吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 五十五

2006年10月16日 05時28分45秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  五十五

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 …母ちゃん!チョーセンジンはチョンチュおんちゃんもそうや!気持ちがやさしいやろ!  どうしてチョウセン!チョウセン!と馬鹿にするんや?…
 …チヨウセンジンも日本人もおんなじ人間じゃろ、ウメやん見てみぃや!りっばな少年  じゃろうが、ただ国が日本といっしょになっただけじやけん気にせんでもええ… 
 …ウメちゃんは秀才や、でも昨日よそから来た子は成績がわるうて皆ばかにしよるんや  …
 …どうしてチョウセンジンと分かったん?…
 …野田先生がそう言うたんや!…
 …先生はその子がすぐチョウセンジンと分かって皆にいじめられんように言うんよ、ウ  メちゃんと同じようになかようにあそんだらええ!…
 母は土佐の田舎でも隣村の道路工事で大勢のチョウセンジンがやってきてりっぱなトンネルも出来てその道路をアリラン道路と言うけん!…と教えてくれた。
 …アリランってなんや?…
 …チョウセンの流行歌じゃ!
 …チョウセンにも流行歌あるんか?
 …あらいで!おんなじ人間じゃけん、悲しい時も嬉しい時も歌うたうんじゃ!トラジ、  トラジ、ペクトラジって洋服学校の同級のチョウセンの女の子におそわっちゅうけに! …ふーん!ものとったらあかんわ、やはりチョウセンはものとりの歌があるんやな!… …フフフ!おまんにはかなわんのう!トラジは花の名前じゃ!…
 ぼくはチョウセンの偉い人が日本に悪いことをしたんで国がいっしょになればようなるんやと思った。