団塊の青春と昭和の東京

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「 地下鉄(メトロ) に乗って」・・・タイムスリップポイント ②

2008年06月29日 | Weblog

 0244 地下鉄新中野駅 3番出口付近

  映画 「地下鉄(メトロ)に乗って」(浅田次郎 原作)では、主人公が永田町駅ホームから地上に出ると、そこは青梅街道にそった新中野駅で東京オリンピック目前の昭和 39年の鍋屋横丁付近だった。
 そこでは地上に出て左隣が映画館(オデオン座)で『キューポラのある街』と『上を向いて歩こう』が架かっていた。 右隣が八百屋であることも判る。
  
 ここから降りると永田町駅ホーム  地上に出ると昭和39年の「鍋横」付近
  ふと、現在の新中野駅付近に実際に行って見たい衝動にかられ昨日行ってきた。
  新中野駅の地上出口は上下線とも前後に2箇所づつあるが、主人公が都心から乗車しているので下り線ホームに下車したはずだ。
   前の方は中野通りに出るので、後方の新宿よりの改札(現在の3番出口)から昭和 39年の地上に出たのだろう。

  昭和 83年 6月 28日午前11時・・つまり昨日、ボクは3番出口の左隣はオデオン座ではなくインナーウエアの店で、また八百屋のはずの右隣は美容院であることを確認した。

  やはり、他の出口だったか・・? と思いつつ地元のおばあちゃんに聞いてみた。
  昭和 30年以来ここに住んでいるという彼女が教えてくれたのは、「オデオン座は鍋屋横丁の信号を北に数十メートルのところの左側だった、3番出口の右側は八百屋であったことはない」 ということで、連れの老女もうなずくばかりだった。
  行ってみると、そこにはマンションが建っていたし、近くに八百屋も確かにあったが、青梅街道沿いではなかった。 地下鉄出口がオデオン座と八百屋に挟まれているのは浅田次郎の創作イメージなのだろう。
    オデオン座 跡に建つマンション
  鍋屋横丁を歩いてみると、和風の生活様式色のための商店が多いのが目立つ。
だんだん廃れているのだろうが、蕎麦屋、和菓子屋、和装、雑貨など歩いていて心が和む商店街だった。 
  土曜日の昼前、子ども達の声は聞こえないが、昭和があたたかく迎えてくれているのを実感した。

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