吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 三十六

2006年10月01日 04時10分36秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  三十六

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 …母ちゃん!チョンチュおんちゃんの肩たたきで一銭もろうた!…
 …そりゃ気の毒な!チョンチュさんはお前に小遣いあげようとわざと肩たたきをさせた  んじや!ほんに優しい朝鮮の人じゃ!…
 母は鼻をすすりながら言った。
 母はなにか感動する時やタイワンにわたった父の話しをする時に必ず鼻をすすった。
 ぼくは早速ウメちゃんと一銭店屋へかけて行った。
 百連発と紙玉がほしかったが五銭やから買えない。ゴム飛行機は三銭、びー玉はウメちゃんが木箱いっぱいもっている、ベーゴマも売るほどウメちゃんは集めていた。
 ゴム毬につつまれたアンコ玉は針をつついてぱっとゴムがはがれておもろいけど口にほうりこんだらおしまいやった。
 木のみつ又に乳ゴムをつけたパチンコもあるが、こんなのはウメちゃんはすぐつくってしまう。
 まよったあげく手にしたのは大関、関脇のすもうメンコだ。
 土佐の横綱、玉錦の角メンコはクジで一等とらないともらえない。
 小結のカミカゼは五枚で一銭やった。
 ウメちゃんのメンコに小結と関脇はいちまいもない。
 ウメちゃんはロウセキを買った。
 レンガ石畳に好きな絵や陣取り遊びの図をかくロウセキがのうなったのでほしかったと言う。
 家にかえってさっそくウメちゃんが店まわり遊びのわく作りをかいた。
 ぼくはゲンちゃんをさそった。
 くわりしたのはセンベイ屋、碁会所、コウモリの森、技芸女学校の門、一銭店屋、洗いはり屋、カナマルざっか屋などで一番遠い所はコウモリの森、近い所は学校の門で手のひらぐらいのわくやからころがした玉はなかなかそこにとまらない。
 ぼくの玉とゲンちゃんの玉は一番遠いコウモリの森にとまた。そこまでは学校の門の五倍も遠かった。