ほどなく「40」になる。
“アラ・フォー”ではなく
“モロ・フォー”である
正直、あんまりうれしくない…
ここ数年
““下一桁を“四捨五入”すると“40”かぁ…”と
ブルーであった…
まあ“アラ・フォー”なんて、
“不幸の主人公”を気取っているヤカラの“オ○ニー”的な言葉であって
実際には何の慰めにもならない言葉だと思ってる
ただ
「39」になったとき一つだけ決めたことがある。
どこかのサッカー選手ではないが
“Thank you!”
という感謝の意を込めて日々を過ごすことだった。
忘れもしない
「30」の誕生日は、ある病院でのベッドの上で迎えた…
心身ともにボロボロになり、数日前に入院したオレは
30歳の誕生日の午前中、CTだのレントゲンだの精密検査を受けた。
検査が終わったのは午後1時過ぎ。
部屋のベッドの横には冷め切った昼食。
誕生日ということもあって、小さな鯛の尾頭つきの焼き物が特別に添えてあった。
それをわびしくつまんだあの誕生日のことは一生忘れないと思う。
入院はそれから2ヶ月。結局会社は4ヶ月休んだ…
未だになんでかわかんないんだけど
退院後は生活が
180度、いや1000度以上変わったと言っていい。
“裏方”の人間だった自分がテレビに出るようになったり…
仕事以外の面でもいろいろなところにお邪魔するようになったり…
いろんな人から気にかけていただいたり…
本当に身に余る以上のことを
いろんな方やいろんなところからしていただいた。
またこのブログなどいろんな媒体を通じて
いろんな人たちと知り合うことが出来るなど、様々な素晴らしい出会いをすることも出来た。
そういう意味ではオレの“Thirties”(30代)は本当に幸せだったなと思う。
これも本当にいろんな人たちの支えがあってこそだと思う。
当然家族にも感謝しなければいけないな…
4年前からやっている“スマイルシート” こちらも
実は、まあこれも、
一人一人に対してはその感謝をお返しできないので
別の形でそれを表そうと思って始めたのも一つの理由だ。
ただこの2~3年
公私ともにちょっと大変な状況になっていた。
以前ちょっと記したが、特にプライベートは状況がえらいことになっていた。
(仕事なんかも最近えらいことになってるなぁ)
んで、最近その「39」の気持ちが“きちんと表現できていたかな?”と
ここずっと自問自答している。 正直スマンカッタ…
「40」になる。
“不惑”とはいうが、まあ“不惑”というわけにはいかないな。
ただ、「この先、こうやろう」という“道”は見えていると思う。
まあ、ジャマがあったり足を引っ張るヤツがいて、“イバラ”の道ではあるが…
ただ
「40」になっても
「39」の気持ちだけは忘れずにしたいと思っている。
そして“Forties”(40代)を、
30代より“ちょっとだけいい10年”に出来ればいいなと考えてる。
(あとさぁ? “人生、1回だけすごくモテる時期がある”っていうじゃん? それっていつなんだろう?
早く来てくれないと… 元気がなくなってからそれが来てもおもしろくないよねぇ…?)
30になったばかりのベッドの上は
非常に孤独で、不安が渦巻いていた。
でも、いろんな人たちの支えもあって、
10年後の今、みんなに今の気持ちを伝えることが出来る。
正直あのときは“どん底”だと思っていたけど、
あれはジャンプするための“かがんだ状態”だったのかな? ってね…
オレの周りのすべての人が
そして全世界の人たちがHAPPYでありますように。
またオレの30代、いや40年を支えてくれたいろいろな人に
39!!
PS
いま、悩んだり苦しんだりしている人もいるかもしれない。
“陽が昇らない朝はない”
必ず素晴らしいことが、遠からずめぐってくるよ!
前を向いて
少しずつでいいから歩みを進めてほしい。
そうすれば誰かが手を差し伸べてくれるし、道は拓かれるから…
“アラ・フォー”ではなく
“モロ・フォー”である
正直、あんまりうれしくない…
ここ数年
““下一桁を“四捨五入”すると“40”かぁ…”と
ブルーであった…
まあ“アラ・フォー”なんて、
“不幸の主人公”を気取っているヤカラの“オ○ニー”的な言葉であって
実際には何の慰めにもならない言葉だと思ってる
ただ
「39」になったとき一つだけ決めたことがある。
どこかのサッカー選手ではないが
“Thank you!”
という感謝の意を込めて日々を過ごすことだった。
忘れもしない
「30」の誕生日は、ある病院でのベッドの上で迎えた…
心身ともにボロボロになり、数日前に入院したオレは
30歳の誕生日の午前中、CTだのレントゲンだの精密検査を受けた。
検査が終わったのは午後1時過ぎ。
部屋のベッドの横には冷め切った昼食。
誕生日ということもあって、小さな鯛の尾頭つきの焼き物が特別に添えてあった。
それをわびしくつまんだあの誕生日のことは一生忘れないと思う。
入院はそれから2ヶ月。結局会社は4ヶ月休んだ…
未だになんでかわかんないんだけど
退院後は生活が
180度、いや1000度以上変わったと言っていい。
“裏方”の人間だった自分がテレビに出るようになったり…
仕事以外の面でもいろいろなところにお邪魔するようになったり…
いろんな人から気にかけていただいたり…
本当に身に余る以上のことを
いろんな方やいろんなところからしていただいた。
またこのブログなどいろんな媒体を通じて
いろんな人たちと知り合うことが出来るなど、様々な素晴らしい出会いをすることも出来た。
そういう意味ではオレの“Thirties”(30代)は本当に幸せだったなと思う。
これも本当にいろんな人たちの支えがあってこそだと思う。
当然家族にも感謝しなければいけないな…
4年前からやっている“スマイルシート” こちらも
実は、まあこれも、
一人一人に対してはその感謝をお返しできないので
別の形でそれを表そうと思って始めたのも一つの理由だ。
ただこの2~3年
公私ともにちょっと大変な状況になっていた。
以前ちょっと記したが、特にプライベートは状況がえらいことになっていた。
(仕事なんかも最近えらいことになってるなぁ)
んで、最近その「39」の気持ちが“きちんと表現できていたかな?”と
ここずっと自問自答している。 正直スマンカッタ…
「40」になる。
“不惑”とはいうが、まあ“不惑”というわけにはいかないな。
ただ、「この先、こうやろう」という“道”は見えていると思う。
まあ、ジャマがあったり足を引っ張るヤツがいて、“イバラ”の道ではあるが…
ただ
「40」になっても
「39」の気持ちだけは忘れずにしたいと思っている。
そして“Forties”(40代)を、
30代より“ちょっとだけいい10年”に出来ればいいなと考えてる。
(あとさぁ? “人生、1回だけすごくモテる時期がある”っていうじゃん? それっていつなんだろう?
早く来てくれないと… 元気がなくなってからそれが来てもおもしろくないよねぇ…?)
30になったばかりのベッドの上は
非常に孤独で、不安が渦巻いていた。
でも、いろんな人たちの支えもあって、
10年後の今、みんなに今の気持ちを伝えることが出来る。
正直あのときは“どん底”だと思っていたけど、
あれはジャンプするための“かがんだ状態”だったのかな? ってね…
オレの周りのすべての人が
そして全世界の人たちがHAPPYでありますように。
またオレの30代、いや40年を支えてくれたいろいろな人に
39!!
PS
いま、悩んだり苦しんだりしている人もいるかもしれない。
“陽が昇らない朝はない”
必ず素晴らしいことが、遠からずめぐってくるよ!
前を向いて
少しずつでいいから歩みを進めてほしい。
そうすれば誰かが手を差し伸べてくれるし、道は拓かれるから…