吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 二十六

2006年09月20日 06時09分13秒 | Weblog
 昭和初期の大阪 二十六

 金谷点柱    十四
 紅白まんじゅう
 いつもは朝早くからタンタンタンタタンと竹のたがをたたく音が今朝はしずかやった。 …母ちゃんウメちゃんち音せえへんでェ!…
 …ほんに変じゃ!風邪でもひいつろうかのぅ!…
 …ぼく見てくる!…
 戸はしまったままやった。
 …ウメちゃんウメちゃん、いてるかい!…
 ぼくがおおきな声で呼ぶと…いま、開けるさかいちょっと待っちよって!とてんちゃんの声がして戸が開いた。
 …今日はどないしたんやおんちゃんは!…
 ぼくは心配して聞いた。
 …どないこないもせぇへん、今日はチェサの日やから仕事休みよ!…
 …ふーん、チエサってなんや!…
 …ヒロちゃんは知らんやろ、今日は朝鮮のわが家で大事な日やさかいあとでヒロちゃん  呼ぶつもりやった…
 ぼくを呼ぶというのはなにかええものでも…と胸がどきどきしてきた。
 …母ちゃん!ウメちゃんち、今日はチサの日やから仕事はせぇへんのやって…
 …フフフフ!そりゃぁチェサ言うて祖先をまつる大事な日じゃ、亡うなった学者の祖父  さんから朝鮮は昔から孔子と言う偉い人の教えをずうっと守ってきた国じゃったき、  祖先をたいせつにするのは日本もかなわんそうじゃ!…
 …ほんならなんでぎょうさんおいしいもんをそなえるんじゃ!…
 …亡うなった祖先の人たちに食べてもろうためヨ…
 ぼくはてんちゃんの後ろの棚に仰山のごちそうが三段もそなえてあったのを見た。
 しばらくするとオマスさんよ、ほんの少しやけどこれどうぞ!とてんちゃんが大きな紅白まんじゅうと餅をもってきてくれはった。

昭和初期の大阪 二十五

2006年09月19日 01時16分10秒 | Weblog
 昭和初期の大阪 二十五

 金谷点柱    十三
 ひょうたん飴
 なんでも天才のウメちゃんにどうしても出来ない飴しゃぶりがある。
 三日に一度、屋台をひいて飴売り爺さんがやってくる。
 路地のわきに屋台をとめると女学校で鳴らす小使さんのふる鈴よりすこし小さな鈴をふってまわりを一回りすると子供たちが一銭銅貨を手に集まってくる。
 横の小鍋で透き通った茶色の飴を暖めて屋台のまんなかの鉄板に飴を流し、ボール紙くらいの厚さに延ばし、銅金で作ったひょうたん型を飴がかたまらないうちに押してゆく。全部で五十ケくらいおしてから、細長い四角の金型でひょうたん飴を切り離しそれを一ケ一銭でうるのである。
 ぼくたちはひょうたん飴が途中で割れないようにそっと口に入れて飴の裏をなめるのである。
 下手くその男の子が口に入れてすぐ割ってしまうともう終わりで高い飴代になってしまい半ベソをかいてほかの子の口元をうらやましそうにみつめるのだ。
 ウメちゃんはドモリやから舌がぼくとちがってるのか、舐め方が下手なのでやはりまもなく割ってしまう。
 ウメちゃんもうらやましそうにぼくの口許をみつめている。
 すこし時間がすぎてぼくのひょうたんの縁がうすくなり割れてくるがきまりがあって飴に手でさわってはアウトになるのだ。手でひょうたん飴をつかんでなんども裏をなめてはいけないのである。
 いったん口に入れたひょうたん飴はちやんとひょうたん形がそのまま薄いふちの線から割れて出てこないといけない規則だった。
 ぼくは見事に舌からわくをとったひょうたん飴をだして爺さんにあーんと見せた。
 じいさんはよっしゃよっしゃと!とさけんであたりの鈴をならす。
 ぼくは景品の手のひら一杯ほども大きい人形飴を爺さんから貰った。それだけ買うと三銭もするのだった。
 二枚目のひょうたんも見事に形どうりにしてべろを爺さんにみせた。
 …かなわんがなもう!…爺さんは二枚目の相撲さんの形の大きな飴をぼくにくれて…ほなら今日はおしまいや!…と言った。
 ぼくはウメちゃんにお相撲さんの形の飴をあげた。
 ほかの子供は皆失敗してうらやましそうにぼくの口をみつめている。

昭和初期の大阪 二十四

2006年09月18日 11時55分44秒 | Weblog
 昭和初期の大阪 二十四

 金谷点柱    十二
 飴切りとしがらきや
 毎日のようにやってくるしがらきおんちゃんは口に髭があっておっかない顔やったがおくれっ!と一銭をさしだした途端、にこにこっとしておおきに!まけたるでェ今日は!…と言って木の引き出しから切った新聞紙をだし、そして小さなガラス戸からとりだしたしがらきの粒をその日は八っつも入れて黄粉もたっぷりかけてくれはった。
 ぼくは嬉しくてそのままウメちゃんちへ駆けて行き…ウメちゃんしがらきようひえとるでェたべな!と三ケとってウメちゃんの手に握らせた。
 冷たくてこんなにうまいものはない。
 …さとうーしがらきー!こーりやーしのわらびーもーち!…
 おんちゃんのかけごえは路地先の技芸女学校門あたりから聞こえてくる。
 しがらきはクズもちからつくったすきとおった小さな団子である。暑い夏にガラスケースに氷をいれてその上に布を敷き、しがらきの山を重ねて売るのである。
 一銭店屋に飴や塩豆や塩からせんべいもあったが皆おいしくない。
 ぼくの大好きなのはさーとぅしがらきー!こおりーやしーのわらびーもち!のおんちゃんだ。
 ウメちゃんちの前で…さーとうしがらーきーこおりやーしの!言ったらウメちゃんがとびだしてきた。
 ど、ど、ど、ーこや!…
 …ここにおるがな!…
 桶のたがを木槌でたたいていたてんちゃんがヒロちゃん!いつからそんな商売はじめたんや?…と言う。
 しがらきおんちゃんから二銭買うと十六ケもくれるんや、四ケただやから、五ケにして売るともうかるんやろ!…
 そう答えるとてんちゃんはケッケッケケケと笑い、ヒロちゃんの算術はえろうおますな!と褒めてくれた。

昭和初期の大阪 二十三

2006年09月17日 12時54分45秒 | Weblog
 昭和初期の大阪 二十三

 金谷点柱    十一
 …気の毒にこんたにさんの弟さんが炭鉱の事故で亡くなったきに、また朝鮮の田舎へ帰  るんじゃと…
 ある雨の日、ぼくがミシンのそばで布をたてにしたり横にしたりして足を踏んでる時に母が言った。
 …ほんならまたウメちゃんもいっしょやな…
 …ウメちゃんはなんも知らんきに遠い旅もたいへんじゃき母さんあずかってもええけん …
 …そうしたらええわ、ウメちゃんよろこぶでェ!…
 …お前がうれしいんじゃろ、遊び相手がそのままおって…
 …よう知ってるわ!ほんま母ちゃんは利口やな…
 …それはそうとそろそろジョリジョリせんとあかんけん…
 母がぼくの頭を見て言ったので途端に頭が痛うなった。
 母の言うジョリジョリは風呂屋さんで母がぼくの頭を剃刀でのびた毛を剃ることや。  いつも箱入りのキヤラメルがその時の褒美だった。
 時々、頭につけた石鹸のつゆが眼に染みてすごくいたいのがつらかった。
 その日、別のキヤラメルを母が買ってきてくれたんでしぶしぶ風呂屋へついて行った。 母はぼくの頭を股に挟んで頭を抱えジョリジョリを始めた。 
 ウメチャンはてんちゃんがよく切れる剃刀をその時にまた研いでやるのでジョリジョリでなくすべるように切れて気持ちがええとと言った。
 …キヤラメルくれへんのか!…
 ぼくはウメちゃんもキヤラメル貰っうてするんやと思って聞いた。

昭和初期の大阪 二十二

2006年09月16日 01時09分53秒 | Weblog
 昭和初期の大阪  二十二

 金谷点柱(こんたにてんちゅう) 十
 …今日は公会堂でええ集まりがあるけんいっしょに来いいや…
 ある日母は鏡台に向かっていつも外へ洋服をおさめにゆくときのようにしきりに頬を朱くするために赤折り紙に唾をつけてこすりながら言った。
 …一銭くれるんやろ!…
 ぼくはその日、ウメちゃんと阿倍野ケ原へバッタとりに行くやくそくやったのでぼくの気持ちを変えるので一銭をもらういい理由になった。
 …ああ!あげるけん!…
 母はいい返事をして…ウメちゃんもいっしょにつれて行くけん…と行った。
 ぼくは嬉しくてウメちゃんちへ知らせに行った。
 ウメちゃんのお父も悦んでくれた。…
 会場は大勢の人々でわんわんしていた。 
 するとなかが真っ暗になって活動写真がはじまった。
 偉い少年が一生懸命勉強したり働いたりしながらとても偉い大人になり、なにかが起きて小さな島へ流されて、やがて一人ぽっちになって海に取り残されて水が段々あがってきて胸までくると突然太鼓がなりだしてその音が大きくなると水がふしぎにもひいてきてまもなく頭が坊主の大人が無事陸にもどる活動写真やった。
 大きな拍手が起きてやがてあかるくなるとぼくたちは二階から飴をなめながらしたにぎっしり詰まった人々を眺めていた。
 母が連れて行った所はそんな活動写真をうつす場所だった。
 うまれて初めてウメちゃんとぼくは乗合自動車に乗った。自動車が凄い速さでみたこともない街を走った。はきだす煙の匂いがとても美味しそうな匂いがした。
 …ウメちゃんええ匂いやな!…
 ぼくがつぶやいたら、ウメちゃんは恥ずかしそうにちいさな声でそ、そ、そーやと言った。

昭和初期の大阪 二十一

2006年09月15日 00時12分17秒 | Weblog
 昭和初期の大阪  二十一

 金谷点柱(こんたにてんちゅう) 九
 …おんちゃん子供の頃どんな遊びをしよったんや?…
 …ウメ吉といっしょよ、虫取り、石投げ、竹馬、朝と夜は勉強して昼間はおそくまであ  そびよったがわしが十才の時、日本に国が取られて難しい勉強せいでもおこられんよ  うになったヨ!…
 …日本が国をとったんか!…
 …ヒロちゃんは知らんさかい、大きな声だしたらいかん!…
 ぼくは国をとるってわからないので母に聞いた。
 …お前は子供じゃきにそんなことは知らんほうがええ、ウメちゃんは朝鮮やけんどしょ  う頭が利口じゃけんこれからも仲良くしいいや…
 母は慌ててそう言った。
 ぼくは来年は小学校一年生やからいまのうちにウメちゃんにアイウエオの書き方読み方をならうつもりになった。
 ウメちゃんちには小学校一年で習う読本がある。
 ハナは花、マメは豆、ミノカサ、カラカサは雨が降るとお百姓さんはミノカサを使いぼくらは傘を使う。カラスガイマスは友達みたいなもんやからすぐ字を覚えた。
 勉強が終わるとセミとりに住吉神社へでかけた。
 十三間道路は時々バスが土煙をまきあげて走ってくるのでぼくらはその間に駆けてわたるのである。
 神社のなかは昼もうすぐらくなるほど大きな木が何十本もそびえている。
 ジジジジ!からミーンミーンミーンとひまなしに鳴いているセミはなかなか見つからない。 
 ウメちゃんはこの間目白を掴まえたときに使った鳥黐(とりもち)をながくて細長い竹竿の先に渦巻きのようにぬったのを手にして樹の上を見上げ、…い、い、いた!とさけんだ途端、竿の先に羽が透き通ったセミが竿にびったりついていた。
 いきなり大きなミンミンをつかまえたのだ。

昭和初期の大阪 二十

2006年09月14日 00時18分22秒 | Weblog
 昭和初期の大阪  二十

 金谷点柱(こんたにてんちゅう) 八
 …ウメちゃんは寝小便したことあるか?…
 …な、な、な、…
 …えらいんやなねぼくは夢でよう小便するんや、朝おきたら布団がびちゃびちゃなんや  …
 …ま、ま、ま、じなーいあ、あ、るでエ…
 …教えて!教えてんか!…
 …お、お、おとうが、し、し、っとる!…
 ぼくはおんちゃんに聞いた。
 …朝鮮では夜遊びする子はね小便する、と昔からいわれとるでェ!…それと寝る時の枕  もとに靴下をおくと悪い夢を見て小便する…もしね小便をしたらオモニ(母ちゃん)  が親戚の家から塩もろうてこいと言われ、そのつもりで壺を持ってゆくと思いっきり  尻をぶたれる…
 …ぼくは近くに親戚もないし、靴下はぬぎっぱなしやから枕にはない、夜遊びしたこと  もないでェ、そやけどよう寝ていて小便や、いつも夢で原っぱで小便するんや…
 …体がひえとるからや、ニンニク食べな!…
 …ニンニクは臭いやろ、おんちゃんは好きやけどニンニクぼく嫌いや!…
 するとてんちゃんはケッケッケと肩をゆすり蛙みたいに笑った。
 ぼくはおかしくなって真似しようとしたがヘッヘッヘッしかわらえなかったのでハハハ ハト笑い直した。

昭和初期の大阪 十九

2006年09月13日 00時10分04秒 | Weblog
 昭和初期の大阪  十九

 金谷点柱(こんたにてんちゅう) 七
 ぼくはてんちゃんに作ってもろた竹馬を担いで阿倍野ケ原へウメちゃんと二人ででかけた。
 するとまもなくゲンちゃんとその友達が一人、竹馬を担いでやってきた。
 …ウメちゃんの竹馬を見て兄チャンの友達につくってもろたんや…とゲンちゃんが言った。
 ゲンちゃんの竹馬はウメちゃんより小さい背丈の竹馬やった。
 ゲンちゃんは歩くのがやっとで時々地面に足がつく。
 ゲンちゃんの友達の竹馬の棒は竹でなくてそれにゲンちゃんよりずっと短いが乗ったかとおもったらすぐ地面に足がつく。
 その間をまるで犬がじゃれるようにウメちゃんの竹馬は駆け抜ける。
 ぼくは大きな木に背中をもたせ一気に前に体をたおすようにして歩きだした。
 なんとかのっしのっし歩きになった。
 …そ、そ、そ、それや!それや!…
 ウメちゃんが大声で褒めてくれた。
 夕方、むこうの鉄橋を阪和電車がフアーンと鳴いて真っ赤な夕日を背景にしてゴーっと走り去って、僕達四人はやっと竹馬稽古を終えて家路についた。
 空を低く雌ラポがすいすい虫を追いながら葦原に向かって飛んでいった。
 てんちゃんの帰りが遅いのでウメちゃんを呼んで夕飯はぼくと一緒だった。
 その日は赤飯である。
 幼心におめでたい日は赤飯と知っていた。
 …ぼくの誕生日やあらへんに…
 …今日はお一日の日じゃけん今月もよいことがありますように神様にいのるんじゃけん …
 母はそう言った。
 母の赤飯はもち米でなく普通の御飯にアズキ豆をいれて炊いたものだが色は赤飯だった。 母がぼくの大好きな魚を焼いてくれたのでタンクタンクロウの御飯茶碗で五杯もたべたがウメちゃんは二杯だけやった。魚は頭がおかしらと言ってめでたいと母は言う。
 ウメちゃんも魚が大好きでぼくと違って骨についた肉も綺麗にたべたので母に褒められた。

昭和初期の大阪 十八

2006年09月12日 06時31分30秒 | Weblog
 昭和初期の大阪  十八

 金谷点柱(こんたにてんちゅう) 六
 ウメちゃんちの裏は桶に使う材木や青竹の干場になっている。
 ある日、桶木の重なった横に二本の竹竿のしたにハの字に竹を挟んだ割った木が縄でくくりつけてあるのを見つけた。
 …おんちゃんこれなんや?!…
 ぼくはウメちゃんの吃る説明が面倒なのでてんちゃんに聞いた。
 …ヒロちゃんは乗れんやろ!ウメキチはこれでオイッチニと駆け足、鉄砲担いで片足飛  びの名人や、おんちゃんが子供の頃、朝鮮の田舎であそびよった頃よりウメ吉はうま  い!…
 …ウメちゃんは吃りなんにこんなもんによう乗れるもんやな!…
 ぼくはしんじられなかった。これを使ってオイッチニ!ってどうするんやろ。
 ウメちゃんがてんちゃんの使いからもどったので乗ってもらうことになった。
 ウメちゃんはにこっとして裏の塀に背中をもたせ、ひょいと竹馬の足板に飛び乗ったとおもったらそのまま木戸をくぐって歩きだした。
 ぼくらのようにちょこちょこ歩きではない。のっしのっしと大股歩きだ。
 てんちゃんの背丈もある高さでにこにこしながら歩いたあと、こんどは片方の竹馬を肩にかついでケンケンを始めた。
 ぼくはびっくりしてウメちゃんのサーカスぶりに手をたたいた。
 …わしもあれくらいはやりよったが、ケンケンはウメ吉のほうが長い!…
 てんちゃんは目をほそうして言った。

昭和初期の大阪 十七

2006年09月11日 02時15分20秒 | Weblog
 昭和初期の大阪  十七

 金谷点柱(こんたにてんちゅう) 五
 …ウメチャンちのお父はウメちゃんと同じ秀才や!…とつぶやきながらある雨の日、ぼくはウメちゃんちの小さな部屋でまわり将棋をしてあそんだ。
 ぼくんちでは母の化粧間と同じ玄関よこの部屋だった。壁にびったりへばりついた本箱に難しい字の書いた本がぎっしりつまっている。
 …こ、こ、こ、れ、よ、よめるでエ…
 ウメちゃんが本箱のしたのほうから糸で閉じた表紙がすり切れた本を開いて言った。
 ぼくは小学校にあがるのは来年だから読める字はタンクタンクロウが言う言葉をやっと覚えていた。
 ウメちゃんは住吉に遊びに行く途中の、うどん、蕎麦と書いた看板を読んだり、山田煙草、高井染め物屋、八百正、戸田食堂などの看板を全部読めた。
 …てんちゃんはヤンバンの天才やからウメちゃんはおそわったんやろ?…
 ぼくはうらやましそうに聞いた。
 ウメちゃんがだした本はせんじもんと言う。
 難しい字はかんじとウメちゃんが教えてくれ、朝鮮では一番始めに学ぶ本と言った。 …お父は秀才やからええわ、ぼくのお父は北海道と言う熊がおるとこではたらいとるんや…
 ぼくは母から聞いた父のことをウメちゃんに言った。
 ウメちゃんは帳面を開いて、金谷梅吉と大きな字で自分の名前をかき、ぼくの名前も博とまるで学校の先生がかいたように立派な字だ。
 ウメちゃんは絵も上手だ。
 タンクタンクロウが刀を抜いてふりあげた顔は口をへの字にして刀も大きくそっていてよくきれそうだ。