羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2011年1月場所前(真石博之)

2010年12月31日 | 相撲評論、真石博之
○白鵬の連勝が63で止まりました。運命の稀勢の里戦。立ち合いは白鵬の勝ちでした。右足から踏み込み、左肩で当って稀勢の里の出足を止め、両差しの形で相手の中に入り前に出たところまでは一方的な優勢。ところがここで、稀勢の里が上手を狙いにいっていた右手をノド輪に変えて距離をとり、続いて得意の小さな突き落としを左から右と見舞いました。ここで白鵬が右、左と張ったのが悪く、上体が起きてしまい、稀勢の里得意の左四つになられて形勢は完全に逆転。このあとの展開が、相手が他の力士であれば、白鵬が凌いで再逆転するのですが、体重が24㎏重く、馬力にかけては天下一品の稀勢の里に右上手を引きつけられ、攻め立てられ、白鵬の完敗となりました。(9月場所前の測定で白鵬149㌔ 稀勢の里173㌔)





○この一番で歴史に名を残すことになった殊勲の稀勢の里。入幕までは白鵬とほぼ同じスピードで出世していました。年齢は白鵬より1年4カ月若く、入門は1年あと。十両入りの段階では、その差を2場所遅れまでに縮めていました。17歳9カ月での十両昇進は貴花田に次ぐ昭和以降2位の若さでした。日本人力士のホープとして、一気に大関・横綱への昇進が期待されましが、その期待は裏切られ続けてきました。


立ち合いで張り手にいって立ち腰になったところを攻め込まれる。脇が甘い。回しを取らずに前に出ては土俵際で逆転される。こうした同じ負け方を繰り返してきました。ある相撲同好会でのこと。『馬力だけでいけるのは関脇まで。その上はここですよ』と言って頭を指差したのは講師の鳴戸親方。元横綱・隆の里で稀勢の里の師匠です。「これは稀勢の里のことだな」と皆が感じたものでした。しかし、九州場所での稀勢の里は、豊真将戦、豊ノ島戦で同じ失敗はしたものの、理詰めの取り口が多くなりました。まだ24歳。幕内4番目の若さです。あと一度だけ、我慢して期待してみます。




○今年の大相撲は、朝青龍への異例の引退勧告、「野球賭博事件」と「暴力団観戦事件」で多くの力士と年寄への処分、理事長の交代、NHK中継放送中止と、土俵の外は、これ以上荒れようがないほど荒れました。それを土俵の上で一人で支えたのが白鵬でした。一年で負けたのは4回だけ。昨年に続いて86勝の年間最多勝を記録。連敗を止められた時、『これが、負けか』とつぶやき、『勝ちにいってしまった』が反省の弁でした。この一敗のあと、双葉山も大鵬もつまずいてしまった所で一度も負けなかったのが立派でした。相撲界への貢献は特筆大書すべきでしょう。いまだ25歳。好漢、ますますの精進を願うところです。





○前回、不甲斐ない大関陣に触れた中で、「やっとこさ相撲をとっている魁皇」と書いてしまい、大変失礼いたしました。何と6年ぶりの12勝で、優勝にもからむ大健闘でした。去年1月場所から今年9月場所までの11場所で、8勝が8回、9勝が2回、6勝が1回ですから、突然変異的な快進撃でした。本人が「脚のふんばりがきく」と語りましたが、確かに、肉体的な大きな復調があってこそ実現した12勝でしょう。通算勝星は1026勝。幕内勝星は858勝で2位栃乃洋の535勝とは300勝以上の大差。あの貴乃花、若乃花、曙と入門が同期。どれをとってみても特別な存在です。土佐ノ海の引退で、今や関取最年長。38歳5カ月で迎える初場所です。(別紙『長身・短身/・・・/年長・年少/幕内通算勝数』)





○ここ4場所、負けない白鵬の独走で優勝争いの興味が消えていましたが、九州場所では豊ノ島が優勝決定戦にまでもつれこむ大健闘を見せてくれたのは嬉しいことでした。しかも、『優勝戦線を意識しています』と明言していたのは立派です。野球賭博での謹慎休場で十両に落ち、14勝1敗で優勝して戻ってきた幕内で、連続しての14勝。心に強く期すものを感じさせてくれる見事な準優勝でした。   


○公式年収でも白鵬が記録を塗り替えました。過去の最高額は、年6場所を完全制覇した5年前の朝青龍の2億0222万円でしたが、今年の白鵬は2億2652万円です。これは懸賞金の増加によるものです。昨今、1本6万円の懸賞金の広告効果が見直され、1社で一番に3本も5本も懸けることが増え、しかも、結びの一番に集中します。その結果、白鵬が獲得した年間の懸賞金は初めて1億円を越え、公式年収の半分以上にまでなったのです。大関陣では、人気の魁皇が懸賞金の多さと業績の積み重ねである給金の多さで他を圧倒しました。なお、私が公式年収と呼んでいるのは、力士が相撲協会から支給されるものと大きな花相撲での賞金です。かなり高額といわれる陰の収入はつかめません。 (別紙『横綱大関の公式年収』)





○素晴らしい四股名の関取が生まれました。鳰の湖です。「鳰」とは冬の季語でもある水鳥カイツブリの古名「鳰の海」は琵琶湖の古名です。新古今和歌集に『鳰の海や月の光にうつろへば波の花にも秋は見えけり』(藤原家隆)とあるなど、歌も多いそうです。これぞ滋賀県の力士に相応しい個性的な四股名です。しかも、日本語の音(オン)としても綺麗です。須らく、四股名はこうあってほしいものです。




以前にも書きましたが、佐渡ケ嶽部屋の琴、片男波部屋の玉、尾車部屋の風など、4割近い部屋で、統一的、もっと言えば、全体主義的な四股名が個々人の個性・属性を奪っています。さらには、キセノサト、ゴーエイドー、ホーマショーなど、日本語の音(オン)として不自然で、その音からは漢字が連想できない無粋な四股名が幅をきかせているのは嘆かわしいことです。




○初場所の番付で、ちょっとした異変が起きました。新十両2人、再十両2人がすべて出羽海一門、しかも、北の湖部屋と玉ノ井部屋が2人ずつなのです。この結果、十両28人のうち、出羽海一門が過半の16人を占めるという最近にはないことが起りました。幕内と十両を合せた関取70人でみても、出羽海一門が丁度4割に当たる28人で、他の一門を大きく上回っています。      (別紙『部屋別勢力分布』)





○相撲協会は昨24日の理事会で、『交際していた女性に「大相撲に八百長がある」と語ったことが報道されるなど、師匠の品行として相応しくないことがあった』として、宮城野(元十両金親)の主任から平年寄への降格を決定し、熊ケ谷(元幕内竹葉山)と名跡を交換して師匠(部屋持ち親方)を交代するよう勧告しました。しかし金親は、その場ではこの勧告を受け入れず、紛糾する可能性もあるようです。3年前の金親の事件の処分を今になって行うのは、八百長報道裁判の決着(下記)を待っていたからなのでしょう。



少しややこしい話ですが、そもそも、金親が宮城野部屋の主になったのがおかしいのです。平成の元年から16年まで、宮城野部屋は竹葉山が経営し、白鵬らを育てていました。ところが、この15年の間、竹葉山は宮城野の株を所有しておらず、先代宮城野(元小結廣川)の未亡人から年寄株と部屋の土地・建物を借りていたのです。そして、平成16年になって、突然、先代宮城野の次女と結婚した金親が、先代未亡人と養子縁組をして宮城野部屋を横取りする形になったのです。竹葉山は名跡を宮城野から熊ケ谷に替え、部屋付き親方に甘んずることになりました。今回の理事会の決定は、この経緯も勘案したのでしょうか。




○さんざ世の中を騒がせた「週刊現代」の八百長報道をめぐる二つの名誉棄損訴訟。最高裁は、相撲協会側が訴えていた名誉棄損を認め、発行元の講談社側に4400万円と385万円の賠償を命ずる判決を下しました。この種の裁判としては異例に高額な賠償額とのことですが、あることないことを書き立て、雑誌を売るだけ売ったのです。講談社は「5000万円なら安くついた」とうそぶいているのでしょうか。





それでは、良い年をお迎え下さい。


平成22年12月25日   真石 博之

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2010年12月16日 | 幕内の「最高」優勝とは
14勝1敗 と 13勝0敗2分 どちらが優勝か (羽黒蛇)






一つ前の

中村淳一
さんからの問題提起は、1ヶ月前にいただいていた。

偶然にも、昨日読んだ本に、関連する記述を発見したので引用する。






書名:相撲五十年

著者:相馬基

出版社:時事通信社

発刊日:昭和30年7月1日






優勝争いの状況を要約すると、次の通り。

大正14年1月場所、10勝1引分で優勝した栃木山は、太刀山と同数の9回目の優勝を果たした。

3日目に苦手の清瀬川にじっくり構え引分をとり、千秋楽には優勝をかけて、西ノ海と相対した。

西ノ海は、7日目に常陸島に敗れたが、9勝1敗の星で栃木山との一戦に臨んだ。






栃木山 9勝0敗1引分

西ノ海 9勝1敗






栃木山が勝つと

栃木山 10勝0敗1引分

西ノ海 9勝2敗

これは、文句なく栃木山の優勝。






西ノ海が勝つと

栃木山 9勝1敗1引分

西ノ海 10勝1敗

これは、負け数が同じで、勝ち数の多い方、つまり西ノ海の優勝。

ここまでは分かり易い。






では、二人が引き分けるとどうなるのか。

栃木山 9勝0敗2引分

西ノ海 9勝1敗1引分

これは、勝ち数が同じで、負け数の少ない方、つまり栃木山の優勝。






以下、「相撲五十年」より引用。

Quote

西ノ海が勝てば、栃木山は一引分しているだけに、西ノ海が優勝できるのである。引分なら、栃木山の優勝になるから、栃木山としては大事をとり、西ノ海は勝身に出るだろう、というのが一般の予想であった。

Unquote

勝負は栃木山が勝ち、優勝。この場所を最後として引退を声明した。






この場所の星取表をリンク http://gans01.fc2web.com/taisho/T14-1.html 






当時の番付より

横綱 栃木山 32才 優勝9回 横綱14場所目

横綱 西ノ海 33才 当時横綱4場所目 翌場所に優勝(唯一の優勝)横綱として15場所(うち6場所は全休)

横綱 常ノ花 28才 当時優勝2回 横綱2場所目 横綱を20場所つとめ優勝10回

大関 太刀光 28才 当時大関4場所目 大関を9場所つとめる 優勝なし

大関 大ノ里 33才 当時大関1場所目 大関を24場所つとめる 優勝なし











さて、タイトルにある疑問

9勝0敗2引分  と

10勝1敗  のどちらが優勝となるのかは、依然疑問として残る。






感覚的には、10勝1敗が優勝なのではないかと思うが、優勝決定戦でもよいと感じる。






羽黒蛇

14勝1敗 と 13勝0敗2分 どちらが優勝か (羽黒蛇)






一つ前の

中村淳一
さんからの問題提起は、1ヶ月前にいただいていた。

偶然にも、昨日読んだ本に、関連する記述を発見したので引用する。






書名:相撲五十年

著者:相馬基

出版社:時事通信社

発刊日:昭和30年7月1日






優勝争いの状況を要約すると、次の通り。

大正14年1月場所、10勝1引分で優勝した栃木山は、太刀山と同数の9回目の優勝を果たした。

3日目に苦手の清瀬川にじっくり構え引分をとり、千秋楽には優勝をかけて、西ノ海と相対した。

西ノ海は、7日目に常陸島に敗れたが、9勝1敗の星で栃木山との一戦に臨んだ。






栃木山 9勝0敗1引分

西ノ海 9勝1敗






栃木山が勝つと

栃木山 10勝0敗1引分

西ノ海 9勝2敗

これは、文句なく栃木山の優勝。






西ノ海が勝つと

栃木山 9勝1敗1引分

西ノ海 10勝1敗

これは、負け数が同じで、勝ち数の多い方、つまり西ノ海の優勝。

ここまでは分かり易い。






では、二人が引き分けるとどうなるのか。

栃木山 9勝0敗2引分

西ノ海 9勝1敗1引分

これは、勝ち数が同じで、負け数の少ない方、つまり栃木山の優勝。






以下、「相撲五十年」より引用。

Quote

西ノ海が勝てば、栃木山は一引分しているだけに、西ノ海が優勝できるのである。引分なら、栃木山の優勝になるから、栃木山としては大事をとり、西ノ海は勝身に出るだろう、というのが一般の予想であった。

Unquote

勝負は栃木山が勝ち、優勝。この場所を最後として引退を声明した。






この場所の星取表をリンク http://gans01.fc2web.com/taisho/T14-1.html 






当時の番付より

横綱 栃木山 32才 優勝9回 横綱14場所目

横綱 西ノ海 33才 当時横綱4場所目 翌場所に優勝(唯一の優勝)横綱として15場所(うち6場所は全休)

横綱 常ノ花 28才 当時優勝2回 横綱2場所目 横綱を20場所つとめ優勝10回

大関 太刀光 28才 当時大関4場所目 大関を9場所つとめる 優勝なし

大関 大ノ里 33才 当時大関1場所目 大関を24場所つとめる 優勝なし











さて、タイトルにある疑問

9勝0敗2引分  と

10勝1敗  のどちらが優勝となるのかは、依然疑問として残る。






感覚的には、10勝1敗が優勝なのではないかと思うが、優勝決定戦でもよいと感じる。






羽黒蛇

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2010年12月16日 | エッセイ、情報、もろもろ、相撲記事
宮城野親方・序ノ口力士17才 (羽黒蛇)








新聞報道より



その1



日本相撲協会は15日、東京・両国国技館で臨時理事会を開き、宮城野親方(元十両金親)が「週刊現代」の八百長疑惑報道の中で不適切な発言をしたとされる問題について同親方の処分を協議し、本人に弁明の機会を与えた上で24日に処分を決めることにした。



その2



今月5日に福岡県内で17歳の序ノ口力士が窃盗未遂で逮捕された問題で、日本相撲協会の放駒理事長は9日、力士が所属する部屋の師匠から事件の内容などの報告を受けた。力士は現在も保釈されていない。













その1について、朝日新聞では、



見出し:横綱白鵬の師匠、交代へ



本文要約:日本相撲協会は宮城野部屋の師匠を宮城野親方(元十両金親)から熊ケ谷親方(元幕内竹葉山)に交代させる方針を固めた。年寄名跡(親方株)を交換させる。



http://www.asahi.com/sports/update/1215/TKY201012150560.html 



交代と書いたのは朝日新聞だけのようで、他紙は処分は24日に決定するとだけ記載している。朝日のみ、何らかのニュースソースを持っているようだ。








その2について、序ノ口で17才の力士を調べてみたら、(平成5年生まれ)



琴岡崎 http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11760&l=j 



坂口山 http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11874&l=j 



櫻井  http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11765&l=j



琴高橋 http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11766&l=j 



隆秋田 http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11757&l=j 



山野  http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11888&l=j



大貫  http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11810&l=j 



貴王良 http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11820&l=j 



于 http://sumodb.sumogames.com/Rikishi.aspx?r=11911&l=j 



序ノ口60人のうち、9人が17才。








週刊プレイボーイの記事を添付する http://wpb.shueisha.co.jp/2010/12/15/1588/ 金欠力士急増








羽黒蛇

「優勝の定義」 (中村淳一、佐藤浩)

2010年12月14日 | 読者からのコメント、中村淳一他読者の投稿
「優勝の定義」に関する、佐藤氏と筆者のメール応答




佐藤 浩 様




  以前から疑問に思っており、10数年前に相撲誌の質問コーナーに投稿し取り上げてはもらえなかったことで、ブログに書こうかと思っていたことがあるのですが、


佐藤様であればご存知かと思い、質問させていただきます。それは「優勝の定義」です。


勝ち星の最も多い力士なのか、勝ち越し数の最も多い力士なのか。




1. A、13勝2敗  B.13勝1敗1引分


2. A 13勝2敗  B.12勝1敗2引分
3. A 13勝2敗  B.12勝   3引分




前者であれば、1は優勝決定戦。 2.3.はAの優勝


後者であれば、1. 3.はBの優勝。 2は、優勝決定戦ということになりますが


どうなのでしょうか。




感覚的には、まず、勝ち星の最も多い力士。それが同一であっても勝ち越し数に差があれば、勝ち越し数の多い力士。


上記であれば、1は、B。 2. 3.はAの優勝なのかなという気はしますが、


分かりません。なにか明文化された定義はあるのでしょうか。


(佐藤様の過去のご記載からは、優勝制度がなかった時期に関しては、佐藤様も独自にご判断されていらっしゃったと拝察いたしますが、優勝制度が確立した今も明文化されたものはないのでしょうか)


                             中村淳一




中村淳一様




「優勝の定義」について、面白い問題提起と思いました。


協会に問い合わせたことはありませんが、明文化された定義はないのではないでしょうか。


1の例は昭和以降で2件あります。昭和24年1月は、東富士10勝2敗1分、琴錦と国登が10勝3敗で、優勝決定戦はなく東富士の優勝。昭和3年3月は、能代潟10勝1分、常ノ花10勝1敗で、常ノ花のほうが地位が上だったにかかわらず能代潟の優勝となっています。これらの例は分が敗より高く評価されていることを示します。今後も1の事態が起これば優勝決定戦は行わずBの優勝とするでしょう。似た例で14勝1敗と13勝1敗1分では、14勝1敗をすんなり優勝とすると推測します。


引き分け、預かりがほとんどない現代では2、3のような例が起こる可能性は極めて低いでしょうが、頭の体操として考えます。引き分けは勝未満で敗を超える評価だとして、これを0.5勝とみなすか、0.5勝超とみなすか、0.5勝未満とみなすかによります。2の例では、引き分けを0.5勝とみれば優勝決定戦、0.5勝超とみればBの優勝、0.5勝未満とみればAの優勝となります。同様に3の例では、引き分けをおよそ0.5勝とみればBの優勝、ほとんど敗に近いとみればAの優勝となるでしょう。私自身の意見は、優勝を争うほどの力士の引き分けは0.5勝+ΔXとの前提から、2の例ではB、3の例でもBを優勝とするのが適当であると考えます。


似たようなことで、もう一つ私が面白いと思い記憶に残っていることをご紹介します。昭和42年11月場所は、終盤まで後続に2勝差をつけ優勝確実と思われていた大鵬が突如休場し、佐田の山が12勝3敗で逆転優勝しました。この場所大鵬は11勝2敗2や。優勝した佐田の山とは勝ち越し点数は同点でした。もし千秋楽の相撲で佐田の山が敗れ5人の優勝決定戦となれば、休場中の力士が決定戦の出場資格を持つという珍事態となるところでした。


                                               佐藤浩




佐藤浩 様




 ご返信ありがとうございます。


 明文化された定義はないのですね。




 そのうち、大砲のような専守防衛型で、1場所で複数の引分も普通に記録するような強豪力士が出現してほしいな、と思います。




定義にこだわりますが、先場所の前、白鵬の連勝記録がぴったり50連勝で終ったら、「超五十連勝力士碑」に名前が刻まれるのか、刻まれないのかどちらなんだろうという疑問も持っていました。碑の主旨からいえば、50連勝ぴったりの力士も刻まれるのでしょうが、50連勝は、超50連勝ではないはずだ。と天邪鬼に思っていました。


昭和42年九州場所のことは覚えています。優勝決定戦になっていた場合の5人の力士が誰だったのかは言えませんが、47年初場所の千秋楽結びで清国が勝っていた場合の10勝5敗の決定戦の8人の出場者の四股名は、その後、長く記憶していました。今も覚えているかな・・・ 清国、琴桜、輪島、長谷川、福の花、栃東、若二瀬・・・あとひとりが誰だったか思い出せません。吉王山だったでしょうか。わりと近年までしっかりと記憶していたはずだったのですが、やはり記憶力は減退しているようです。


その後、48年九州の休場しても優勝力士の出現もありましたし、色々と面白いことは起こっていきますね。




中村淳一様




「超50連勝」のこと、私も大変気になりました。通過点のこととはいえ、多くの報道機関が単に「50連勝で碑に刻まれる」としていたのは情けないことです。


                                                佐藤浩






昭和42年11月場所


東横綱 大鵬    11勝2敗2休


西横綱 佐田の山 12勝3敗


東張出 柏戸    11勝4敗


西大関 玉乃島   11勝4敗


西前5 福の花   11勝4敗




大鵬が13日目に不戦敗の後の横綱2人の対戦相手は、


14日目 ○北の富士(8-6) ●柏戸 (10-4)


14日目 ○佐田の山(11-3) ●陸奥嵐(10-4)


千秋楽 ○柏戸(11-4) ●福の花(11-4)


千秋楽 ○佐田の山(12-3) ●北の富士(8-7)


福の花が千秋楽に勝っていたら、出羽海部屋同士の優勝決定戦。


横綱が3人しかいないのに、佐田の山と柏戸は、12日目に対戦して、柏戸が勝っている。




羽黒蛇