雷電は谷風の記録に到達しても泣かなかった(羽黒蛇)
白鵬が大鵬の32回の優勝回数に並んで、感激の表情を見せていた。
現代のスポーツにおいて、記録は重要な要素である。大鵬の優勝回数が32回と知っているから、白鵬自身も、相撲ファンも一つの節目として、緊張もするし、感慨を深めることができる。
しかし、力士が、よい相撲をファンに見せるという本質を考えると、優勝回数が初めてであれ、32回であれ、33回であれ、100回であれ、
何回優勝したかとかかわらずに、(何回優勝したかを超越して)、よい相撲をファンに見せることができたか否かで、力士は評価されるべきである。
江戸時代は記録が議論・報道されることはなかっただろうから、大関雷電が、横綱谷風の記録に追いついても、認識することも、感動することもなかっただろう。
タイ・カッブが4000本安打を打った翌日の新聞で報道されなかったのは、20世紀に入ってからの逸話。
よい相撲を見せることができたなら、優勝回数が少なくとも、32回に届くことがなくとも、素晴らしい力士・横綱であるし、
よい相撲を見せることができなかったら、33回を超えてもつまらない。
個人的な感想としては、32回の優勝に到達した白鵬がインタビューで、
「いまだ双葉山の足元にも及びません。優勝回数を増やすことより、後の先の相撲を一番でも多くとることが私の目標です。」と答えてくれた方が、奥が深くてよかったと思う。
白鵬はもう一度優勝して33回と大鵬を超えた後、何を目標にするのであろうか。
優勝回数にこだわらず、32回で、33回でも、それ以上でも、全く左右されず、自分の理想の相撲を目指し続けるのであれば、33回を超える優勝回数は、単なる結果であり、本質は、どういう相撲をとるかという、内容となる。
白鵬32回の優勝の直後に、ある相撲ファンから、「白鵬・日馬富士・鶴竜の横綱3人が、優勝をたらいまわしにするとすれば、見た目は華やかな優勝争いになるが、内容は落ちる。そんなことが起こるくらいなら、白鵬が毎場所独走で、13日目に優勝が決まる方がよい。」との指摘を受けた。
若乃花勝治横綱昇進後、栃若両横綱が交互に優勝したのも、たらいまわしを疑えるし、
千代の富士と北勝海が優勝を繰り返し、北勝海が8回も優勝したのも、8回優勝するほど強い横綱だったのか(8回も優勝したのだから強い横綱だったのだろう)という印象。
大鵬は白鵬に、「いい加減なことをするな」とアドバイスしたそうであるが、優勝をたらいまわしにするな、という遺言あると、私は理解している。大鵬は非情と言われたが、いい加減な相撲をとらずに、常に優勝を目指していたことは評価できる。
例外は7勝7敗の横綱栃ノ海と対戦して負けた一番と、勝てば平幕藤ノ川と優勝決定戦の千秋楽に負けた一番だけ。(新大関清国が藤ノ川に勝って優勝)
羽黒蛇
白鵬が大鵬の32回の優勝回数に並んで、感激の表情を見せていた。
現代のスポーツにおいて、記録は重要な要素である。大鵬の優勝回数が32回と知っているから、白鵬自身も、相撲ファンも一つの節目として、緊張もするし、感慨を深めることができる。
しかし、力士が、よい相撲をファンに見せるという本質を考えると、優勝回数が初めてであれ、32回であれ、33回であれ、100回であれ、
何回優勝したかとかかわらずに、(何回優勝したかを超越して)、よい相撲をファンに見せることができたか否かで、力士は評価されるべきである。
江戸時代は記録が議論・報道されることはなかっただろうから、大関雷電が、横綱谷風の記録に追いついても、認識することも、感動することもなかっただろう。
タイ・カッブが4000本安打を打った翌日の新聞で報道されなかったのは、20世紀に入ってからの逸話。
よい相撲を見せることができたなら、優勝回数が少なくとも、32回に届くことがなくとも、素晴らしい力士・横綱であるし、
よい相撲を見せることができなかったら、33回を超えてもつまらない。
個人的な感想としては、32回の優勝に到達した白鵬がインタビューで、
「いまだ双葉山の足元にも及びません。優勝回数を増やすことより、後の先の相撲を一番でも多くとることが私の目標です。」と答えてくれた方が、奥が深くてよかったと思う。
白鵬はもう一度優勝して33回と大鵬を超えた後、何を目標にするのであろうか。
優勝回数にこだわらず、32回で、33回でも、それ以上でも、全く左右されず、自分の理想の相撲を目指し続けるのであれば、33回を超える優勝回数は、単なる結果であり、本質は、どういう相撲をとるかという、内容となる。
白鵬32回の優勝の直後に、ある相撲ファンから、「白鵬・日馬富士・鶴竜の横綱3人が、優勝をたらいまわしにするとすれば、見た目は華やかな優勝争いになるが、内容は落ちる。そんなことが起こるくらいなら、白鵬が毎場所独走で、13日目に優勝が決まる方がよい。」との指摘を受けた。
若乃花勝治横綱昇進後、栃若両横綱が交互に優勝したのも、たらいまわしを疑えるし、
千代の富士と北勝海が優勝を繰り返し、北勝海が8回も優勝したのも、8回優勝するほど強い横綱だったのか(8回も優勝したのだから強い横綱だったのだろう)という印象。
大鵬は白鵬に、「いい加減なことをするな」とアドバイスしたそうであるが、優勝をたらいまわしにするな、という遺言あると、私は理解している。大鵬は非情と言われたが、いい加減な相撲をとらずに、常に優勝を目指していたことは評価できる。
例外は7勝7敗の横綱栃ノ海と対戦して負けた一番と、勝てば平幕藤ノ川と優勝決定戦の千秋楽に負けた一番だけ。(新大関清国が藤ノ川に勝って優勝)
羽黒蛇