吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 五十七

2006年10月17日 11時25分04秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  五十七

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 …ヒロちゃん!おおきに!おかげで助かった、夜になると冷えておおごとになるとこや  った…
 チョンチュおんちゃんはほっとした顔で言った。
 …ウメちゃん!なんで穴におったんや?落ちたんか?…
 ぼくはウメちゃんをなじるように聞いた。
 チョンチュおんちゃんは後でウメ吉が穴におったわけをおしえてくれた。
 ウメちゃんは夢でトッケピから告げられたと言う。トッピケはちょうせんのお化けで前にチョンチュウおんちゃんから聞いていた。
 阿倍野ケ原のコウモリ森近くの穴に、死んだ母ちゃんがまっとるんや!と言う声を耳にしたのは学校の授業が終わって鐘がなった時と言う。 
 その声は耳のおくでいつまでも聞こえたと言う。
 ウメちゃんの母が死んだのはウメちゃんがまだ赤ちゃんの時と父から聞いている。
 まだみたこともない母の娘の時のふるぼけた写真は父からみせてもらったらしい。
 白い壁がつづく大きな塀と屋根のついた門の前にたったチマ、チョゴリに丸髷姿の娘で父とけっこんする前の写真と聞いた。
 …ウメ吉は感がつようてときどき、わしがはっと思うことをくちばしりよった!死んだ  母ちゃんはとうにあの世や!頭のええウメ吉にはそれぐらいよう知っとるはずなんや  が…
 チョンチユウおんちゃんは青い顔でつぶやいた。
 トッケピの話はなんども聞いていて、悪い鬼になったり人助けをしたり、いろいろの動物にばけたりするおばけである。

昭和初期の大阪 五十六

2006年10月17日 04時33分04秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  五十六

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 …母ちゃん!ウメちゃんが学校の帰りに用事がある言うて技芸女学校裏の近道から阿倍  野ケ原へ行ったんや!!…
 …夕方、チョンチユウおんちゃんから…ウメ吉と帰りいっしょやなかったんかい?…と聞かれた。
 …ウメちゃん、まだ戻らんのか?おかしいわ!…ぼくはびっくりして聞いた。
 …わしが桶をおさめに行って戻ったら、ウメ吉がおらんのや…
 …ウメちゃんとわかれたんはおひるやでェ!…
 …どこでわかれたんや?…
 …女学校裏のコウモリ森や…
 …こりゃ大変や、どこぞで怪我でも!…
 …ほんならぼくさがしに行く…
 …探す言うてももう夕方や!日もくれるさかい!…
 チョンチュウおんちゃんは顔色変えてちょうちんを持って路地を出た。ぼくと母は慌ててあとを追った。
 日も阿倍野ケ原の向こうにしずみはじめて、だんだん暗くなった。
 コウモリ森の上をぎょうさんコウモリが飛び立って舞い始めた。 
 その時、と、と、と、うちゃーん!と叫ぶこえが草むらから聞こえた。
 ぼくはチョンチュウおんちゃんを呼び止めた。
 …おんちゃん!今、ウメちやんの声したでェ!…
 ぼくは先を歩くチョンチュおんちゃんに叫んだ。
 …ほんまか?…
 …ほんまやすぐそこや!…
 チョンチュおんちゃんのちょうちんの明かりがへっこんだ草むらを照らした。
 暗い大きな穴があった。
 ウメちゃんの背より倍もある穴にウメちゃんがいた。
 顔と手から血がにじんでおった。