羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2011年11月場所前(真石博之)

2011年10月30日 | 相撲評論、真石博之
○9月は8カ月ぶりの国技館での本場所でした。マグニチュード9に匹敵する八百長問題の被害は甚大で、恒例の「初日満員御礼」はならず。毎場所、入りが一番悪い2日目は、定員の50%以上に当る5682枚の切符が売れ残り、両国国技館が昭和60年に開館して以来の史上最悪を記録。7日目には、2779枚の売れ残りがあるにもかかわらず、苦しまぎれの「満員御礼」が出されました。1枚でも売れ残りがあれば、「満員御礼」を出さなかった生真面目な時津風理事長(豊山)の時代とは雲泥の差です。
○こんなに入りの悪かった秋場所でしたが、面白い相撲が多く、土俵は充実していたと思います。
すっかり顔ぶれが変った十両では、妙義龍、松谷、千代の国、琴勇輝など若手の良い相撲が印象に残りました。一方、幕内は「関脇が強い場所は面白い」の言葉通り、関脇の琴奨菊と稀勢の里が優勝争いにからむ成長ぶりをみせてくれ、東西筆頭の豊真将、隠岐の海の健闘が土俵を盛り上げてくれました。
○優勝はやはり白鵬。過去に5人しかいない優勝20回の大台に乗せ、大横綱の仲間入りです。しかし、5月技量審査場所のあとに、「下り坂にさしかかるには若すぎますが、一抹の不安を感じました」と書いた通りになってしまい、全盛期は過ぎた感があります。10日目までは圧倒的な強さで、まったく負けないのですが、11日目以降は急降下してしまい、最近の3場所の合計は何と8勝7敗なのです。琴奨菊には2場所連続黒星、稀勢の里には今年に入って2勝2敗。負けた相撲も完敗が目立ちます。秋場所の稀勢の里戦では、右差しをおっつけられ、小手に振られて、下位力士のようにふっ飛ばされてしまいました。
強い横綱があんな負け方をした原因は何処にあるのでしょうか。白鵬は自分のことを「腕力は十両、上半身は前頭、下半身は大関、全部合わせて横綱」と評しています。謙遜が含まれてはいるでしょうが、強味と弱味についての分析は当っていると思います。私は、稀勢の里にぶん投げられた原因は、二人の間にある17㌔の体重差の大部分が腕を含む上半身の筋肉量であると考えます。異論をお待ちいたします。
○日馬富士が、はずみで横綱にならなくて本当に良かったです。しつこくて済みませんが、2場所だけの成績を見て横綱昇進を決めるのは間違いで、じっくりと5場所くらいは見るべきです。
ちなみに、日馬富士の今年4場所での戦績は40勝20敗。勝星の数が白鵬より12も少ないのを許したとしても、琴奨菊に比べても4つ少ないのです。とても横綱候補とは言えません。
○名古屋場所での大関挑戦に失敗した琴奨菊が、直後の秋場所で目標を達成したのは立派です。魁皇などがそうだったように、失敗したあとは御破算に戻り、次の機会まで時間を要することが多いものです。本人は「名古屋場所は大関を意識して終盤の平幕戦で2連敗した。メンタルが弱かった」と語っていました。NHKの「アスリートの魂」の中で、メンタルトレーニングの東海大学・高妻教授の作った精神力診断テストの結果は、「高校生の全国競技会であるインターハイに行けるか行けないかのレベル」との低い判定。教授から勝負に臨む直前の呼吸法を伝授されたり、スポーツ界の先輩の書を読み込んだ成果があったのか、秋場所を前にして、「心おだやかに」「もし負けても、次の日は別の日」と語れるようになったようです。
27歳7カ月での大関昇進は若くはなく、年6場所になった昭和33年以降で10番目に年長での昇進。琴奨菊より年上で大関になった9人のうち横綱になったのは二人(隆の里・三重ノ海)だけです。
日本人横綱の可能性としては、琴奨菊よりも、まだ25歳2カ月(9月場所時点)の稀勢の里の方が有力と見ますが、18歳4カ月で入幕した稀勢の里の「相撲年齢」は結構なものです。時間はありません。
<つづく>
○その稀勢の里は、中日までは無敗で、「今場所こそ変身したか」の期待をもたせました。ところが、9日目には立合いでいきなり大きな把瑠都にがっぷり四ツになられ、一度は引きつけ合いを見せたものの、結局は土俵下まで投げ捨てられ、続く10日目の琴奨菊戦では、悪い癖の張り手の立ち合いで、自ら腰を伸ばしてしまっての完敗。とはいえ、12日目の白鵬に対する力強い完勝のあとは千秋楽まで負けず、評価を盛り返して場所を終えたのは明るい材料です。九州で11勝をあげて大関に昇進して欲しいものです。
○稀勢の里が九州で11勝以上をあげて「3場所で33勝」の合格ラインに達した場合にも、「大関5人は多すぎ」の壁が出てくるかもしれません。そこで影響するのが秋場所1勝6敗で途中休場したカド番の琴欧洲です。負けが続いた秋場所、記者から休場を問われた師匠の佐渡ケ嶽(琴ノ若)は『明日もとらせます』と突き放し、NHKの解説に出演した同部屋の秀ノ山(琴錦)は『肘が痛いと言って、何の稽古もしないのだから・・・』とあからさまに不満を示していました。周囲の目が厳しすぎるのか、本人が甘すぎるのか。
○ご存じの通り、今年は八百長事件で17人の関取が相撲界から追放されました。このため、関取の顔ぶれが大きく入れ替わりました。別紙『八百長処分前後対比(平成23年 関取の変動)』をご覧ください。八百長発覚前の初場所と秋場所との対比です(夏場所と名古屋場所には欠員があり、秋場所で定員に戻りました)。
 まず幕内では、8人が追放され、魁皇が引退、高見盛と栃乃洋が十両に落ち、11人の穴があき、それを8人の新入幕と3人の再入幕が埋めました。新入幕の中で、舛ノ山、高安、栃乃若、富士東、魁聖の若手に期待しましたが、秋場所では栃乃若以外は負け越してしまい、楽しみを九州場所以降に持ち越しです。
 一方、十両は総入れ替えに近い大変動です。初場所の十両28人のうち秋場所でも十両なのは8人だけ。十両を去った20人の行き先は、半分近くの9人が追放、8人が幕内昇進、2人が幕下へ陥落、1人(北勝力)が引退です。この20人を埋めたのは、新十両11人、再十両7人、幕内からの陥落2人です。
さて、十両から幕内への昇進が8人なのに、幕内に発生した11人の穴を埋めることができたのは、初場所では幕下だった3人が一気に幕内まで駆け上ったためです。新入幕の隆の山、再入幕の磋牙司と玉飛鳥です。このうち、隆の山と玉飛鳥は九州場所では十両に逆戻り。やはり家賃が高すぎたようです。
 ところで、昭和7年に起った春秋園事件でも多数の欠員が発生し、その穴埋めで、異例の昇進をした力士が多く出ました。その中にいたのが双葉山でした。今回も、そんな大物が出てきて欲しいものです。
○今年の部屋の盛衰をまとめたのが、別紙『平成23年 部屋別勢力一覧』です。勢力を測定するために、横綱20点、大関10点、三役4点、平幕3点、十両1点の重みづけをしてあります。
ここにも、八百長事件の激震が表れています。衝撃が一番強かった部屋は、白馬と豊桜の二人の関取と幕下に落ちていた元幕内の十文字が追放された陸奥です。そして、一人しかいない虎の子の関取が追放されたのが、朝日山(徳瀬川)、荒汐(蒼国来)、春日山(春日王)、間垣(若天狼)、入間川(将司)、九重(千代白鵬)、花籠(光龍)と7部屋もありました。今年、勢力が衰えた部屋は、これら関取が追放された部屋に加え、魁皇が引退した友綱部屋、北勝力が引退した八角部屋、去年初場所にはまだ朝青龍がいた高砂部屋です。
なお、関取が一人もいなくなった部屋のうち、入間川では磋牙司が一気に幕内まで復活し、九重では新十両が一挙に3人も誕生して、短期間のうちに盛り返しています。
一方、今年、躍進が目立ったのは、ともに新入幕二人が誕生した鳴戸部屋(高安と隆の山)と玉ノ井部屋(富士東と芳東)、関取7人が定着した境川部屋、大道が幕内、益荒海が十両に上った阿武松部屋です。
最後に、昨年までの3年間トップの勢力を誇った佐渡ケ嶽部屋が、昨年後半での琴光喜解雇と八百長事件での琴春日の追放が響いて、その座を宮城野に譲りました。
平成23年10月31日  真石 博之

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2011年10月06日 | 書籍、映画、展示会、美術等相撲作品の感想
小説に登場した相撲のフレーズ








書名:なぜ絵版師に頼まなかったのか



著者:北森鴻



あらすじ:葛城冬馬、十三歳。明治元年生まれの髷頭の少年は、東京大學医学部教授・ベルツ宅の給仕として働くことになった。古式ゆかしき日本と日本酒をこよなく愛する教授は、比類無き名探偵でもあった。米国人水夫殺害事件、活き人形が歩き出す怪事...数々の難事件を冬馬の調査をもとに鮮やかに解決してゆく。史実を絶妙に織り交ぜながら綴る、傑作ミステリー。








引用、167ページ








明治十一年。新設された東京脚気病院で、「漢洋脚気相撲」と称された公開治療が催されたことがある。



すでに脚気は恐ろしい国民病であり、死者累累の有様だったから、催し物にして良いはずがない。



にもかかわらず相撲興行と同類にみなすあたり、お祭り好きに江戸っ子気質の面目躍如といったところか。



勝敗は決しなかったが「わずかに漢方の旗色良し」と、記録にはある。










羽黒蛇