学校を卒業し、就職することを日本では「社会人になる」という。
こんな言葉は英語にもフランス語にもドイツ語にもない。
欧米では、生まれたばかりの赤ちゃんも「社会人」だからだ。
要するに日本の学校では生徒たちに建前としての「個人」や「社会」を教えるわけであるが、卒業して就職したら、これまでの考え方は通用しないぞ、社会人と学生とでは住む世界が違うのだ、というふうに大人たちは考えているのである。
つまり我が国では、就職したら「個人」を脱ぎ捨て「陽気なロボット」になり、「社会」ではなく、「個人」の権利がほとんど認められない「世間」で生きなければならないのである。
よって日本には、「社会人になる」などという奇怪な言葉が存在するのである。(つづく)
こんな言葉は英語にもフランス語にもドイツ語にもない。
欧米では、生まれたばかりの赤ちゃんも「社会人」だからだ。
要するに日本の学校では生徒たちに建前としての「個人」や「社会」を教えるわけであるが、卒業して就職したら、これまでの考え方は通用しないぞ、社会人と学生とでは住む世界が違うのだ、というふうに大人たちは考えているのである。
つまり我が国では、就職したら「個人」を脱ぎ捨て「陽気なロボット」になり、「社会」ではなく、「個人」の権利がほとんど認められない「世間」で生きなければならないのである。
よって日本には、「社会人になる」などという奇怪な言葉が存在するのである。(つづく)
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