吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 五十四

2006年10月15日 00時26分10秒 | 玄界灘を越えて
昭和初期の大阪  五十四

 金谷点柱(こんたにてんちゅう)
 ぼくにとってウメちゃんは兄んちゃんみたいやった。
 阿倍野ケ原にいるトンボ、バッタ、チョウチョウ、カエル、ゲンゴロウ、テントウムシ、コオロギ、メジロ、サイカチとカブトムシ、カニ、アリジゴク、…皆、ウメちゃんが王様でそれらのムシやトリは家来やった。
 ウメちやんは生きたおもちゃのつかまえかたと飼いかたはほんまに名人やった。けどどうしてどもりになったかカミサマがそうさせたと母ちゃんは言う。
 でもぼくがウメちゃんに勝つのは阿倍野の鉄橋から見下ろすジョウキキカンシャの暑く白い煙にまかれることが怖くてにげだしてかんにん!ということと、学校で描くクレヨンの絵はいつもぼくが組一番の五重マルをもらうことやった。
 絵はどこでなろうたかおぼえてないが髭をはやした父が桜の木を描いたぼくの絵の木の根が土の中で左右にわかれてまるで地に枝がはうように描いて教えてくれたことだ。
 その日のことはようおぼえておったのは腹が痛とうなってぼくの描いたサクラの木をまくらもとにおいて父がぼくのおなかをさすってくれたことだ。
 あとで母に…それは東京にいた頃じゃきに、父さんはそれから北海道へ行ったけん…と聞いたから、ぼくが四才り頃の話やった。
 ある日、住吉さんの境内の赤いまんまるい橋のしたのカメをウメちゃんがつかまえたので裏のちいさな池に飼ったがいつのまにか逃げてもうた。
 まるでウタエモンが忍術つかったように、なんにちもさがしたがカメはみつからんかった。
 ぼくの足で住吉さんまでだいぶん歩くので足のおそいカメタロウはなんにちもかかって丸橋の池まで歩いて行ったんやろ。
 チョンチュウおんちゃんはボクにムシの朝鮮ことばをおしえてくれた。
 ムシはポルレ、カニはケ、いぬもケ…おんちゃんそれおかしいわ、まちごうとるでェ!ケとケはカニとカニや!…
 …無理もない!ケとケーや!…バッタはメトゥギ…
 …碁会所の赤犬のチビはアカケーやな、けったいなチビや!
 ぼくはあとでチビにアカケー!と呼んだらあたまがええやつや!しっぽをきちがいみたいにふりよったのでチビもちょうせん犬のたねをもろうたんやと思った。