○白鵬の連勝が63で止まりました。運命の稀勢の里戦。立ち合いは白鵬の勝ちでした。右足から踏み込み、左肩で当って稀勢の里の出足を止め、両差しの形で相手の中に入り前に出たところまでは一方的な優勢。ところがここで、稀勢の里が上手を狙いにいっていた右手をノド輪に変えて距離をとり、続いて得意の小さな突き落としを左から右と見舞いました。ここで白鵬が右、左と張ったのが悪く、上体が起きてしまい、稀勢の里得意の左四つになられて形勢は完全に逆転。このあとの展開が、相手が他の力士であれば、白鵬が凌いで再逆転するのですが、体重が24㎏重く、馬力にかけては天下一品の稀勢の里に右上手を引きつけられ、攻め立てられ、白鵬の完敗となりました。(9月場所前の測定で白鵬149㌔ 稀勢の里173㌔)
○この一番で歴史に名を残すことになった殊勲の稀勢の里。入幕までは白鵬とほぼ同じスピードで出世していました。年齢は白鵬より1年4カ月若く、入門は1年あと。十両入りの段階では、その差を2場所遅れまでに縮めていました。17歳9カ月での十両昇進は貴花田に次ぐ昭和以降2位の若さでした。日本人力士のホープとして、一気に大関・横綱への昇進が期待されましが、その期待は裏切られ続けてきました。
立ち合いで張り手にいって立ち腰になったところを攻め込まれる。脇が甘い。回しを取らずに前に出ては土俵際で逆転される。こうした同じ負け方を繰り返してきました。ある相撲同好会でのこと。『馬力だけでいけるのは関脇まで。その上はここですよ』と言って頭を指差したのは講師の鳴戸親方。元横綱・隆の里で稀勢の里の師匠です。「これは稀勢の里のことだな」と皆が感じたものでした。しかし、九州場所での稀勢の里は、豊真将戦、豊ノ島戦で同じ失敗はしたものの、理詰めの取り口が多くなりました。まだ24歳。幕内4番目の若さです。あと一度だけ、我慢して期待してみます。
○今年の大相撲は、朝青龍への異例の引退勧告、「野球賭博事件」と「暴力団観戦事件」で多くの力士と年寄への処分、理事長の交代、NHK中継放送中止と、土俵の外は、これ以上荒れようがないほど荒れました。それを土俵の上で一人で支えたのが白鵬でした。一年で負けたのは4回だけ。昨年に続いて86勝の年間最多勝を記録。連敗を止められた時、『これが、負けか』とつぶやき、『勝ちにいってしまった』が反省の弁でした。この一敗のあと、双葉山も大鵬もつまずいてしまった所で一度も負けなかったのが立派でした。相撲界への貢献は特筆大書すべきでしょう。いまだ25歳。好漢、ますますの精進を願うところです。
○前回、不甲斐ない大関陣に触れた中で、「やっとこさ相撲をとっている魁皇」と書いてしまい、大変失礼いたしました。何と6年ぶりの12勝で、優勝にもからむ大健闘でした。去年1月場所から今年9月場所までの11場所で、8勝が8回、9勝が2回、6勝が1回ですから、突然変異的な快進撃でした。本人が「脚のふんばりがきく」と語りましたが、確かに、肉体的な大きな復調があってこそ実現した12勝でしょう。通算勝星は1026勝。幕内勝星は858勝で2位栃乃洋の535勝とは300勝以上の大差。あの貴乃花、若乃花、曙と入門が同期。どれをとってみても特別な存在です。土佐ノ海の引退で、今や関取最年長。38歳5カ月で迎える初場所です。(別紙『長身・短身/・・・/年長・年少/幕内通算勝数』)
○ここ4場所、負けない白鵬の独走で優勝争いの興味が消えていましたが、九州場所では豊ノ島が優勝決定戦にまでもつれこむ大健闘を見せてくれたのは嬉しいことでした。しかも、『優勝戦線を意識しています』と明言していたのは立派です。野球賭博での謹慎休場で十両に落ち、14勝1敗で優勝して戻ってきた幕内で、連続しての14勝。心に強く期すものを感じさせてくれる見事な準優勝でした。
○公式年収でも白鵬が記録を塗り替えました。過去の最高額は、年6場所を完全制覇した5年前の朝青龍の2億0222万円でしたが、今年の白鵬は2億2652万円です。これは懸賞金の増加によるものです。昨今、1本6万円の懸賞金の広告効果が見直され、1社で一番に3本も5本も懸けることが増え、しかも、結びの一番に集中します。その結果、白鵬が獲得した年間の懸賞金は初めて1億円を越え、公式年収の半分以上にまでなったのです。大関陣では、人気の魁皇が懸賞金の多さと業績の積み重ねである給金の多さで他を圧倒しました。なお、私が公式年収と呼んでいるのは、力士が相撲協会から支給されるものと大きな花相撲での賞金です。かなり高額といわれる陰の収入はつかめません。 (別紙『横綱大関の公式年収』)
○素晴らしい四股名の関取が生まれました。鳰の湖です。「鳰」とは冬の季語でもある水鳥カイツブリの古名「鳰の海」は琵琶湖の古名です。新古今和歌集に『鳰の海や月の光にうつろへば波の花にも秋は見えけり』(藤原家隆)とあるなど、歌も多いそうです。これぞ滋賀県の力士に相応しい個性的な四股名です。しかも、日本語の音(オン)としても綺麗です。須らく、四股名はこうあってほしいものです。
以前にも書きましたが、佐渡ケ嶽部屋の琴、片男波部屋の玉、尾車部屋の風など、4割近い部屋で、統一的、もっと言えば、全体主義的な四股名が個々人の個性・属性を奪っています。さらには、キセノサト、ゴーエイドー、ホーマショーなど、日本語の音(オン)として不自然で、その音からは漢字が連想できない無粋な四股名が幅をきかせているのは嘆かわしいことです。
○初場所の番付で、ちょっとした異変が起きました。新十両2人、再十両2人がすべて出羽海一門、しかも、北の湖部屋と玉ノ井部屋が2人ずつなのです。この結果、十両28人のうち、出羽海一門が過半の16人を占めるという最近にはないことが起りました。幕内と十両を合せた関取70人でみても、出羽海一門が丁度4割に当たる28人で、他の一門を大きく上回っています。 (別紙『部屋別勢力分布』)
○相撲協会は昨24日の理事会で、『交際していた女性に「大相撲に八百長がある」と語ったことが報道されるなど、師匠の品行として相応しくないことがあった』として、宮城野(元十両金親)の主任から平年寄への降格を決定し、熊ケ谷(元幕内竹葉山)と名跡を交換して師匠(部屋持ち親方)を交代するよう勧告しました。しかし金親は、その場ではこの勧告を受け入れず、紛糾する可能性もあるようです。3年前の金親の事件の処分を今になって行うのは、八百長報道裁判の決着(下記)を待っていたからなのでしょう。
少しややこしい話ですが、そもそも、金親が宮城野部屋の主になったのがおかしいのです。平成の元年から16年まで、宮城野部屋は竹葉山が経営し、白鵬らを育てていました。ところが、この15年の間、竹葉山は宮城野の株を所有しておらず、先代宮城野(元小結廣川)の未亡人から年寄株と部屋の土地・建物を借りていたのです。そして、平成16年になって、突然、先代宮城野の次女と結婚した金親が、先代未亡人と養子縁組をして宮城野部屋を横取りする形になったのです。竹葉山は名跡を宮城野から熊ケ谷に替え、部屋付き親方に甘んずることになりました。今回の理事会の決定は、この経緯も勘案したのでしょうか。
○さんざ世の中を騒がせた「週刊現代」の八百長報道をめぐる二つの名誉棄損訴訟。最高裁は、相撲協会側が訴えていた名誉棄損を認め、発行元の講談社側に4400万円と385万円の賠償を命ずる判決を下しました。この種の裁判としては異例に高額な賠償額とのことですが、あることないことを書き立て、雑誌を売るだけ売ったのです。講談社は「5000万円なら安くついた」とうそぶいているのでしょうか。
それでは、良い年をお迎え下さい。
平成22年12月25日 真石 博之
○この一番で歴史に名を残すことになった殊勲の稀勢の里。入幕までは白鵬とほぼ同じスピードで出世していました。年齢は白鵬より1年4カ月若く、入門は1年あと。十両入りの段階では、その差を2場所遅れまでに縮めていました。17歳9カ月での十両昇進は貴花田に次ぐ昭和以降2位の若さでした。日本人力士のホープとして、一気に大関・横綱への昇進が期待されましが、その期待は裏切られ続けてきました。
立ち合いで張り手にいって立ち腰になったところを攻め込まれる。脇が甘い。回しを取らずに前に出ては土俵際で逆転される。こうした同じ負け方を繰り返してきました。ある相撲同好会でのこと。『馬力だけでいけるのは関脇まで。その上はここですよ』と言って頭を指差したのは講師の鳴戸親方。元横綱・隆の里で稀勢の里の師匠です。「これは稀勢の里のことだな」と皆が感じたものでした。しかし、九州場所での稀勢の里は、豊真将戦、豊ノ島戦で同じ失敗はしたものの、理詰めの取り口が多くなりました。まだ24歳。幕内4番目の若さです。あと一度だけ、我慢して期待してみます。
○今年の大相撲は、朝青龍への異例の引退勧告、「野球賭博事件」と「暴力団観戦事件」で多くの力士と年寄への処分、理事長の交代、NHK中継放送中止と、土俵の外は、これ以上荒れようがないほど荒れました。それを土俵の上で一人で支えたのが白鵬でした。一年で負けたのは4回だけ。昨年に続いて86勝の年間最多勝を記録。連敗を止められた時、『これが、負けか』とつぶやき、『勝ちにいってしまった』が反省の弁でした。この一敗のあと、双葉山も大鵬もつまずいてしまった所で一度も負けなかったのが立派でした。相撲界への貢献は特筆大書すべきでしょう。いまだ25歳。好漢、ますますの精進を願うところです。
○前回、不甲斐ない大関陣に触れた中で、「やっとこさ相撲をとっている魁皇」と書いてしまい、大変失礼いたしました。何と6年ぶりの12勝で、優勝にもからむ大健闘でした。去年1月場所から今年9月場所までの11場所で、8勝が8回、9勝が2回、6勝が1回ですから、突然変異的な快進撃でした。本人が「脚のふんばりがきく」と語りましたが、確かに、肉体的な大きな復調があってこそ実現した12勝でしょう。通算勝星は1026勝。幕内勝星は858勝で2位栃乃洋の535勝とは300勝以上の大差。あの貴乃花、若乃花、曙と入門が同期。どれをとってみても特別な存在です。土佐ノ海の引退で、今や関取最年長。38歳5カ月で迎える初場所です。(別紙『長身・短身/・・・/年長・年少/幕内通算勝数』)
○ここ4場所、負けない白鵬の独走で優勝争いの興味が消えていましたが、九州場所では豊ノ島が優勝決定戦にまでもつれこむ大健闘を見せてくれたのは嬉しいことでした。しかも、『優勝戦線を意識しています』と明言していたのは立派です。野球賭博での謹慎休場で十両に落ち、14勝1敗で優勝して戻ってきた幕内で、連続しての14勝。心に強く期すものを感じさせてくれる見事な準優勝でした。
○公式年収でも白鵬が記録を塗り替えました。過去の最高額は、年6場所を完全制覇した5年前の朝青龍の2億0222万円でしたが、今年の白鵬は2億2652万円です。これは懸賞金の増加によるものです。昨今、1本6万円の懸賞金の広告効果が見直され、1社で一番に3本も5本も懸けることが増え、しかも、結びの一番に集中します。その結果、白鵬が獲得した年間の懸賞金は初めて1億円を越え、公式年収の半分以上にまでなったのです。大関陣では、人気の魁皇が懸賞金の多さと業績の積み重ねである給金の多さで他を圧倒しました。なお、私が公式年収と呼んでいるのは、力士が相撲協会から支給されるものと大きな花相撲での賞金です。かなり高額といわれる陰の収入はつかめません。 (別紙『横綱大関の公式年収』)
○素晴らしい四股名の関取が生まれました。鳰の湖です。「鳰」とは冬の季語でもある水鳥カイツブリの古名「鳰の海」は琵琶湖の古名です。新古今和歌集に『鳰の海や月の光にうつろへば波の花にも秋は見えけり』(藤原家隆)とあるなど、歌も多いそうです。これぞ滋賀県の力士に相応しい個性的な四股名です。しかも、日本語の音(オン)としても綺麗です。須らく、四股名はこうあってほしいものです。
以前にも書きましたが、佐渡ケ嶽部屋の琴、片男波部屋の玉、尾車部屋の風など、4割近い部屋で、統一的、もっと言えば、全体主義的な四股名が個々人の個性・属性を奪っています。さらには、キセノサト、ゴーエイドー、ホーマショーなど、日本語の音(オン)として不自然で、その音からは漢字が連想できない無粋な四股名が幅をきかせているのは嘆かわしいことです。
○初場所の番付で、ちょっとした異変が起きました。新十両2人、再十両2人がすべて出羽海一門、しかも、北の湖部屋と玉ノ井部屋が2人ずつなのです。この結果、十両28人のうち、出羽海一門が過半の16人を占めるという最近にはないことが起りました。幕内と十両を合せた関取70人でみても、出羽海一門が丁度4割に当たる28人で、他の一門を大きく上回っています。 (別紙『部屋別勢力分布』)
○相撲協会は昨24日の理事会で、『交際していた女性に「大相撲に八百長がある」と語ったことが報道されるなど、師匠の品行として相応しくないことがあった』として、宮城野(元十両金親)の主任から平年寄への降格を決定し、熊ケ谷(元幕内竹葉山)と名跡を交換して師匠(部屋持ち親方)を交代するよう勧告しました。しかし金親は、その場ではこの勧告を受け入れず、紛糾する可能性もあるようです。3年前の金親の事件の処分を今になって行うのは、八百長報道裁判の決着(下記)を待っていたからなのでしょう。
少しややこしい話ですが、そもそも、金親が宮城野部屋の主になったのがおかしいのです。平成の元年から16年まで、宮城野部屋は竹葉山が経営し、白鵬らを育てていました。ところが、この15年の間、竹葉山は宮城野の株を所有しておらず、先代宮城野(元小結廣川)の未亡人から年寄株と部屋の土地・建物を借りていたのです。そして、平成16年になって、突然、先代宮城野の次女と結婚した金親が、先代未亡人と養子縁組をして宮城野部屋を横取りする形になったのです。竹葉山は名跡を宮城野から熊ケ谷に替え、部屋付き親方に甘んずることになりました。今回の理事会の決定は、この経緯も勘案したのでしょうか。
○さんざ世の中を騒がせた「週刊現代」の八百長報道をめぐる二つの名誉棄損訴訟。最高裁は、相撲協会側が訴えていた名誉棄損を認め、発行元の講談社側に4400万円と385万円の賠償を命ずる判決を下しました。この種の裁判としては異例に高額な賠償額とのことですが、あることないことを書き立て、雑誌を売るだけ売ったのです。講談社は「5000万円なら安くついた」とうそぶいているのでしょうか。
それでは、良い年をお迎え下さい。
平成22年12月25日 真石 博之