kouheiのへそ曲がり日記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

「世間」に関する私的ノート7

2007-01-21 17:37:00 | 日記
M・ウェーバーは、西欧の宗教史を「呪術からの解放」つまり「合理化」の進展であるとした。
ヨーロッパにもキリスト教の普及以前にはさまざまな「呪術的」信仰があったのである。

だがキリスト教が普及すると、さまざまな呪術的信仰は「迷信」として退けられていった。
西欧において合理主義が生活を覆っていった理由は、おそらくそのへんにあるのだろう。

日本ではどうか?
我が国で呪術的信仰を徹底的に否定したのは、おおざっぱに言って親鸞くらいのものであろう。
「門徒のもの知らず」という諺があるが、これは正確に言うと「門徒の物忌み知らず」なのである。

現在でも結婚式は大安の日に行われ、友引に日の葬式は避けられる傾向にある。
建物を建設するときには地鎮祭が執り行われるし、北東の玄関は鬼門として忌み嫌われる。
日本では、まだまだ呪術が生き残っているのである。

僕は仏教徒であるから、一切の呪術的「迷信」を信じない。
霊視や心霊写真の鑑定等々をしていた織田無道などという坊主は、全く仏教者の風上にも置けぬ大馬鹿者なのである。

朝のワイドショーをご覧の皆さん、占いなど信じちゃいけません。
呪術的迷信を一切信じないこと、これは「世間」を対象化し、なるべく「世間」に絡めとられないようにする生き方の第一歩ですぞ。(つづく)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「世間」に関する私的ノート6 | トップ | 「世間」に関する私的ノート8 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事