吉松ひろむの日記

高麗陶磁器並びに李朝朝鮮、現代韓国に詳しい吉松ひろむの日記です。大正生まれ、大正ロマンのブログです。

昭和初期の大阪 十四

2006年09月08日 03時20分28秒 | Weblog
 昭和初期の大阪  十四

 金谷天柱(こんたにてんちゅう) 二
 母が朝鮮にくわしいいのは祖父から学んだ知識らしい。
 ひい祖父さんは学者で漢方医じゃったが番所を人に譲って京都へ行って歌人修行をしたと言い、盛沙蓮の号で多くの歌を残し、高知県の図書館に江戸時代、番所の古文書とともに蔵書されているのを後に中学に入ってから知らされた。
 …祖父さんの膝に抱かれてよう小便をしたそうな…
 ぼくがミシン台にへばりついて田舎の思い出を母に話しかけると、
 …まっことよう覚えちゅうのう!その通りじゃ、おまんは祖父さんの膝が暖こうてすぐ  小便しよったが…と母は鼻をすすって言った。母は鼻が悪くていつもつまっていて料理下手なんはそのせいじゃと言った。
 その祖父さんはいつのまにか消えていない。
 母の話しによると日清戦争というのがあって戦争が終わると冒険好きな父は二十五才の時、田畑を担保に大金を懐に人足を連れて台湾へ樟脳栽培にでかけたが首狩りの生蛮に人足が殺されて病人のようになって故郷へ帰ると人がかわったようになり、無口で朝から晩までただ働きづめだったと、これも後に中学へ入ってから聞かされた。         てんちゅうおんちゃんは歌が大好きで手ぬぐいでふとい鉢巻きをしながらなんとかエヘ チング ネハゴ とかアリランとかウンヘヤウンヘヤと朝鮮語で歌いながら桶のタガを木槌でたたく。トン トントントン トン トントントンと拍子をとって首をふるのがおかしくて一人笑いをすると…舐めな!と言って小さなやきもの壺から朝鮮飴(白いブッキリ飴)を掴んでくれる。
 もちろんウメちゃんも一緒だ。        
 ぼくとウメちゃんが学校へはいるのは来年なのにウメちゃんはいろはにほへとは全部書けるし算術の足し算引き算もよくできる秀才だ。
 ある日、ぼくはひっかいた眼の上の傷が膿んではれたので母が直してくれる所へ行こうと大きな飴玉を三ケもくれた。
 住吉神社のむこうに大きな門にしめなわの張った家へ行った。
 病院なのに薬の匂いがしない。
 広い畳座敷に座っていると白い着物に青の袴をつけ髭をはやしたおんちゃんが来て、なにやら声をだしながらいきなりぷぅ!と口から水をぼくの顔にふっかけたので驚いてそのまま家へ一目散に逃げ返った。
 …せっかく天理さんの神様にお願いしたんにまっことこの子は!…と母は怒った。
 その頃、ときどきやってくる妹のすすめで…悪しきを払い助けたまえ、天理教のみこと…と母は毎朝、神棚に手を合わせていた。