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☆yabmaruとその仲間たちののほほん日記☆

「いつの日か」を「今日」に変える人たち

2007年07月30日 21時51分44秒 | のほほん日記

  
  夢の扉…

みなさんはこのTV番組を御存知ですか?
私はこの番組がとても好きで、日曜ににいるときは
必ず見るようにしています。
世界で活躍する日本人を取り上げたドキュメント番組です。
確か以前もこのネタを書いたかもしれません。
(地雷探知機を作る方の放送分で)

引きこもってた昨日も、この番組を見て感銘を受けたので、
また今日は紹介させて頂こうかと思います。







『発展途上国の子供をより多く救いたい』と言う吉岡さんは、
国際ボランティアでミャンマーに留まって活動を続けてらっしゃる小児科医です。
家族(奥さんと小さい子供二人)を日本に置いて、もう4年活動をされています。
それだけでもすごいことだと思うんですが、一番ビックリしたのは
無償で医療活動を行っているということです。
つまり1円のお給料も貰っていないのです。
朝から深夜まで働きっぱなし。
4年間も。

日本で暮らす家族は、奥さんの稼ぎで生計を立ててらっしゃいます。
吉岡さんも吉岡さんなら、奥さんも奥さん、素晴らしいご夫婦です。


現地での吉岡さんはと言うと、治療費はほとんど貰っていないそうです。
1ヶ月の平均収入が数十円のミャンマーでは、
何万(保険がない)もする医療費はみんな払えないのです。
それでも治療を続ける吉岡さんの前に、
首に大きな腫瘍(もう1つ顔があるぐらいの大きさ)を持った少年が
来院してきたのです。

まず機材が揃わないミャンマーでの手術は不可能なので、
吉岡さんは日本で治療をすることを考えました。
でもミャンマーの国からはお金が支給されませんでした。


「神様が僕を試してるんだと思う」


そう語る吉岡さんは、なんと自腹で少年を来日させ、
手術にかかる費用も全部負担されました。


何の血の繋がりもない少年を、
国も言葉も違う少年を、
ただただ助けたいと言う想いだけで、
日本に連れてきた。


みなさんが医者だったら出来ますか?

私が医者だったら…おそらく出来ないんじゃないかと思った。
だから余計、吉岡さんの愛の大きさに胸が打たれた。


そしてその吉岡さんの愛が届いたのか、
少年は無事手術を終えミャンマーに戻った。


それから数ヵ月後。
少年の症状は大分よくなり、生まれてからずっと寝たきりで
歩いたこともなかったのに、リハビリを重ねゆっくりではあるが
歩けるようになった
そして吉岡さんに言った。


「僕も吉岡さんみたいなお医者さんになるんだ」


その目を見た時、吉岡さんは自分のやってきたことに
間違いはなかったと確信したことでしょう



そして吉岡さんは医者になった理由をこう語ります。


「学生の時にこんな状態の国があることをTVで見て、
何かしたいと思った。でも何していいか分からないんです。
井戸を掘りたいと思ってもどこに行って、どうしたらいいか分からない。
でも医者はそれだけで力になる。
何もなくても一人でそこに行っても力になれるんです。」


と。


私たちはほぼみんなが淡々とした毎日を送っています。
食べることも、住む場所も、着るものも、困ることはほぼありません。
ただ平凡に毎日を過ごし、毎日普通に生きていけるんです。

でも発展途上国にはいろんな問題があり、
特に5歳以下の乳幼児がたくさん亡くなっていってます
その現実を知ることはとても大事なことだと思うし、
吉岡さんのように「自分で何かをしよう!」とまでは思わないにしても、
自分に出来る何かがあることを意識することは必要なんじゃないかと思います。



2015年までに、
世界の宝となる日本人になる、
世界の宝となる日本人たちを創る



自分のゴールをそう書き綴った吉岡さん。
彼の夢の扉はもう開いています。
そこから繋がる新しいストーリーに期待を寄せつつ、
自分の夢の扉も少しずつ開いてゆかなきゃな~と思いました



みなさんも、みなさんにしか開くことが出来ない夢の扉を
いつか開けて下さいね
ゆっくり、ゆっくり。



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