吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 三十八

2006年10月02日 06時28分44秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  三十八

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 …いよいよ来年から小学校一年生じゃけん自分の名前だけはしっかり書けるようになら  んといかん…
 母が役所から通知がきたけん…と知らせた。
 ぼくはウメちゃんに柿かたを教わっていたので、紙にきちんと書いた。 
 …これは驚いた!いつ覚えちゅうが!…
 …ウメちゃんになろうた!…母ちゃんも学校行く前に書けたんやろ、学問がようできた  祖父ちゃんに教えてもろうて…
 …母さんの頃、今みたいに六年生がのうて小学校尋常科は四年生で終わりよ…
 …ふーん!
 …母さんの子供の頃は祖父さんは台湾という遠い国へ働きに行きよって家におらざった  けん人にまけんようによう勉強したもんよ、四年生の時、祖父さんは台湾から戻んで  人が変わったように仕事もせず一日いろりにすわったままじゃった、母さんは女じゃ  けんど村の餓鬼大将じゃった、アリを食べると強ようなると祖父さんに教わってよう  アリヲひろって食べたもんよ…
  母は祖父から台湾ではアリを食べて精をつけたと聞いていた。
 日本の三倍もある大きなアリを油でいためて食べたらしい。
 母の話では台湾の高い山でショウノウ栽培しようと村の若者を連れて台湾に渡ったという。
 ショウノウ栽培は曾祖父が漢方医者で本に書いてあったので日清戦争が終わるとすぐ台湾にわたったらしい。
 でもすっかり気がよわくなって早死したのは連れて行った人足逹が皆、首狩り土人に襲われて殺されたので命からがら田舎に戻ってからという。

昭和初期の大阪 三十七

2006年10月02日 00時55分23秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  三十七

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 物売りおんちゃんは毎日、かわりばんこに色々なものを売りにきた。
 サートーシガラキーコウリヤーシ、ベッコウ飴のおんちゃん、沢カニ屋、イカケーナーオシ屋、ぼくが一番好きな物売りはサーシミ屋さんだ。
 サーシミ屋さんがくるのは夕方だ。
 母ちゃんは一度も買うたことがない。
 くる度に注文するのはカランコロンおばさんだ。
 サーシミおんちゃんは魚屋である。ええ!サーシミ!ええ!サーシミ!とよくとおる高い声で長屋の人たちに呼びかける。
 ぼくはサーシミおんちゃんがたらいのような大きいバンダイの蓋をあけた時の匂いが大好きやった。
 あたりいちめんに酢の匂いが立ち込める。
 サーシミおんちゃんはカランコロンおばさんがだした大きな皿に、白身のサーシミをきって波のように綺麗にならべ、ぷーんと鼻をつく緑のからしを皿のへりに山盛りして渡す。 サーシミ屋がくるのは二日おきくらいだった。
 ぼくはウメちゃんと魚屋のおんちゃんが白と黒のたいらな魚を包丁で二枚にしてななめに切る様子をじっと眺めていた。
 今日もおんちゃんはカランコロンおばちゃんの大皿にそれをきれいに並べてカランコロンの家にとどけた。
 …ぼくもたべたいなぁ!…
 思わずひとりごとが出た。
 …母ちゃん!ぼくもサーシミたべたいんや!…
 母は返事もせずガチャガチャズズーンとミシンをふんだままだ。