羽黒蛇、大相撲について語るブログ

相撲ファンから提供された記事・データも掲載。頂いたコメントは、記事欄に掲載させて頂くことがあります。

平成27年・2015年3月場所前(真石博之)

2015年02月28日 | 相撲評論、真石博之
3月場所の資料をお送りいたします



○大鵬を凌ぐ優勝回数への意欲を匂わせるように、白鵬の初日と二日目は気合いが入った強い相撲でした。 ところが5日目、勢の捨て身の肩透かしに前に落ち、当然、物言いがつくべき危うい勝利。続く6日目は、遠藤に立ち合いで張り手を見舞ったあと、離れてからはかち上げと前場所の豪栄道戦を再現した横綱らしからぬ乱暴な相撲。さらに7日目の高安戦では叩かれて物言いがつく微妙な勝利と不安定な中盤でした。






○しかし、その後は持ち直して安定した相撲で勝ち続け、優勝に王手がかかった13日目の稀勢の里との取り直し後の一番は、押しこんだ後に稀勢の里のおっつけに大きくぐらついて体が浮いたものの、即座に体勢を立て直し、結局は、廻し一枚分は高い稀勢の里の腰高につけこんで両ハズで押し出しました。そして、史上最多の61本の懸賞が懸った千秋楽の鶴竜戦は、慎重な上にも慎重で、最後には頭までつける1分を越す長い相撲をとり、10場所ぶりの全勝で優勝33回の新記録に花を添えました。






○この大横綱には、先天的な身体能力の高さ、スポーツIQの高さ、それに達成意欲の高さがあると思います。

モンゴル初の五輪メダリストの父親の優れたDNAを受け継ぎ、192cmの身長は大鵬を5cm上回ります。しかも、相撲にはもってこいの胴長。そして筋肉は、相手の力を吸収する柔らかさと、敵を跳ね返す鋼の硬さを併せ持つといわれます。相手の動きに対応する俊敏な動きは、研究機関での反射神経の測定で証明済みです。この身体能力の高さに加え、相撲独特のすり足・テッポウの基本稽古を欠かさないことが、昇進後45場所休場なしの偉業となっているのでしょう。スポーツIQの高さは、まだ関取に上る前に宮城野親方が「言ったことを直ぐに身につける」と語ったことに表れていますが、それは、普段の受け答えにも窺えます。達成意欲の高さは言を俟ちません。



○鶴竜は2日目に力をつけてきた宝富士に投げ捨てられ、6日目には栃煌山に押し上げられて引いてしまう一方的な負けで、弱い横綱を印象づけました。琴奨菊、稀勢の里にも敗れて、結局、10勝5敗。昇進して5場所。横綱に相応しい12勝をあげたのは1場所だけで、あとは9勝、10勝、11勝2回です。



○日馬富士は7連勝のあとの中日に、常幸龍を土俵際まで追い込んだところで突き落としを喰って敗れはしたものの、中盤までは鋭い立ち合いからのど輪で相手を起こして一気に押す良い相撲が目立ちました。しかし、11日目、この立ち合いで出たところを、大きな碧山に叩かれて頭を押さえつけられ、あっけなく2秒での負け。横綱戦を連敗して11勝4敗。白鵬とは大差のある2横綱に変りはありませんでした。



○稀勢の里は3日目に、自らは上手を取りながら、上手を取れていない照ノ富士に下手から振られて完敗。やはり自分より大きな相手に弱いのです。9日目には、琴奨菊に突き落とされたというよりも、自分の膝が不自然に前に折れたような負け方でした。上記の通り、白鵬に善戦はしたものの、日馬富士の鋭い突っ込みに3秒で真後ろに押し倒され、仰向けに土俵下に落とされる屈辱的な敗北を喫しました。白鵬に逆襲を許したのも、軽量の日馬富士に一気に持っていかれたのも、原因は腰高です。十年一日、最強日本人力士が抱える課題は変りません。



○場所前の出羽海一門の連合稽古で飛び抜けた強さを見せた豪栄道。カド番ながら、「優勝を目指す」と語ったそうですが、照ノ富士にきめ倒されての完敗、栃ノ心にも力負け、逸ノ城には右を差されて万事休す。格下相手の6日目までに3敗を喫し、後半は、稀勢の里、日馬富士、白鵬、鶴竜に歯が立たず、5勝7敗の窮地に立ち至りました。ここまで来て「腹を決めた」とのことで、2連勝のあと千秋楽で琴奨菊を一気に寄り倒し、何とか大関として地元大阪に帰れることになりました。しかし、大関3場所での通算成績は21勝24敗、平均7勝8敗です。昇進直後の力士に特有の勢いがないのです。14場所連続でつとめた関脇時代も、9勝以上をあげたのは5場所だけで、8勝が7場所、7勝ながら番付運に恵まれて関脇に留まったのが2場所ありました。この力士は大関よりも強い関脇が似合うのかもしれません。



○「今年の目標は大関」と口にした栃煌山。琴奨菊と鶴竜を破って、6日目までの横綱大関戦を2勝4敗で乗り切ったものの、力のある新興勢力である照ノ富士、宝富士、逸ノ城にことごとく敗れてしまい、千秋楽には妙義龍を押しこんだところで叩き込まれて負け越し。致命的といえる身体の硬さなのでしょうか。



○初場所は客の入りが良く、「18年ぶりに15日間とも満員御礼」と報道されました。18年ぶりということは、「若貴人気」以来ということです。ハワイ出身で2メートルを越える巨漢横綱・曙を追撃するのが、日本人で、しかも初代若乃花の甥であり初代貴ノ花の息子である若乃花・貴乃花兄弟という、これ以上のシナリオは望めないドラマによって、平成元年から9年まで666日も「満員御礼」が続いたのです。

ところで、私が観戦した初場所3日目は、全体を見渡せる二階席から眺めると、一階は桝席後方の2、3列が空いていて約85%の入り、二階は約65%の入りで、満員とは程遠いものでした。「満員御礼」のうち、わざわざ「札止め」と呼ばれのが「切符完売」で本当の満員。ただの「満員御礼」は満員ではないのです。空席の状況を確認もせずに、「18年ぶりに15日間とも満員御礼」と動かし難い歴史的事実のように報道する相撲記者は、相撲協会の発表を鵜呑みにする人たちなのです。ですから、「収賄の疑いがあった小林顧問を解雇しない北の湖理事長を追及せよ」と注文をするのなら、社会部記者にすべきなのです。



○今や日本のチョコレートの年間売り上げの半分を売りきる Valentine Day。聖者Valentineの日に、キリスト教国では小さな贈り物をする風習はあるものの、女性が男性にチョコを贈ることはなく、これは東京大田区にあるメリーチョコレートが発案したとの説が有力で、神戸のモロゾフの説もあるそうです。また、ワインのボジョレー・ヌヴォーを運賃の高い飛行機に乗せてまで運ぶのは日本だけという大騒ぎの裏には、あの酒屋さんがいるのでしょうか。さらに、ここ数年、どこの地域にも突然そろいだした七福神は、神社本庁と広告代理店が組んでいるのでしょうか。どれもこれも、目くじらを立てることではありませんが、眉に唾を塗った方がよさそうなことが世の中にはあるもので、大相撲の「満員御礼」もその一つです。



○立呼出しの秀男が定年退職したあと、拓郎が副立呼出しのまま結びの二番をつとめています。拓郎の声も少し怪しいのですが、今やNo.2になった次郎の音痴ぶりはすさまじく、四股名を呼び上げる30秒ほどの間に音程が揺れに揺れ、聴く方の気分が悪くなりますので、ほぼ公害です。土俵づくりが得意とききますから、そちらに専念させるべきです。技能の世界なのに、技能を無視して昇進させることには反対です。



○とケチをつけましたが、相撲内容のある好取組が増えて、大相撲が面白くなってきたと思います。それは、関脇以下で力をつけた力士が増えたためです。脚のような腕で突っ張る碧山、稽古をせずに評判を落としているものの怪物にはかわりない逸ノ城、2大関を倒して上位で唯一勝ち越したもう一人の怪物照ノ富士、惜しくも新三役を逸したものの地力急上昇の宝富士、立ち合いの圧力を多少はつけて一気に押されなくなった遠藤、幕下下位から戻ってきて今が一番強い栃ノ心、上位にいれば必ず横綱大関を喰う栃煌山、敢闘精神の塊の嘉風、相変わらず何でもござれの安美錦と、多士済々の役者が揃ってきたのは嬉しいことです。



                              平成27年2月24日   真石 博之

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2015年02月17日 | 歴史
峰崎親方(元行司木村銀次郎)が、検査役を勤める(羽黒蛇)












雑誌「野球界」昭和6年1月号、三木愛花「古今近代の立行司」より引用します。

立行司に到らず中途で止めた行司に、木村銀次郎と木村源太郎がある。

銀次郎は早く行司を止め年寄峯崎となり後に久しく検査役を勤めたが、

この人は経済に巧みで又興行の才があり小角力を引いて片田舎を巡業して金を残し

尾車の死後にその門弟を預り三杉磯以下を率いていた程であり

また行司を止めた動機も面白いものがある。

その時は大雷が取締であった。

その門下で大鳴門と言われた大関が後に八角になって検査役を勤めていたが、

この八角は才気のあった男で協会改革などの考えがあって、

これまで行司は一切木村式守の両家が支配したのを、その時より大雷につとめて取締において支配する事に定めた。

で銀次郎はこれを憤慨し直ちに辞表を出して年寄になる事も届け出た。

これを見た大雷は銀次郎に向い、「君はこの次には庄之助になる順だのに今にわかに止めるは馬鹿なことではないか」と言ったのを聞いて銀次郎は、

「行司を止める私も馬鹿だが、人の言うことを聞いて行司の制度を改めたお前さんも馬鹿だ」と言い棄ててサッサと帰って行ったとの事であった。

後に検査役となった行司としては前例のない位であるが、これが庄之助になるまで行司を勤めていたならばあるいは立派な立行司になったかも知れぬ。






羽黒蛇感想:こちらの記事 http://hagurohebi6.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/13-9675.html では、審判は元力士ではなく、行司が担当すべきだと主張した。峰崎親方(木村銀次郎)という前例がある。峰崎は親方だから検査役になれたのであるが、親方ではなくとも、現役の行司が土俵下に座るべきだと羽黒蛇は考える。











――

昭和14年春場所千秋楽を観戦された方より教えてもらった一番。






大相撲となった羽黒山と玉ノ海。

まわし待ったをかけた清之助

水が入ったと思って別れた羽黒山と玉ノ海

組み手を十分には見ていない清之助

勝負再開、土俵に上がる両者

玉ノ海右、羽黒山左の攻防。再現難しい。

おおらかな玉ノ海、こだわらずに組み手決まる。

再度水。

千秋楽なので二番後取り直しにならず引き分け。



昭和14年春場所、羽黒山ー引き分けー玉ノ海をさばいたのは木村清之助、という逸話を聞いて、江戸博物館で調べました。

日本相撲史

大正15年5月東京大相撲協会、庄之助、伊之助、錦太夫、勘太夫、木村鶴之助

大正15年3月大阪相撲協会台北本場所、木村玉之助、木村清之助、岩井正朝

大正15年10月第二回東西連盟大相撲、庄之助、伊之助、玉之助、清之助






近代日本相撲史、昭和14年春場所番付

松翁庄之助、伊之助、玉之助、清之助、玉二郎、庄三郎、正直、与太夫

羽黒山ー引き分けー玉ノ海

名寄岩ー寄り倒しー綾昇

前田山ー寄り切りー鏡岩

双葉山ー上手投げー男女ノ川

清之助が番付にのっているのは、17年夏場所まで






羽黒山ー引き分けー玉ノ海が清之助。ということは、最後の三番は行司一人一番ずつということだったと推察できる。

近代日本相撲史には、右四つと書いてありました。水入りのことは書いてありませんでした。






羽黒蛇

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2015年02月11日 | 相撲と野球、相撲とアイドル
白鵬審判批判をなぞらえると、アイドル集金システム批判というコメント


記事に対してshin2さんから頂いたコメントです。

Quote
アイドルに詳しくないので、的外れなことを書いてるかもしれないが、
「横綱の審判批判」というのは、プライベートな恋愛というより、
「推しメンの番付上げるために、投票券付きのCDを何百枚もオタに買わせるシステムは間違ってると思いますよ秋元先生」という、オマエそれ言うたらアイドルのアイデンティティが崩壊するやろ、タブーを口にするな現役のアイドルが、ってことじゃないのかな?



一昨年の総選挙で、指原莉乃の隣に地元大分の県知事か市長が立っていたのを見て、
「これって、力士なら化粧まわし贈るタニマチやな」と思った。
大相撲とアイドルって、案外似ているのかもしれない。
Unquote


答えは、アイドルでも身内同士の発言(本音)と、メディア・一般大衆での発言(建前)があるという話です。羽黒蛇

http://blog.goo.ne.jp/tedpapa/e/1f23e95ebc7b4be5fc186d6cfa9b55bc に詳細な事例を書きました。

コメント返事としては、
その1:相撲のタニマチをして破産する人もいるし(15代横綱梅ケ谷のタニマチが無一文になる講談「幸助餅」が有名)
その2:テレビではアイドル産業の集金システムについては、ほとんど発言がないでしょうが、ライブの現場では、
アイドルが「ファンに大金を払わせて申し訳ない」とか、
ファンに「もっと金を投資して欲しい」とか、
「(自分に)お金を使いすぎで、栄養失調にならないように」
という発言は、本音から、自嘲まで、耳にすることはあります。

これは、実際にお金を使って、経済的効用(アイドル鑑賞による享楽)を得ているファンを相手に、「アイドルは大金を使う価値がある」という売り手(アイドル)と買い手(ファン、ヲタ)の間に共通認識があるから成立する会話。

共通認識がある場で、「アイドルがファンにいたわりの言葉をかけた」事実が、
共通認識がない新聞に報道されると、アイドルは、その言葉を消去せざるをえない。

KCさん(現テッド・KCさん)のAKB48松井咲子の例(当ブログの過去記事)を再録します。ナッキー

―――
朝日新聞記事の是非を考える。松井咲子のファンへの思いやりを感じた。(KC)

テッド氏によると、
鈴木紫帆里の握手会一ループが終わるたびに、会場に待機しているナッキー氏に、記憶のうすれないうちに、会話の内容を伝える。それを、ナッキー氏がiPADで書いて、テッド氏が内容をチェックしてから、ブログにアップ。

ほぼリアルタイムで、鈴木紫帆里発言をブログに記録しているが、彼女が自分の発言を全て覚えているとは思えない。覚えていると想定するのは、現実的ではない。

鈴木紫帆里が仮にこのブログを読んだとして、私こんなこと言ったのかしら、と思うことは多いはず。
鈴木紫帆里ファンとしてテッド氏が新聞のインタビューを受けて、過去の握手会でのしほりん発言を引用したとして、「そんな発言はしていない」と言われる可能性は、そこそこ高いと思う。

朝日新聞のインタビューに応えた北沢尚さんが、
本当に、松井咲子から「破産しないでね」と言われたか否かも、興味はあるが、大事ではない。

大事なのは、北沢尚さんに対して、アイドルである松井咲子が、相手を心から心配したこと、心配してくれたと北沢尚さんが感じたことだと思う。

ここに、アイドルと、アイドルファンの、理想的な関係を感じた。

言ったか言わないか覚えているはずのない記事に、松井咲子がブログで「言っていない」と反論した。これを、事務所の指示に従いブログで否定したという邪推は、アイドル鑑賞の態度として正しくない。彼女が、本当に記憶にないのである。一方、

2700票入れたなんて、新聞記者に話すなよ、

という正直な感情の発露だと感じた。
大量投票があるのは、ファンなら誰でも知っているが、具体的に、2700票、53万円という具体的な数字は、イメージを傷つける。

松井咲子の6058票は、北沢尚さんが投票しなかったら、3358票で、64位の5398票を下回った。生々しい。

朝日新聞の記者は、北沢尚さんには取材したが、松井咲子に握手会で「破産しないでね」と言ったかという裏をとっていない。
全ての発言の裏をとる必要はなく、発言そのものが、北沢尚さんの勘違いであってもよい。

大事なのは、

松井咲子は、ファンに対して思いやりのあるアイドルであるというイメージ、

AKB48とは、(松井咲子のように)思いやりのあるメンバーがそろっているというイメージを伝えることは、新聞記者として間違っていないと思う。批判ばかりするのが、ジャーナリストではないはず。

朝日新聞の記事を読んで、少し感動していたので、松井咲子がブログで否定したことは、繊細なAKB48ファンとして、傷ついたかもしれない。
―――

相撲のタニマチでも、アイドルへの投票でも、好きなことにお金を使って、破産するなら本望でしょうか。

ナッキー



















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2015年02月09日 | 相撲評論・現在の大相撲
白鵬の審判批判に対しては、冷静に事実として受け止める(羽黒蛇)






白鵬が審判など批判しなければ力士としての評価は下がらなかっただろうが、審判批判したので評価は下がった。

恋愛禁止の所作を守りつづければアイドルとしての評価は下がらないが、恋愛が発覚すると、アイドルとしての評価は下がる。(アイドルではなくなる)






力士の審判批判は、可能であればやらない方がよいが、非難され評価を下げるリスクをとるなら、「絶対にやってはいけないこと」とは私は思わない。

力士を代表して、大相撲を象徴する横綱は、勝負判定には無言で従うという相撲の所作を、他の力士よりも厳格に守らなくてはいけない立場なのに、白鵬はそれを破った。






世の中の多くの相撲ファンの白鵬非難の言動およびネット文章は、「白鵬は絶対にやってはいけないことをした」とのニュアンスだが、私は、






おっちょこちょいの白鵬が、自らの発言の影響力を予測できず、愚かなことをやらかしたのか、あるいは、






深謀遠慮の白鵬は、意図的に、自らがバッシングを受けても、審判制度を変えよと、その布石として、発言したのか、どちらなのだろうと考えてしまった。二日酔いで受けたインタビューなので前者か。






相撲界の頂点の横綱と、ぺらぺらしたアイドルを同列に論じることに、多くの相撲ファンは不愉快に思うかもしれないが、趣味が二つしかない羽黒蛇(アイドリアンとしてのペンネームはナッキー)は類推してしまう。






指原莉乃が週刊文春に元カレとの恋愛(セックスを暗示)発覚は、自らが売れるとは予測できず、下積み時代に、愚かなことをやらかした、と感じたが、






深謀遠慮の峯岸みなみをプロデュースする者は、意図的に、アイドルからタレントに脱皮して有名になるために、恋愛発覚というチャンスをいかして坊主になった、とsecond guess 結果論ではあるが思えてくる。






指原莉乃がスキャンダルによりHKT48に転勤し、翌年選抜総選挙で1位になり、アイドルではないがタレントして活躍しているのは、マイナスをプラスに変えたというものすごく低い確率のことがおきている。






白鵬は審判批判をしたので、これからは悪役として、ファンに罵倒されるような気がする。罵倒されないまでも、相手力士を応援するファンの声が相撲場一杯に響き渡るかもしれない。



33回の優勝を達成し、力士としての目標がみえない白鵬は、ファンを敵に回し、「なにくそ、おれは勝ってやる」と自らを鼓舞して相撲をとる、というマイナスをプラスに変える深謀遠慮があるのかもしれないと、妄想してみた。






白鵬の審判批判に私が冷静なのは、正しくないことをした白鵬に、「彼は、そういう人間なのだ」と観察はするけど、腹を立てることは全くないから。事実として受け止めるだけ。






一番好きなアイドルが、恋愛スキャンダルで辞退した時は、冷静に「これからの自分のアイドル鑑賞がどうなるか」を書いた。

一番好きな相撲の、一番立派で強い白鵬が審判をして世間のバッシングを受けても、冷静に、耳をかたむけ考えるだけ。






羽黒蛇

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2015年02月08日 | 情実相撲・八百長・防止案など羽黒蛇意見
琴光喜の解雇は異常に厳しすぎる処分だった(羽黒蛇)






相撲協会は、いろいろと批判はされるものの、相撲という文化を継承している点では、プラスの評価を与えたい。

そして、公益法人で税金が優遇されているということは、国民の税金により相撲協会が活動しているとも言えるので、不祥事の処分は、世の中の常識に照らし合わせて行って欲しい。

処分のルールが明文化されていないので、時に甘すぎ、時に厳しすぎるのは問題である。






ここ数年いろいろな事件が起きたが、解雇しなければならない重大事件は次の三つ。

その一:弟子に暴力をふるった時津風親方(元双津竜)と兄弟子

その二:暴力団と交際していた木瀬親方(元肥後の海)

その三:パチンコに肖像権を売った小林顧問 (尚、公益法人でなければ、ビジネスとしてパチンコに肖像権を売るのは、解雇にあたらない)











一方、降格という処分が明文化されていないので、結果として解雇となってしまった「厳しすぎる」処分はたくさんある。例えば、

その一:春日錦のメールより八百長が疑われた力士たち。自主的に引退、引退を拒否したら解雇された。(罪の重さに応じて、降格が妥当だったと思う。)

その二:プライベートな問題で、自主的に引退した朝青龍。(引退させるなら、序ノ口に降格して欲しかった)

その三:野球賭博をした琴光喜(大関から幕尻に降格くらいが妥当だったと思う。)

その四:巡業を休んでサッカーをした朝青龍は、出場停止ではなく、大関に降格がよかった。横綱の場合、降格の方が重い処分である。力士は相撲をとらないと衰えるので、出場させることを前提に処分を決めて欲しい。






以上は、shin氏から頂いたコメントを読んで書きたくなったもの。

パチンコ問題を忘れてはならないし、風化させてはならない。

このブログは、小林顧問が解雇されるまで、相撲ファンに、パチンコ問題を思い出してもらうように、繰り返し、しつこく、書いていく。






shin氏コメントを引用

「白鵬の場合、取組中汗を拭かない、懸賞金の取り方、ダメ押し、遅刻癖etc.で、以前からファンの批難の集中砲火を浴びていた。ただ、今回の審判批判もほぼノーペナルティで終わりそうだ。

7日に琴光喜の断髪式が行われた。白鵬を含む3横綱が出席して、留めバサミは佐渡ヶ嶽親方ではなく貴乃花親方だった。

もうワケがわからない。野球賭博でクビを切られて、つい1年前まで相撲協会と係争していた元大関に、こんな祝福をする必要があるのか。

相撲協会は、「何がOKで、何がアウトなのか」はっきりさせてほしい。」






スポーツ報知を引用

「野球賭博で解雇の琴光喜が断髪式 貴乃花親方が止めばさみ

スポーツ報知 2月8日(日)7時4分配信

貴乃花親方が止めばさみ琴光喜が断髪式凄く誇りに思う 野球賭博に関与したとして10年7月に日本相撲協会を解雇された元大関・琴光喜の田宮啓司氏(38)が7日、東京都内で断髪式を行い大銀杏(いちょう)に別れを告げた。白鵬(29)=宮城野=をはじめ3横綱や、大関・琴奨菊(31)=佐渡ケ嶽=ら約350人がはさみを入れた。田宮氏は涙を流す場面もあり「スッキリした。寂しさはこの何年間かでだいぶ薄れた」と感想を明かした。

 解雇されたという事情からか元師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇・琴ノ若)は姿を見せず、止めばさみは貴乃花親方が入れる異例の形となった。同氏は「相撲界に入ったときからあこがれの人だったので」と説明。「そういう方にやっていただき、すごく誇りに思う」と感慨深げだった。貴乃花親方は止めばさみを引き受けたことに「これから長い人生があるから、一つの門出としてね。盛大で良かった」と語った。

 田宮氏は相撲協会を相手取り地位確認を求めた訴訟を起こしたが、昨年2月の控訴審判決で請求を退けられ角界への復帰を断念した。長男・愛喜くん(5)は今月1日の「白鵬杯」に出場。田宮氏は「息子が相撲をやっているし、いろんな形で(相撲界に)恩返しできたら」と話していた。」

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2015年02月07日 | 歴史
大達が検査役に物言いをつけたという一番(羽黒蛇)










相馬基著「相撲五十年」の21頁より引用。



大達羽左衛門が小結に栄進した明治17年の五月場所七日目、無敵を誇る初代梅ケ谷をやぶって意気軒昂、



翌日の相撲は、物言いのついたむつかしい相撲であったが、結局負けになった。



検査役の判定に大達は不服だった。



こんどは大達が検査役に物言いをつけ、拳骨をふりあげる騒ぎである。



それまで師の高砂は検査役として四本柱前で静観していたが、これには驚いてかけより、大達の肩に手をかけて、「よせ、よせ」と引きとめた。



興奮した大達は「やかましいやいッ」と、体を張ったところ、高砂は思わず横にのめって土俵下へ落ちてしまった。



こんなことで、せっかく金星を射止めた新小結の大達も、次場所には幕尻の張出しに落とされてしまった。(引用終わり)










星取表を見ると、この一番は大達が勝っている。



明治17年5月場所の大達は、七日目大関(横綱)梅ケ谷に勝った翌日の八日目は小結剣山に勝ち、九日目は大鳴門に勝ち、小結で8勝0敗1分で優勝。



関脇西ノ海は5勝2敗1分1預と成績では不利なのに翌場所大関に昇進。大達は張出。関脇は高見山。



大達が張出なのは、西ノ海を大関に昇進させた高砂親方と決裂したから。自分が大関に昇進すべきだったと主張。翌場所張出になったが、上位陣と対戦しているので幕尻ではない。










大達は土俵下で審判に文句をつけた。



白鵬は場所が終わってから審判に文句をつけた。



大達の気性は、「物言いつけないのか」と審判をにらんだ朝青龍にイメージが近い。



白鵬がファンの反感をかったのは、大達の後、朝青龍・白鵬まで審判批判を公言した力士がいないから。審判を批判しないことが力士の所作として確立している。これに逸脱したから。










羽黒蛇



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2015年02月04日 | 歴史


浪ノ音の振分親方はいつ出羽一門に入ったのだろうか(羽黒蛇)、










浪ノ音、高砂部屋。明治39年1月新入幕、明治40年5月関脇、大正3年5月引退。引退後、振分親方。相撲レファレンスの株歴史によると、



大正3年5月(KA)~大正8年まえ(HB)高砂部屋付き



大正8年まえ(HB)~昭和15年5月(HI)振分部屋親方



昭和15年6月(HI)~昭和16年12月(HB)玉ノ井部屋付き



昭和17年1月(HB)~昭和22年10月(HS)振分部屋親方



昭和22年11月(HS)~昭和36年1月1日(RM)出羽海部屋付き










引退後の部屋付き親方の時の部屋持ち親方は、



元関脇高見山の高砂親方(大正3年6月まで)



元大関朝潮の高砂親方(大正4年1月から)



元十両陸奥錦の玉ノ井親方



元小結両国の出羽海親方(昭和24年1月まで)



元横綱常ノ花の出羽海親方



元前頭一出羽ノ花の出羽海親方(昭和35年12月から)










相撲玉手箱によると、「大正 3年の高砂襲名争いでは、温和な性格を見込まれて高砂の婿に成って相続してはと一門の年寄達から勧められたが即座に辞退し、同郷の綾川を担ぎ出したが敗れて出羽ノ海一門に転じた。」
相撲レファレンスは、昭和3年以降高砂部屋付き。出羽一門に移ったのはいつ???










陸奥錦の玉ノ井の株歴史を見ると、振分部屋付きの親方から、昭和15年6月には部屋持ち。同時に振分が部屋付き。



昭和17年1月に振分が部屋を再開した時、玉ノ井部屋は続いている。部屋が分かれたようだ。



玉ノ井部屋は昭和21年10月に閉めて、出羽海部屋の部屋付き親方に。



振分部屋は、昭和22年11月に閉めて、出羽海部屋の部屋付き親方に。










大相撲記録の玉手箱によると、陸奥錦は浪ノ音の養子。高砂一門の陸奥錦の玉ノ井親方、高砂一門の浪ノ音の振分親方、いずれも部屋をしめると出羽海部屋へ。部屋持ち親方の当時から出羽一門だったのか???










昭和28年の雑誌「相撲」増刊「相撲通になるまで」には、玉ノ井と振分が出羽海部屋所属と記載あり。










博多のちゃんこ料理「上潮」で、元十両の上潮さんから聞いた話。



昭和43年5月新十両、昭和46年11月引退。高砂部屋の上潮は、元浪ノ音の振分親方から、昔の相撲の話をよく聞かされたそうです。










玉手箱によると、波ノ音は「部屋を経営しながら宿禰神社の社務を請け負い、昭和23年には家を建てて住みながら神社を管理し、28年 6月から正式に社務専属で奉仕した。」
上潮さんが振分と話をしたのは、昭和36年1月に定年引退後、宿禰神社時代。高砂部屋に出入りしていたということ。










羽黒蛇

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2015年02月02日 | 大達羽左ェ門@OdateUzaemon
野球(大達羽左ェ門@OdateUzaemon)






@OdateUzaemon: 力士の野球チームの嚆矢となったのは大正3年のそれで、東都中学の覇者慶応普通部と試合をしたらしい。常陸山御大が米国メジャーを見て、野球チーム結成を考えたのが明治40年だから、7年後ということになる。 #sumo

@OdateUzaemon: @dharma_pioline 記憶が曖昧で、確かに常陸山は野球チームを組織しようとしましたが、実際に存命中に結成されたか自信がありません。しかし出羽海の野球チームが相撲界最古なのは確実だと思います。昭和初期は宮城山が上手だったらしいです。昭和27年の雑誌相撲に書いてありました。

@OdateUzaemon: @dharma_pioline あとは栃木山が参加していたと書いてありましたね。
補足すると、宮城山が参加しているということは、出羽海部屋中心とはいえ他の一門の力士も参加していたんだと思います。
当時の記事などあればいいんですが...

@OdateUzaemon: @dharma_pioline そうですね。後は、常陸山が渡米でメジャーの野球観戦した事と、常陸嶽が野球チームの主将であったことが書いてあったと思います。
話が逸れましたが、常陸山は剛腹な上、無邪気な程好奇心旺盛だったと感じます。明治後期のバンカラの体現者と言っても良さそうです。

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
昭和13年1月30日
二月二日正午、濱町グラウンドで丁髷野球大試合。かたや幡瀬川率いる神様チーム、かたや前田山等の高砂ナイン。公園側では、当たればホームランの猛打揃いとあって、隅田川にボールが入らぬよう河岸に金網を張ろうかと気を揉んでいる。 #sumo

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2015年02月02日 | 大達羽左ェ門@OdateUzaemon
常陸嶋 (大達羽左ェ門@OdateUzaemon)






@OdateUzaemon: 1足取りで後世に名を残す常陸嶋がとある一番で、踏切がありとして軍配が相手に上がったが物言いとなり、ここで左足小指が土俵外に出たと主張する行司に対し、常陸は己の左足に小指が欠けているのを見せてとうとう差違えで常陸の勝となった逸話。小島貞二氏は相手も場所も不明とするが、 #sumo






@OdateUzaemon: 2この一番に関して酒井忠正相撲随筆を見ると相手は清瀬川とある。強豪清瀬に幕内中堅がいい所の常陸嶋だと、常陸の勝相撲は少ないから日時を調べてみる事に。レファレンスを見れば常陸白星は三番、しかしこれらの手捌は全て清瀬のヘマで足を取られたもの、物言のつくような相撲でない。 #sumo






@OdateUzaemon: 3さればと預となっている大正13年5月の一番の手捌を見れば以下の通りである。常陸右下手、清瀬の右上手投が利かずに常陸に寄られるところを清瀬うっちゃりで行司常陸に上がり、物言の結果預、清瀬丸星で常陸は半星に決した。清瀬のうっちゃりの辺り酒井氏の記載に類似している。 #sumo






@OdateUzaemon: 4異なるのは二点、軍配が初め常陸に上がっている所、また評定結果は常陸の白星では無く預、しかも清瀬有利の丸星である。この辺りの相違があるからあえて小島氏はこの相撲を日時のみならず相手も不明としたと見る。本件に関して情報お持ちの方お待ちしております。 #sumo






相撲レファレンスより

常陸嶋 朝治郎 (ひたちしま あさじろう)

最高位 前頭 5

生年月日 明治30年3月11日

出身地 大阪府大阪市

身長 体重 173センチ 98キロ

所属部屋 出羽海

初土俵 大正3年5月

最終場所 昭和7年1月

幕内戦歴 103勝128敗37休1分2預/232出(25場所)、2金星

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2015年02月01日 | 公表原稿(羽黒蛇、読者)
尾形六郎兵衛 著「六十年目の自画像」明治の大関大達の記述を引用(羽黒蛇)






昭和37年の本、「六十年目の自画像」より、大関大達の記述を引用。

大達は、力はたいへん強く、両手で相手の首を挟みつけて投げ倒す、いわゆる徳利投げという技をよく用いた。また仕切りのときは、両手を土俵の上におろさず、拳骨(げんこつ)を相手の目の前に出してチラつかせ、相手の立ち上がりを誘う中腰仕切りをやっていたという。大達の相撲振りは、もとより技巧派ではなかった。力相撲の強引相撲で、恐るべき荒法師であったようだ。






大達は、喜怒哀楽を露骨に現わす直情径行的な人柄であったとおもう。しかし、それだからといって、大達を非難するのは当たらない。こういう英雄的人物は、勝れた特長と、大きな欠陥とが、その中に共存するのが世の常だからである。引用終わり。






白鵬は大達タイプの力士なのかもしれない。羽黒蛇