吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 五十

2006年10月12日 04時40分45秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  五十

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 じろうは顔をゆがめるとすぐ泣き出して家ににげてもうた。
 ぼくは正義のうたえもんみたいな気持ちになって家にもどった。
 …なんぞあったんかい!そんな顔して!…
 母はぼくの顔見るとまるでさっきのことを見ていたようにたずねよった。
 …つい顔見たらウメちゃんをちょうせんのばか言うたじろうをとなってこのゲンコがじ  ろうの頭にぶつかったんや!…
 …ぶつかったんとひっぱたいたんとおお違いじゃ!まっことこの子はしょうむない子じ  ゃ!母さんこれからすぐ謝りに行ってくるけん!おまんもいっしょに来いいや…
 と母は唇をかみながらぼくの手をひっぱった。
 どこに隠しとったんやろ、母はくさ餅とかいた菓子箱をだして風呂敷につつんだ。   じろうの母親が白いかっぽうぎ姿のままでて来ると、
 …いつもお世話になっちゅうけんしよぅすまんことですが、うちの子がおたくのじろう  様に手をかけたいうもんやからお詫びに!…
 と母はぼくの頭を押さえて自分も頭をさげよった。
 …ぼく、ウメちゃんをじろうくんがちょうせん!ばかと言うたんでたたいたんや!…
 と言うとキシャのおばはんはすぐわけが分かって、
 …じろう!ちょうせんの子も日本の子も同じ日本人や!にどとそんなこと言うたらお父  さんに言いつけるから!…
 とじろうを叱った。
 ぼくはじろうの母はとてもりっぱな人やと思うた。
 ちょうせんの子も日本の子もいっしょや!ほんまにじろうの母は偉いと思うた。
 …母ちゃん!キシャはやっぱり偉いんやな…
 …じろうのお父さんは大学を出ちゅうき、毎日しんぶんのキシャなんや、これからはな  かようしいいや!…
 ぼくはじろうの父がてつどうのキシャでなくしんぶんをだす会社の偉い人とはじめて知った。

昭和初期の大阪 五十

2006年10月11日 11時25分23秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  五十

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 トーフ屋はゲンちゃんちの前をしばらく行った角にある。
 …おんちゃんいつものトーフ!…
 おいしそうなトーフが桶水にゆらいでいた。ぼくはいなかのトーフがかとうて好きやった。
 …おおきに!あめなめていきっ!…
 はちまきしたはげあたまのトキおんちゃんがぶっきり飴をにぎらせてくれはった。
 おんちゃんは山口トキヘイと言う名やった。
 ぼくはすぐ口にほうりこんでトーフ皿をかかえてゆっくり歩いた。
 するとゲンちゃんの家の戸が音たててあくといじめっ子のじろうがヨーヨー片手に出てきた。
 …じろう!ちよっときてみぃいや!…
 ぼくの口から言うまいとした言葉がでてきよった。
 じろうの顔がこわばって、すぐ家にひきかえそうとした。
 …待たんかい!じろう!…
 ぼくはトーフ皿をじべたに置いてじろうを呼び止めた。
 …お前はちょうせんが好きなんか!…
 ぼくはわざとそう言った。
 …………
 じろうはだまったままふるえている。
 ぼくの正義のさむらいの血がもえあがったようにほんまに体があつうなった。
 …ウメちゃん、ちょうせん言うたらこないなるでェ!ようおぼえとき!…
 ぼくは母のいった注意をわすれ、ゲンコでいきなりじろうの頭をなぐってもうた。

昭和初期の大阪 四十九

2006年10月11日 04時29分26秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十九

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 ウメちゃんに元気がない。
 メンコにさそっても顔色がさえとらんかった。いつもはかならずにこっとしてや、やーる!と返事するのにその返事もない。
 …どないしたんやウメちゃん元気のうなって!…
 …そ、そ、そ、ーや!…
 …父ちゃんにしかられたんやろ!…
 …ち、ち、ー…
 …どないしたんや!…ちゃうのか!
 …ち、ち、よーせーんや!…
 …ちょうせん?…
 …ゲ、ゲ、ーンちゃんのお、お、ーとうと…
 …なにっ!むらたじろうがウメちゃんにそう言うたんやな?…
 ゲンちゃんの一つ違いのおとうとも黄組やった。青白い顔に半ズボン洋服姿の子でシンブンキシャはえらいさかい金持ちや。だからどもりのウメちゅんをちょうせん!ちょうせん!とばかにしたんや。
 …母ちゃん!ウメちゃんがちょうせん!いうていじめられとるんや!ゲンの弟や!どつ  いてええか!…ぼくは騎馬せんに勝ってキクチコウヘイや!黄組の大将だ。     ぼくはミシンをふむ母ちゃんに言うた。
 …どついたらいかんぜよ!先生に言わんといかん…むらた君がウメちゃんをちょうせん  !と言うていじめると…
 ぼくはあたまが白うなった。
 ウメちゃんは副級長やった。ほんまは級長やがどもりやからしゃないんや。
 修身も算術も絵も読本もぜんぶ百てんでしょうかは落第や。野田先生はウメちゃんを大しゅうさいや!と母とおなじことを言うた。
 ぼくはその日、母のいいつけでトーフを買いに行った。

昭和初期の大阪 四十七

2006年10月10日 04時53分37秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十七

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 しばらくしてウメちゃんが黄組一番になる日がきた。
 読本の書き取りの成績の発表である。
 ウメちゃんはイロハニホヘトのぜんぶの読み書きを学校にはいるまえからできとった。 ハナ、ハト、マメ、マス、ミノカサ、カラカサ、カラスガイマス、スズメモイマス、をきちんとしたきれいな字で書けたのはウメちゃん一人やった。ぼくも学校にはいるまえにウメちゃんにおそわっていたが字のかたちがおかしかった。ツとシとクとカもおんなじやった。
 こんどは読み方でウメちゃんは皆の笑いをさそった。
 ハーハーとなってつぎがとまった。
 野田先生はすぐウメちゃんのどもりに気ずいたのでつぎは山田くんととなりの子をさした。
 しばらくしてぼくは騎馬から落ちて頭の後ろをガーンと運動場の土にぶつけてしまった。 相手の頭の白帽子に手がかかったんやけどぼくのハットリという名のデブちん馬が敵の馬につまずいてころんでくずれてしもた。
 眼が白うなった。
 しばらくあおむけになったまま青い空がくるくるまわった。
 …負けへんでェ!白帽子持っとるんや!…
 ぼくは寝たまま叫んだ。一年黄組がいちばんになった。
 たいそうの選手やった野田先生がかんがえた騎馬大将のえらびかたで一年黄組全員を二列にならべ互いに気をつけっ!の姿勢のままふえのあいずで相手のうんどうぼうをとるのだ。はやくとった人を残し六十二名が… 八、四、二、そしてぼくがのこった。ぼくは組一番のぼうし速とり名人やった。
 …ヨッちゃんはキクチコヘイや!!死んでもラッパはなさんのといっしょや!…
 修身でなろうたキクチコヘイラッパ手と皆に言われぼくは皆の大将になった。

昭和初期の大阪 四十六

2006年10月09日 04時30分16秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十六

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 今日はお赤飯やった。
 お一日すぎたばかりやったがぼくの小学校入学式の日だ。
 ウメちゃんとぼくの着物は同じカスリもようやった。
 母がよなべしごとでこの正月に作ったのやった。
 阿倍野区住吉小学校のぴかぴか一年生や。
 一年黄組の丸い黄札と名前をかいた白い名札をもろうて胸につけた。
 帽子に花もようの金色のきしょうがひかってあごひもをゆるめて頬にかけると機関車の運転手みたいにりっぱやった。
 先生がひとりひとり名前をよんだがウメちゃんはたちあがってハーとどもらずに言ったのはぼくが何十回も練習してハーのひとことでとまるように失敗すると唇をつねったのだ。 ぼくと同じヨシがつく子はヨシノ、ヨシダ、ヨシオカの三人おったが先生なのにぼくの名前を間違えて呼びよった。博をヒロムと言わんでヒロシというた。母ちゃんはヒロムと読める人は誰もおらんけん…とみょうなよみかたはひい祖父さんがつけたと言う。
 ウメちゃんのコがついた名はコダマ、コノキ、コンノ、コヤマ、コタニと五人もおる。 真新しい洋服きた子も何人もおって青白い顔したりこうそうな子やった。
 ぼくたちにはランドセルみたいなハイカラナカバンはない。みどりいろに白いもようのはいったふろしきに木でできたふでばこと本をつつんで背中にななめに背負った。
 学校からもどって母がウメちゃんも呼んでこんまい魚を焼いたおかずとゆで卵とキントキ豆で新入学を祝ってくれた。
 …おまんもいよいよ今日から一年生じやけん毎日、一時間は勉強せんといかんぜよ…
 …母ちゃん!急に言うてもあかんわ、できへんでェ!…
 …なに言うとるっ!ウメちゃんはいまも毎日漢字の勉強しよる感心な子じゃ!…    ……………。
 ぼくはウメちゃんのことを言われると文句がいえんようになる。

昭和初期の大阪 四十五

2006年10月08日 06時43分12秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十五

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 田舎のばあちゃんから今日も木箱が届いた。
 …おんちゃんまた箱とどいたんや、トンカチや!きっとうまいもんやでェ!…
 …なんや毎日ごちそうがとどいて!おおきに!…
 おんちゃんはすぐ運びだして、トントンキィーキイ…と箱を開け釘はまっすぐのばしてくれた。ぼくとウメちゃんの大事な遊びどうぐやった。
 なかからでてきたのはカキでもイモでもない白と黄色と赤いモチやった。
 ぼくはモチはオゴウグやと思っていた。
 家のすぐうえに新田神社があってぼくの家はももで祭りをする役目がだいだいあるとばあちゃんから聞いている。
 さむらいのかっこうした大人たちが弓でおおきな的に矢をうつのである。
 まんなかにあたると太鼓がどどーん!どどーんと鳴った。
 するとかみしもすがたのおんちゃんたちが四角い餅をくばり始める。
 このモチはオゴウグと言ってもち米がつぶになってる不思議な餅や。
 母ちゃんはホシガキとおなじようにチョンチュウおんちゃんに箱のモチの半分をわけた。 チョンチュおんちやんは目になみだを浮かべて…おおきに!おおきに!と頭をさげた。 …ちょうせんの餅つきは蒸したもち米を麻ふくろにつめて女がりょうはしをもってひらたい石にたたいてつくんや、キネとうすよりようつけるでェ!もちはチァルや…
 …ふーんチャルかぁ、もちに思えんわ、けったいやな!…
 …このあかい餅はスゥスゥチァルや、ちょうせんでよう食べた!…
 …うれはコウリャン餅よ、コウリャンはスウスウかい!…母ちゃんはスウを口とんがらして言った。

昭和初期の大阪 四十四

2006年10月07日 03時50分01秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十四

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 昨日、田舎のばあちゃんから木箱が届いた。
 チョンチュウおんちやんにカナズチで木箱を開けてもらうとなかから干しガキとかんそう芋がぎょうさん出てきた。
 母ちゃんはおれいや言うて箱の半分もチョンチュウおんちやんにあげた。
 カキはこんまくて堅く白いこながいっぱいついている。かんそう芋もカキとおなじ白い粉がついとった。
 …ちょうせんのいなかのほしガキもいっしょや、皆こまいのばかりや!こどもの頃を思い出す!…
 チョンチュウおんちやんは大喜びやった。
 口でしゃぶっていると甘い味がひろがった。
 田舎のばぁちゃんのほしガキは中がやわらかくてミツのような甘みがある。
 ワラにヘタがしばってあるので一ケづつハサミできってもろうた。
 かんそうイモは七リンに金網をおいて焼いた。
 するとあちこちぶくっとふくれてぱちっとわれ、いい匂いがしてきた。
 …にほんの田舎もちょうせんの田舎もいっしょや!カキのおおきさもいっしょや、庭に  カキの木が三本もあって、わしは登ってとってはパカチにいれたもんよ!…
 …パカチてなんや?…
 …カキをいれる籠をパカチと言うんや!…
 …ふーん!けったいな名前やな!…
 …ついでにカキはカムや!…
 …ふーん、ちょうせんの人はあたまがええわ、カキをかむからカムなんや、カライモは  甘いからアマやな!…
 …ヒロちゃんそれあかんでェ!さつまいもはコクマや!おなじイモでもジャガイモはカ  ムチァや…
 …カキとチァかぁ!…これウメちゃん知っとるかぁ?…
 ぼくはウメちゃんはふたつの言葉をしっとるのでぼくの倍も頭がええと思った。

昭和初期の大阪 四十三

2006年10月06日 11時58分57秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十三

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 …母ちゃん!ウメちゃん頭ええけどどもりやろ!来年の学校どないするねん!…
 …どもりだけはどないもこないもどうにもならんきに!…
 …すると読み方はらくだいか?…
 …小学校じやきに落第はないろうが、可哀相よのぅ…
 母は眉をよせて言った。
 …ウメちゃんのどもりぼくがなおしたるでェ、ぼくの言うとおり話てんか!…
 ぼくはウメちゃんにゆっくり話すように言って、いちばんぼーしみーつけた…の歌をゆっくりうたった。
 い、い、いーちば、ばーん…い、ち、ば、ん!や…い、い、…あかんあかん!い、ち、や…い、い、…なんでいを二回も言うんや、一回てええ!…ぼくはウメちゃんのりょう頬をかるくたたいた。
 い!、い、い、……なんでや、い、でとめるんや!いー!そうやそうやいーでええわ、治ったさかいえらいわ!ぼくは手をたたいた。
 …おんちゃん!ウメちゃんのどもりすこしやけど治ったさかい…
 ぼくは喜んでチョンチュおんちゃんに知らせた。
 …ほんまか!どもりはなおらんさかい、なんぞの間違いとちやうか…
 …いちばんのい、をいーというたでェ今…
 …そのあとはいーいーとくるんやろ!おんなじや!…
 …ウメちゃんだれからどもりなろうたんやろ!…
 …死んだ母ちゃんがすこしやけどどもりやった…
 …ちょうせんにもどもりがおるんか!…
 …朝鮮語でもどもる人おるでェ!わしのおとうとが少しどもりやった…
 …昨日きいたカエルのなきごえどもるんか!…
 …ケ、ケ、ケゴルというさかいどもりやろ…
 …どもりの薬ほしいわ…
 …風邪とちやうでェ!薬ないわ!…
 …算術も読本の字も全部できるんや、かわいそうやな!…
 …おおきに、あきらめとるんや!…
 チョンチュおんちゃんはそういってまたトントン始めた。

昭和初期の大阪 四十一

2006年10月05日 01時43分45秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十一

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 ある日、ゲンちゃんがヨーヨー持って遊びにきた。
 ヨーヨーはほしかったけど五銭もするので買えない。
 ヨーヨーは丸いわがくるくる回りながら地面すれすれに落ちたと思うとすーっと舞い上がる。ゲンちゃんのは真っ赤なヨーヨーだった。
 ぼくはチョンチュウおんちゃんにたのんでつくってもらうことにした。
 チョンチュおんちゃんはぼくのほしいものはなんでもつくってくれた。
 うすいいたで作った飛行機は野原の遠くまで飛んでいったし竹トンボはすこし羽をねじつただけで屋根をこえてまいあがったし、竹馬はいつでも乗れるように裏庭にある。
 …おんちゃんはなんでもつくれるめいじんやな…
 …名人とはおおげさや!きようというもんや…
 …ゲンちゃんよりふといヨーヨーつくってんか!…
 …ちょうど、将棋ばんの足があるさかい大きいのつくれるでェ!…
 その日の夕方までにチョンチュウおんちゃんはウメちゃんとぼくのぶん二ケもつくって、色は?と聞かれ白がええわ!と言うと真っ白のヨーヨーが出来た。
 ウメちゃんはなんかいやってもくるくるまわってゲンゴロウみたいにあがったりしずんだりしよる。
 ぼくのは同じヨーヨーやけどしたまでおちてくるくると上にあがってこんのでウメちゃんのやりかたをみた。
 するとしたまでおちてはんたいにまわりはじめた時にすぐ上へひっぱるとかるい手応えがして胸までくるくるとあがったので…そ、そ、そーや!とウメちゃんにほめられた。
 ゲンちゃんはうらやましそうな目でぼくのヨーヨーをみた。

昭和初期の大阪 四十

2006年10月04日 00時06分00秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  四十

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 その日ひるから一番遠くの沼へ遊に行って夕方になった。
 ゲンゴロウを五匹、小さな沢でドジョウを十三匹もつかまえた。
 ゲンゴロウはぼくの顔見るとぷくぷくと泡を残して葦の茎にそってもぐってしまうがすぐまた浮かんでぷくっと泡をふいたので網ですくった。
 メスラポが群れを作って低空を同じ方向に飛んで行く。
 …あっ一番星や!コウモリ森の上みてみぃ!…
 鉄橋のむこうは真っ赤な夕焼けになった。
 …ほ、ほ、ほーしのうーた、う、う…
 …母ちやんに教わったでェ、こんな歌やろ…
 いちばん星みつけた
 あれあの森の
 杉の木の上に

 にばん星みつけた
 あれあの土手の
 柳の木のうえに

 さんばん星みつけた
 あれあの山の
 松の木のうえに

 ぼくはウメちゃんの顔見て歌いながら阿倍野ケ原の草地を歩いた。
 …ご、ご,ご、ごーばんあ、あーるでェ!…
 ウメちゃんがゆびさした沼のうえにも星がきらきら光っていた。