kouheiのへそ曲がり日記

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「世間」に関する私的ノート8

2007-01-21 17:48:00 | 日記
近代的個人が連帯しているのが近代社会であり、その連帯は、相互の違いを認め合った上での「有機的連帯」である。

欧米では、宝くじに当たった人を写真つきで実名報道する。
彼(彼女)は、いかにも嬉しそうにインタビューを受けている。

日本では、当たってもわずか3億円なのに、当選者は徹底的に秘匿する。
万が一バレたら、借金の申し込みが殺到するからであり、妬み嫉みによってどんな目に合わされるか分からないからだ。

日本には「社会」がないのである。
あるのは「世間」であり、周囲からあまり出すぎると袋叩きにあうのである(出る杭は打たれる)。
もちろん、周囲からあまりにも遅れすぎていても酷い目にあうが・・・。

そして「世間」というのは、理論が通じない世界だ。
そこでは心情的なものが横行している。
よって子供は「理屈っぽいぞ!」と叱られることになる。

さて、我々日本人が欧米的個人になれないのだとしたら、どのようになるべきなのか?
今のまま「世間」に埋もれたままでいいのか?
「個人」になるべきだとしたら、日本的「個人」を目指すしかないが、それは具体的にはどのようなものなのであろうか?(つづく)

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