羽黒蛇、大相撲について語るブログ

相撲ファンから提供された記事・データも掲載。頂いたコメントは、記事欄に掲載させて頂くことがあります。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2015年02月02日 | 大達羽左ェ門@OdateUzaemon
野球(大達羽左ェ門@OdateUzaemon)






@OdateUzaemon: 力士の野球チームの嚆矢となったのは大正3年のそれで、東都中学の覇者慶応普通部と試合をしたらしい。常陸山御大が米国メジャーを見て、野球チーム結成を考えたのが明治40年だから、7年後ということになる。 #sumo

@OdateUzaemon: @dharma_pioline 記憶が曖昧で、確かに常陸山は野球チームを組織しようとしましたが、実際に存命中に結成されたか自信がありません。しかし出羽海の野球チームが相撲界最古なのは確実だと思います。昭和初期は宮城山が上手だったらしいです。昭和27年の雑誌相撲に書いてありました。

@OdateUzaemon: @dharma_pioline あとは栃木山が参加していたと書いてありましたね。
補足すると、宮城山が参加しているということは、出羽海部屋中心とはいえ他の一門の力士も参加していたんだと思います。
当時の記事などあればいいんですが...

@OdateUzaemon: @dharma_pioline そうですね。後は、常陸山が渡米でメジャーの野球観戦した事と、常陸嶽が野球チームの主将であったことが書いてあったと思います。
話が逸れましたが、常陸山は剛腹な上、無邪気な程好奇心旺盛だったと感じます。明治後期のバンカラの体現者と言っても良さそうです。

@OdateUzaemon: 大相撲きょうの記事
昭和13年1月30日
二月二日正午、濱町グラウンドで丁髷野球大試合。かたや幡瀬川率いる神様チーム、かたや前田山等の高砂ナイン。公園側では、当たればホームランの猛打揃いとあって、隅田川にボールが入らぬよう河岸に金網を張ろうかと気を揉んでいる。 #sumo

記事のタイトルを入力してください(必須)

2015年02月02日 | 大達羽左ェ門@OdateUzaemon
常陸嶋 (大達羽左ェ門@OdateUzaemon)






@OdateUzaemon: 1足取りで後世に名を残す常陸嶋がとある一番で、踏切がありとして軍配が相手に上がったが物言いとなり、ここで左足小指が土俵外に出たと主張する行司に対し、常陸は己の左足に小指が欠けているのを見せてとうとう差違えで常陸の勝となった逸話。小島貞二氏は相手も場所も不明とするが、 #sumo






@OdateUzaemon: 2この一番に関して酒井忠正相撲随筆を見ると相手は清瀬川とある。強豪清瀬に幕内中堅がいい所の常陸嶋だと、常陸の勝相撲は少ないから日時を調べてみる事に。レファレンスを見れば常陸白星は三番、しかしこれらの手捌は全て清瀬のヘマで足を取られたもの、物言のつくような相撲でない。 #sumo






@OdateUzaemon: 3さればと預となっている大正13年5月の一番の手捌を見れば以下の通りである。常陸右下手、清瀬の右上手投が利かずに常陸に寄られるところを清瀬うっちゃりで行司常陸に上がり、物言の結果預、清瀬丸星で常陸は半星に決した。清瀬のうっちゃりの辺り酒井氏の記載に類似している。 #sumo






@OdateUzaemon: 4異なるのは二点、軍配が初め常陸に上がっている所、また評定結果は常陸の白星では無く預、しかも清瀬有利の丸星である。この辺りの相違があるからあえて小島氏はこの相撲を日時のみならず相手も不明としたと見る。本件に関して情報お持ちの方お待ちしております。 #sumo






相撲レファレンスより

常陸嶋 朝治郎 (ひたちしま あさじろう)

最高位 前頭 5

生年月日 明治30年3月11日

出身地 大阪府大阪市

身長 体重 173センチ 98キロ

所属部屋 出羽海

初土俵 大正3年5月

最終場所 昭和7年1月

幕内戦歴 103勝128敗37休1分2預/232出(25場所)、2金星