羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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平成27年・2015年11月場所前(真石博之) 

2015年10月31日 | 相撲評論、真石博之
11場所の資料をお送りいたします







○秋場所は、日馬富士が休場、白鵬も3日目から休場となり、横綱は鶴竜だけ。その一人横綱が10日目までに2敗を喫してしまい、照ノ富士が全勝で星二つリードする独走の展開。ところが、12日目から俄かに混戦となりました。照ノ富士が稀勢の里戦で怪我をして3連敗となり、2敗の鶴竜が逆転リード。そのまま逃げ切るかと思いきや、千秋楽の対決で照ノ富士が鶴竜を破り、優勝決定戦の末に鶴竜に軍配があがりました。こう書きますと、白熱した優勝争いのようですが、内容はお粗末だったと思います。



一場所に3度も立ち合いに変化した弱い横綱が、実力大関の負傷に助けられての優勝です。この二人による千秋楽の本割と優勝決定戦を出来過ぎた筋書きと感じるのは、へそ曲がりが過ぎるでしょうか。







○白鵬は初日に隠岐の海、二日目に嘉風と連敗。横綱49場所目にして初めての休場に追い込まれましたが、「ここまでよくぞ休まなかった」と賞賛すべきでしょう。「大腿四頭筋(腿の一番大きな筋肉)」を痛めた理由は、師匠の宮城野親方によればオーバーワーク。いつもの場所は、「6~7割の出来で初日を迎えれば終盤にいいものが出る」との判断で、場所直前の2週間だけで仕上げ、それまでは身体を休めることに専念したとのこと。



ところが、秋場所前には長い巡業があり、その間で休んだのは足の指が化膿した4日間だけで、結局、15日間を精勤。そこまでやった理由について白鵬は、「巡業初日に関取衆の前で“長い巡業なので、なるべく稽古をしましょう”と言っちゃった」と振り返っています。さらに番付発表後、耐震性の問題とかで自分の部屋の土俵が使えず、通常より1週間早く出稽古を開始し、他の部屋の関取と、通常の倍の8日連続で稽古をしたとのこと。



この程度でオーバーワークというのは、昔に比べて随分と稽古量が減っていることを物語りますが、その白鵬よりも日本人大関の稽古の方が少ないのですから、困ったことです。







○白鵬のよもやの休場が発表された3日目、生れて初めて一人横綱になった鶴竜は、正に鼎の軽重が問われる局面に立って緊張したのか、頭から真っ向勝負に来た嘉風を引いてしまって完敗。その後の何日かは無難に乗りきったものの、分の悪い妙義龍にも引いてしまって2敗となった翌日の11日目、これも苦手の栃煌山に立ち合いで変化して顰蹙を買いました。さらに14日目、星の差一つで追ってくる稀勢の里との決戦で、立ち合いで右へ飛んだところ、何と手つき不十分で「行司待った」。仕切り直しのあと、あろうことか今度は左に飛びました。本人が「勝ちたい気持が出た。一度目は失敗したのでもう一回、気にせずやろうと思った。チャンスを逃したくない」と語った確信犯です。ほかの二人の横綱が下り坂の中で、横綱になって初めて優勝した鶴竜がどう変っていくのか、あるいは変らないのか、注目したいところです。







○大関2場所目で東正大関に座った照ノ富士は、11日目、強烈な右おっつけで琴奨菊の身体を根こそぎ持ち上げて土俵に叩きつけ、同じ大関ながら、まるで大人と子供のような格の違いを見せつけました。ところが、翌12日目、それまで5連勝だった栃煌山を甘く見たのでしょう。相手の腕を手繰りにいくようなぎごちない立ち合いで、右を差され、左も差されて、廻しは取れず。じりじりとそのまま後退して初黒星を喫し、なんと横綱でもないのに国技館に座布団が舞いました。続く13日目、稀勢の里に上手を取られ、強引に下手から掬おうとした瞬間に、腰砕けのように倒れました。二人分の体重がかかって傷めた右膝は全治1カ月の診断。伊勢ケ濱親方の休場の勧めを遮って強行出場した翌14日目は、見た目にも脚が踏ん張れず、相撲になりませんでした。千秋楽には痛みが和らいだとの報道もあり、秋巡業も終盤には参加しました。



ただ、膝の怪我が命取りとなって綱を逃がした大型大関は、平成だけでも、小錦、琴欧洲、把瑠都の例があります。秋場所での強行出場が照ノ富士の将来を左右しないことを祈ります。



○秋場所でも、10日目までに3敗。稀勢の里には、「ミスターガッカリ」の頭に「不動の」をつけたくなるような心境でした。ところが、13日目に優勝争いのトップだった照ノ富士を破った一戦は、当り合ったあと、サッと右上手を引きつけて一気に寄り進み、相手が腰砕けのように倒れ込む豪快な勝ちでした。



格下に負ける時にはあっさりと負け、強い相手に勝つ時には滅法強い。優勝はしないけれど、2桁は勝つ。



 当方としては、当てにはできず、さりとて愛想尽かしはできず、付き合い方が難しい名大関?です。







○続いて豪栄道。こちらは「弱い大関」と呼ばざるを得ないでしょう。大関7場所を終えて2度目のカド番ですが、大関昇進後の通算戦績は53勝51敗1休。昇進前の関脇在位連続14場所での戦績はというと、直前3場所は32勝、連続2桁勝利はなし、8敗しての関脇残留が2場所、平均は丁度9勝6敗でした。いまだに「型」を持っていないのですから、大関昇進が間違いだったと言われても仕方ないでしょう。







○お待たせしました、嘉風。前回のお便りで「小さい体で、常に真っ向勝負で挑む心意気は男の子。横綱、大関と総当りになるのが楽しみです」と書いたところ、2日目に白鵬、3日目に鶴竜と2日連続での金星。



そのあとも正に変幻自在の取り口で、琴奨菊、豪栄道、栃煌山、妙義龍、隠岐の海と役力士をほぼ総なめにし、秋場所の最高殊勲力士でした。3場所連続の2桁勝利で、年間勝利数では、照ノ富士、白鵬、稀勢の里に続く4位につけました。これまでに獲得した金星4つは、いずれも最近7場所のもの、32歳を過ぎてのもので、引退してもおかしくない年齢になって力強さをつけた小兵力士として史上稀な存在です。



金星1つの「持ち給金」の加算は10円で、勝ち越し1つ50銭の20個分(10勝5敗×4場所)です。場所ごとに実際に支給される「給金」は「持ち給金」の4000倍ですから、金星1つで4万円、4つで16万円の昇給になります。「持ち給金」でも第9位に躍進です。   (別紙『持ち給金ランキング』)







○さて、横綱昇進後初めて休場した白鵬の今後はどうなるのでしょう。怪我をした秋場所が始まる前から、「脚に違和感がある」と漏らしていたそうですが、怪我がどの程度のものなのか、また、直る怪我なのか直らない怪我なのか。



いずれにしても、今後は、これまでの強さを望むことはできません。



別紙 『大横綱の昇進後初休場の前と後』 は、優勝20回以上の大鵬、北の湖、貴乃花、朝青龍の大横綱が、昇進後初めて休場した「前」と「後」で、どう変ったのかの比較です。(唯一遅咲きの千代の富士は外しました)。



初休場の原因は、大鵬が高血圧、貴乃花が腸炎と内科的、北の湖は関節、朝青龍は肘の損傷で外科的です。



優勝率(優勝した割合=優勝回数/在位場所数)は、ライバルの存在に大きく左右されるものではありますが、大鵬が初休場前の625(6割2分5厘・以下同様)から初休場後は452に、朝青龍は737から391へと大幅に落ちました。それにも増して、北の湖は465から何と100へ、貴乃花は727から184へと見る影もない凋落ぶりです。



勝率では、大鵬が879から847へ、朝青龍が854から818へと小幅な落ち込みであるのに対して、北の湖は847から685へ、貴乃花は909から769へと大幅に下げています。



休みを負けと計算した勝率②で見ますと、北の湖が847から431へ、貴乃花は909から495へと5割を切るところにまで勝率を下げています。初休場後の休場率(休場した割合=休場場所数/在位場所数)が、北の湖は600、貴乃花は447と非常に高いことが影響しています。



以上を総括しますと、どの大横綱も例外なく、優勝率においても勝率においても、初めて休場する「前」よりも「後」の方が、成績が大幅に悪くなっています。大相撲の世界には、「怪我をするのは弱いから」という言葉があるそうですが、言いかえれば「弱くなったから怪我をした」ということにもなりましょうか。



白鵬の横綱通算勝率は893(平均13.4勝1.6敗)で、今のところ大鵬の858(平均12.9勝2.1敗)を大きく上回っていますが、今後は、これまでの強さを望むことはできません。



平成27年10月26日 真石 博之   <追伸>あり



<追伸>







○宮城野部屋の熊ケ谷親方が、個人的に雇っていた運転手に暴行した傷害罪で起訴され、懲戒解雇されました。初犯ではなく、5年前に「知人女性に八百長を告白した」と週刊誌に報じられたことで、部屋持ち親方から部屋付き親方への「降格処分」を受け、その際の始末書に、「今後、不祥事を起こせば、解雇もやむを得ない」とあったといわれます。



にもかかわらず、9月2日の逮捕から10月1日の解雇処分決定までに1ヶ月、起訴されてからでも2週間かかりました。秋場所前と秋場所中は、相撲人気に水を差すのを懸念して処分発表を遅らせたのでしょうか。







熊ケ谷親方は元金親(一時は月山)。最高位は十両2枚目、本名は金親、北の湖部屋所属でした。



年寄襲名の条件である「十両と幕内通算30場所以上」を満たさずに、平成16年に引退。ラーメン屋での修業が決まっていた中で、突然、先々代の宮城野親方(小結廣川・本名山村)の次女と結婚し、娘婿として部屋を継承することになりました。例外規定の「部屋後継者と認定された場合は十両と幕内通算20場所以上(でよい)」が適用された初めての例です。部屋後継者になれたので年寄になれた珍しい例です。







少し複雑ですが、宮城野部屋の流れを説明します。平成元年に廣川の宮城野親方が52歳で急死したあと、平成16年までは、現在の宮城野親方で白鵬の育ての親である竹葉山が親方でした。



ところが、その15年間、驚いたことに、竹葉山の宮城野名跡(年寄株)は借株で、株の所有者はずっと廣川の未亡人であったことが、この時点になって判明します。そして、突然、金親がその未亡人と養子縁組をし、娘と結婚して、宮城野名跡(年寄株)を取得したため、竹葉山は部屋付き親方・熊ケ谷に格下げになりました。



結果として、部屋の主は金親、白鵬を指導するのは竹葉山という変則的な形が続きました。



その6年後の平成22年、冒頭の不祥事により、協会から「師匠交代」を勧告され、竹葉山が宮城野親方に返り咲き、金親が部屋付きの熊ケ谷親方に格下げになります。そして今回、またまた不祥事を引き起こしたというわけです。そもそも、部屋付き親方が、なぜ、お抱え運転手を雇っていたのかも解せない話です。



金親は、年寄資格がなかった自分を年寄にしてくれた妻とは、その後、離婚をしましたが、妻の実家の山村姓のままです。部屋付きというより札付きといったところでしょうか。







平成26年1月30日に、日本相撲協会は財団法人から公益財団法人に衣替えをし、その新しい定款には、「年寄名跡を襲名する者は、年寄資格審査委員会で審査した結果に基づき理事会で決定する」と明記されています。



その後に年寄名跡を取得したのは、年寄琴欧洲→鳴戸(琴欧洲)、高崎(金開山)、三保ケ関(栃栄)、不知火(若荒雄)、立田川(豊真将)、大島(旭天鵬)、音羽山(光法)、西岩(若の里)の8名ですが、年寄資格審査委員会でどんな審査が行われたのか、ついぞ公表されたことはありません。この8名に金親のような問題はないでしょうが、適正な年寄資格審査が行われることを望みます。



以上