建築
外灘がある黄浦江から蘇州川を西にこの辺りまでくると、古い建物はほとんど取り壊されてマンションになっています。

租界時代は蘇州川の両岸には倉庫や工場が立ち並んでいたのでしょう、今では貴重な歴史的建物です。

想像通り、優秀歴史建築に指定されていました。


1912年に建築された製粉工場と倉庫の建物でした。

100年近く経っても、まだ使用に耐えられます。

一部アート関係やソフト会社が入居しているようです。


2005年に優秀歴史建築の指定されています。


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上海歴史散歩(7):申報館の天井レリーフ

2010年10月02日 06時42分50秒 | 上海優秀歴史建築
茶商人だった英国人アーネスト・メジャーとその兄のドリックは字林報館の<上海新報>の人気を見て、中文の隔日新聞<申報>を発刊しましたが、すぐに日刊となりました。

兄弟は中国語にも精通していたとか。

1907年、<申報>は中国人経理が買い取り、日本製の印刷機を購入する改革を行い、ますます購読部数を伸ばしました。

1918年には現存の5階建ての新社屋を建築しました。この辺り(山東中路)は大小の新聞社が軒を並べ、毎日朝晩、新聞販売店の売り子達でにぎわっていたとか。

建物は現在、香港系の中華レストランが使用していますが、1階ホールは2階まで吹抜けとなっており、見事な天井のレリーフがのこっています。

<申報>は歴史が清国、北洋政府、国民党と混乱する中でも終始民衆の立場で報道したとか。

日華事変時、上海陥落後は旧日本軍の制限を受け武漢へ逃れましたが、1938年に上海でアメリカ人商人が復刊。しかし太平洋戦争中は旧日本海軍報道部に接収されました。
太平洋戦争終結後は国民党中央宣伝部が管理、事実上国民党機関紙となりましたが、1949年、共産党の上海解放とともに廃刊、建物は解放日報社が使用しました。

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上海のビフォー・アフター(3):お目見え「圓明園酒店」

2010年09月29日 06時27分04秒 | 上海優秀歴史建築
2枚目は同じ場所から2010年夏の撮影です。


こちらは2009年、少し東へ進んで、ペニンシュラーホテル前辺りの北京東路から撮影。


やはり同じ場所から同じアングルで2010年の撮影。

意図があって2年連続して同アングル撮影したわけではありませんが、後から見て驚きました。

この大型の建物はまだ利用が開始されていません。

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上海歴史散歩(6):基督教青年会大楼

2010年09月25日 06時01分25秒 | 上海優秀歴史建築
現存の建物は1931年に著名中国人建築士らの設計により建造されました。

10階建て建築面積10,422m2。

20世紀30年代の上海の大型建築は全て西洋建築を模していましたが、それに不満を持つ中国人建築家たちは新しい民族建築様式を模索していました。


中国の伝統的な宮殿建築は広大な敷地を必要とし、狭い敷地に高層建築は不可能でした。

そこで考え出されたのが上部が伝統的建築様式で、下部が西洋建築のこの特徴的な折衷様式です。

青年会賓館としてホテルを営業していましたが、暫く休業改装中でした。また再開したようです。

haichaoluが駐在員の頃、同僚が冬に出張し宿泊しましたが、当時はまだ暖房設備がありませんでした。

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上海歴史散歩(5):大世界

2010年09月24日 06時28分32秒 | 上海優秀歴史建築
1912年、薬店老板の黄楚九と不動産ブローカーの経潤三の二人が、南京路と西蔵路の角に「新世界」という娯楽施設を開業しました。

南京路を跨ぐ施設は地下道で繋がっており、雑技や演芸などで賑わっていました。

経潤三が死去した後、その妻がやり手で、黄楚九を追い出し「新世界」の経営実権を握ってしまいました。

怒った黄楚九は、南側のフランス疎開の荒れ地に15,000m2の土地を入手し、新しく娯楽施設を建築しました。

それが「大世界」の前身です。

1917年の7月14日の日曜日。ちょうどフランス革命記念日の提灯祭りに開業した「新世界」は大勢の人出で賑わったそうです。

当時は東側の雲南路が繁華街でしたが、風水の大家の助言に従い西側の西蔵路を正面とし、大いに繁盛したとか。

1924年には現存の建物に建て替え、入り口には高さ55mの塔楼を建てました。

経営の手を広げすぎた黄楚九は、1931年には事業に行き詰まり、「大世界」は上海青幇の大ボス黄金栄に身売りされました。

後日談として、フラン祖租界の警察署長として昼と夜の世界を牛耳っていた黄金栄は、新中国建国後も上海に残り租界時代の断罪を受けました。
かつて「魔都上海」の代名詞だった「大世界」の前を掃除させられる姿が新聞で報道されたとか。

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上海歴史散歩(4):南京大劇院

2010年09月23日 06時21分37秒 | 上海優秀歴史建築
1930年建築の南京大劇院は、現在はクラシック音楽演奏会用の「音楽庁」として利用されています。

1959年に市内の数十の映画館や劇場の中から、音楽演奏会に適した建物として選ばれ、取り壊されずに改装されました。

元在った場所から建物ごと数100m移設されました。

中国人建築士が設計した洋風古典建築の成功例として、建物は評価されています。


入り口ホール中央には2方向の螺旋階段があり、その奥は約1,000人を収容できる休息庁となっているそうです。


建築面積は3,800m2、1,500ある座席の2/3が2階部分だそうです。

美術に音楽に演劇と、上海のアートは着々と整備されています。

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上海歴史散歩(3):玉仏禅寺

2010年09月18日 06時11分23秒 | 上海優秀歴史建築
玉仏(禅)寺の歴史は中国にしては比較的新しく、1882年に遡ります。


浙江省にある普陀山は中国4大仏教名山の一つですが、そこの僧侶慧根法師が中国各地を巡礼し、西遊記と同じようにインドへ渡り、その後ミャンマーに辿り着きます。


当時、ミャンマーで良質の玉が産出されるのを知り、中国で寄付を募り再びミャンマーへ行き、ミャンマー国王の許可を得て大小5体の仏像を造らせました。


その5体の仏像の一部を上海に祀ったのが玉仏寺の始まりです。


数度の動乱の中を守りぬかれた仏像は、1918年から10年の歳月をかけて建立された現存の寺に安置してあります。


境内の奥の般若丈室の2階にその宝物は安置してあり、内部は写真撮影が禁止されています。


外国人観光客には、やはり高層ビルよりも仏教寺院の方がお気に入りのようです。


屋根の上の造形は慧根法師がインドへ旅した時の姿でしょうか。

日本のTVドラマに出てくる三蔵法師はひ弱なイメージですが、西安で見た三蔵法師の肖像は、背負子に沢山の経典を詰め夜道を急ぐ屈強な姿でした。

臥佛殿の涅槃仏ですが、玉仏はもっと透き通った色の石です。


白い千手観音。


こちらは男女の塑像ですが、幸福そうな笑顔は何を表しているのでしょうか。

年間100万人の参拝者があるそうですが、寺社全体が上海優秀歴史建築に指定されています。

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上海歴史散歩(2)浦江飯店:華夏第一西飯店

2010年09月12日 06時16分00秒 | 上海優秀歴史建築
外灘から北へ進み蘇州川を渡ると虹口区ですが、当初アメリカ租界で後に共同租界の一部となり、歴史的建造物もまだ多く残っています。

浦江飯店は1846年、英国人船長アスター・リチャードが創業した「リチャード・ホテル」が前身です。

蘇州川にまだ橋が無い頃で、辺りは漁民が網を干すような荒地で、土地代も安かったそうです。

当初のホテルは木造2階建ての東インドシナ風でしたが、開業後の経営は不振だったそうです。

1856年に蘇州川に木造の橋が架かり、それ以後客数も増えました。

1860年には英国人某・スミスに転売され、「アスター・ハウス・ホテル」と改名し経営は改善されたそうです。

上海で最初の外国人旅行者専用ホテルで、客室以外にもビリヤード場・バー・ダンスホール・ポーカー室も完備していました。

1階大広間では外国劇団の歌舞・演劇、1882年にはサーカスまで催されていたそうで、当事の繁栄ぶりを思い起こさせます。

1906年には旧館の裏にレンガ造り英国風5階建て、建築面積8,100m2の現「金山大楼」を増設しました。

更に翌年には旧館を撤去し、現存の鉄筋コンクリート造り6階建て、建築面積15,011m2の新館を建築しました。

3階の広間は天井から陽光が降り注ぐ吹き抜けになっており、ホテルの歴史を展示する空間になっています。

歴代の貴賓の写真パネルが、その歴史の長さを誇らしげに語っています、

アメリカ元大統領グラントと物理学者アインシュタインの写真です。

左は喜劇王チャップリンの若かりし頃の姿です。彼は1931年と1936年の2度、上海へ来訪しています。

彼は1889年生まれですから、1936年の頃は40代後半ですね。

4階に上がってみましょう。


410号室は1879年に元アメリカ大統領、南北戦争の英雄グラント将軍が泊まった部屋です。

ホテルは建て代わっていますので、恐らく当時を復元したものでしょう。

404号室は1936年、チャールズチャップリンが宿泊しました。

2回目の来訪は3人目の妻との世界一周新婚旅行の途中だったようです。その前後、その年の2月と5月に2度目・3度目の来日もしています。

1920年代、香港に本部を持つ香港上海大酒店公司に併合されました。中華人民共和国成立後の1959年に上海市が管理し、浦江反転と改名されました。

3階にはロビーの右手のエレベーターもしくは階段で上がれます。エレベーターガール(おばさん)に階数を伝えると、快く答えてくれます。

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上海歴史散歩(1)「外白渡橋」:名前の由来は?

2010年09月11日 06時03分08秒 | 上海優秀歴史建築
1848年、渡し舟しかなかった蘇州川に英国商社怡和洋行らが共同出資で「蘇州川橋梁公司」を設立し、長さ137m、幅7mの木造橋梁を架設しました。

当初、1人銅板1枚、馬や車は2枚の通行税を徴収していましたが、1863年にアメリカ租界が英国租界と合併され共同租界となり往来が増えたので、通行税を2倍に値上げしました。

しかも中国人だけに課税したので、市民が憤慨し抗争となりました。

某広東人が「義渡(無料の渡し舟)」を始め、当局に対し抗議を示しました。市民はこれを歓迎し「白渡」と呼んだそうです。

抗議に屈したのか1873年、租界当局は下流側に無料の幅11mの木製浮き橋を設置しました。

当初「公園橋」と呼ばれていましたが、何時の頃からか「外白渡橋」と呼ばれるようになったとか。

その後「蘇州川橋梁公司」の橋は租界当局が買い取り撤去しました。1907年、路面電車を通すために鉄橋に架け替えられました。

橋を渡ると黄浦区から虹口区になりますが、左は「北蘇州路」、真直ぐは「大名路:ブロードウェイ・ロード」、右へ曲がると「黄浦路」です。


左手は上海大厦。当時は通りの名前から「ブロードウェイ・マンション」と呼ばれていました。

右手はロシア領事館とその北側が「礼査飯店(リチャード・ホテル):浦江飯店」です。

どれも優秀歴史建築に指定されていますが、次の上海歴史散歩の目的地は「礼査飯店(リチャード・ホテル):浦江飯店」にしましょう。

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蘇る外灘源(3)虎丘路を歩く

2010年09月07日 06時20分32秒 | 上海優秀歴史建築
北京東路から右(北)へ曲がります。

円明園路の1本西の通りになります。

虎丘路20号「亜洲文会」です。

英国王立亜洲文会(1823年創設)北中国支会が図書館に併設して建築、1932年に竣工しました。

今回の再開発で、新しく「外灘美術館」となりました。

本来も生物標本の博物館だったそうです。

優秀歴史建築に指定されています。


虎丘路128号「広学会大楼」。広学会は英国長老会伝道師が1887年に上海に創設した「同文書会」が前身です。

広学会は基督教各宗派が参加する全国最大の出版機関で、宗教関係以外にも歴史、科学、法律、政治、商業、文学など、出版物は多岐にわたりました。

時の清国光緒皇帝が変法準備のため購入した西洋新学の書籍129冊中、89冊が同会の出版でした。

同会が発行する<万国広報>は清国の王族や大臣にも読まれ、開国派に多大な影響を与えました。

1932年建築の9階建て建物は、優秀歴史建築に指定されています。


虎丘路131号「青年協会大楼」、国際基督教青年協会が建設1920年に竣工しました。

中華基督教青年教会は1895年に創設、上海青年会は5年後に創設されました。

布教活動や識字教育活動、孤児院等の社会活動に利用されました。

今でも「虎丘公寓」住宅として使用されています。

優秀歴史建築に指定されています。

当事のアメリカの住宅に倣って、水道ガスも完備と記載があります。

虎丘路146号「光陸大劇院」(キャピトル・シアター)は1927年建造の9階建てです。

租界時代はパラマウントのトーキー映画の封切り館が在って、魯迅も家族連れてミッキーマウスの映画を見たそうです。

優秀歴史建築に指定されています。

次回は「外灘美術館」のご紹介です。

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蘇る外灘源(2)圓明園路を歩く

2010年09月06日 06時35分00秒 | 上海優秀歴史建築
南側の北京東路方面。



圓明園路97号「安培洋行」1908年建造、優秀歴史建築に指定されています。

 


北へ古い建物が続きます。



通りの東側はペニンシュラー・ホテルと旧英国領事館です。



「圓明園公寓」


少し古い写真を見ると、最近まで住宅として使用されていたようです。

圓明園路133号「中華キリスト教女青年会」。優秀歴史建築に指定されています。




 


「哈密大楼」



「協進大楼」



圓明園路185号「蘭心大楼」。優秀歴史建築に指定されています。


 
最近までチャータード銀行浦西分行が使用していました。



圓明園路209号「真光大楼」。優秀歴史建築に指定されています。



モデル撮影地としては雰囲気ありますね。

 


租界当時の情景が蘇ってきますが、それぞれの建物がどのように再利用され、開放されるのか楽しみです。