kouheiのへそ曲がり日記

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正見

2006-08-07 11:08:00 | 日記
昔々、ベナレスという国に四人の王子がいました。
四人は集まり、キンスカの木について語り合ったのですが、誰も見た者はおりませんでした。
そこでキンスカの木を皆で見に行くことになりました。

しかし、キンスカの木のある場所を知っているのはたった一人の老人だけでした。
しかもその老人の馬車は、非常に小さいため、一度に一人しか乗れず、かつ老人は非常に忙しいのでした。

「わしの暇なときだけじゃが、一人ずつ連れて行ってあげますぞ」

まず長男がキンスカの木の芽吹いた頃、見に行きました。
次に次男が若葉茂れる頃、三男が花盛りの頃、最後に四男が実がたわわに生っている頃見に行きました。

当然ですが、キンスカの木についての王子たちの話は噛み合いません。
それを聞いた父なる王様は、次のようにおっしゃいました、

「物事を静止した状態で見てはいけない、物事を見るには、その過去から未来への移り変わりのなかで見なければいけないのだよ」

これが仏教の「正見」の教えなのです。
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高校野球を廃止せよ!

2006-08-05 07:48:00 | 日記
16~8の青少年が、朝から晩まで野球づけの生活を送るとは、なんと非人間的なことだろうか・・・。

高野連は、これを重要な教育の一環と考えているというのだから、呆れかえるのを通り越して、もはや笑うしかない。

是非とも青少年には、勉強に、スポーツに、哲学に、芸術に、恋に・・・とにかく全人的な発達をしてもらいたいものである。
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アスラとインドラの戦い

2006-08-04 10:46:00 | 日記
アスラは正義の神であり、インドラは力の神である。
この両者はしばしば戦うのだが、いつもインドラが勝利する。
なぜ正義の神は、力の神に勝てないのだろうか?

この謎を探るため、ある日の両者の軍勢の戦いの様子を観てみよう。

その日アスラは優勢であり、インドラの軍勢は敗走を続けていた。
だが逃げる方角に、道を横断するアリの大群が現れたのである。

インドラは叫んだ、

「いかん!このままではアリを踏み潰してしまう、全軍引き返せ!!」

「しかし、そんなことをしたら我が軍は全滅するやも知れませぬ」

「いや、やはりアリを殺すことはできぬ!引き返せ!!」

突然反転してきたインドラの軍勢にアスラたちは肝をつぶした。

「なぜだ!?計略でもあるのか!?それとも援軍が現れたのか!?」

慌ててアスラの軍勢は退き、この日もインドラの勝利となったのである。

・・・これがもし逆だったら・・・つまり正義の軍勢がアリの大群と出会ったのだとしたら・・・どうなっていただろうか?

おそらく「我々は正義の軍勢である、正義のためには、ある程度の犠牲はやむをえない」・・・となっていたであろう。

『正義』をふりかざすエゴイストはいませんか?
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悟りを開く

2006-08-03 11:13:00 | 日記
仏教者の最終目標は、解脱し涅槃の境地に至る、つまり悟りを開くことである。

これは日本独特の考え方なのかどうか僕は寡聞にして知らないが、悟りを開いた者は怒らなくなる、悲しまなくなると考えている人が少なからずいるようだ。

そんなことはない。
悟りを開いていようとも、腹の立つときは立つし、悲しみの涙も流れる。

それでは仏教の修行なんて無意味だと思われますか?

いやいや、仏教の修行をした者は、腹を立てても仏の怒りを怒れるのである。
悲しみの涙を流しても、真珠の涙を流せるのである。

僕はまだ悟ってはいないが、それでも仏教の教えに触れ、だいぶ変わったと思う。
以前は過去について怒り狂っていた。
悲しくて悔しくて堪らなかった。
そうして自分自身を傷つけていた。

だが最近は、自分を傷つけずに怒れるようになった。
悲しいときもあるが、仏様の手のひらに抱かれて悲しめるようになった。

とにかく、悟ると無感情になるというのは大いなる誤解なのである。
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布施のこころ

2006-08-02 13:59:00 | 日記
けちなお坊さんがいました。
しかし、「けち」は法律違反ではないし、仏教の戒律を犯しているわけでもありません。
説教しても多分無駄でしょう。

ところがウバキクタという高僧は、見事な指導をしました。
このけちなお坊さんを、二人のお坊さんとともに暮らさせたのです。

この二人のお坊さんは、食べ物が手に入ると、必ず他の二人に分け与え、一緒に食べるのです。
ニコニコして、「おいしいね、おいしいね」と言いながら。

けちなお坊さんも他の二人から分けてもらっていたのですが、自分が食べ物を手に入れたときは一人で全部食べていました。

だが・・・ある日ふと思ったのです、今度食べ物が手に入ったら、他の二人にも分け与えてみようと。

そして食べ物が手に入り、二人のお坊さんに分けてあげたところ、二人は「ありがとう」と言って、分け与えられた食べ物をニコニコしながら「おいしいね、おいしいね」と食べてくれました。

するとどうでしょう、その食べ物は普段より何倍もおいしく感じられたのです。

そう、食べ物を分かち合うと、量は少なくなりますが、味は百倍、万倍になるのです。
それが「布施のこころ」なのです。
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