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ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の多肉植物

2021-05-26 19:48:38 | 水戸

 一時、多肉植物を庭に植えることのはやった時期があったようですが、最近は下火になっているようです。それでもときどきぶらっと歩きで見かけることがあります。今回はそのいくつかです。サボテンは多肉植物の一部だそうで、トゲの出ているにところに綿毛のはえた刺座という部分があるのが特徴だそうです。

 

ウチワサボテン(元吉田町)
 ずいぶん大きく育っています。今が開花期のようで、黄色い花が咲いていました。寒さにはあまり強くないようですが、育てやすい品種のようです。

 

白牡丹(城東)
 白くてかわいい多肉植物の白牡丹という品種のようです。これも黄色い花がたくさん咲いていました。秋には葉の先が淡く色づくそうです。

 

キンシャチ(水戸市植物公園)
 改修なった温室の中で、いかにもサボテンらしいサボテンです。上部にまるく、たくさんの蕾が出ていました。メキシコが原産で、30年位の寿命があるそうです。

 

パキポディウム属(元山町)
 南アフリカやマダガスカルの原産が多いようで、寒さや長雨には弱いようです。花を見ないと品種の名前が分からないようです。

 

アオノリュウゼツラン(カツラギ有功社 大塚町1351-2)
 最近見たところ、ここではだいぶ剪定されたようでした。水戸市植物公園やルートシックス(酒門町1130-10)などでも見かけました。数十年かけて育った後、花が咲いて枯れてしまうそうです。日本には黄色の斑入りがリュウゼツランとしてはいってきたために、本来のものには「アオノ」がついたそうです。

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水戸の二十三夜塔(6)

2021-05-25 21:03:17 | 水戸

 二十三夜の信仰は、金に不自由しないという現実的ごりやくが背景にあったそうです。そのためには豊作が必要ということから、若者の信仰とされたそうです。また、年に何回かは三夜様(桂岸寺 松本町13-19)への参拝も行われたそうです。(内原町史) 今回も建立年号のわかる石碑です。

 

二十三夜供養(岩根町)
 享和2年(1802)正月とあります。海野忠治右衛門という個人名が刻まれています。上部にある梵字はサクと読んで、二十三夜の本尊・勢至菩薩のことだそうです。

 

二十三夜供養(筑地町 36°22'08.3"N 140°22'46.4"Eあたり)
 文化5年(1808)とあります。中央上部には下弦の月が刻まれています。墓地にある石造物群の中にあります。

 

二十三夜塔(牛伏(うしぶし)町 36°23'31.3"N 140°21'50.0"Eあたり)
 くれふしの里古墳公園の入口近くにある石造物群の中にあります。文化4年(1807)とあります。

 

廿三夜供養塔(小吹町 36°20'41.2"N 140°25'40.7"Eあたり)
 右に文化8年(1811)2月とあり、左下に邨中(そんちゅう 邨=村)とあります。5基ある石造物群の中にあります。

 

二十三夜供養塔(稲荷塚(とうかづか) 元吉田町2322)
 碑は倒れています。嘉永7年(1854)11月とあります。この月の27日に安政に改元されたそうです。二十三夜塔は11月の建立が多いそうです。ここは、佐竹義宣(よしのぶ)の臣下で、徳川氏に乱を起こした車丹波守斯忠(くるまたんばのかみつなただ)が磔になった地といわれているそうです。現在、稲荷神社が建っていますが、多分車の霊も祀られているのでしょう。

水戸の二十三夜塔(5)

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水戸の曲線(7)

2021-05-24 19:57:38 | 水戸

提灯(偕楽園)
 明かりのついた接地型提灯ですが、いい形に曲がっています。これはいつもあるわけではありません。写真は偕楽園が有料化された日に撮ったものです。風雨にはそれほど強くなさそうな感じでした。

 

面格子(めんごうし 千波町)
 防犯や装飾のために窓全面に木や鉄を格子状に取りつけたものを面格子というそうです。この定義だと、写真のものは面格子ではないのかもしれませんが、機能から見ると面格子といってもいいような気がします。いかにも植物っぽい、感度の高いデザインのようです。

 

半覆い橋(桜ヶ丘団地 見川1 36°22'44.1"N 140°26'27.7"Eあたり)
 覆(おお)い橋は、屋根付き橋のことのようですが、それに「半」を勝手に付けました。橋両側面(そくめん)の密に立ち並んだ束柱上部を曲線に切って、左右を屋根状に支材のパイプでつないでいます。なかなか面白い造形です。

 

鉄棒(矢田町の公園 酒門町609)
 高さの違う2種類の鉄棒をつなぐための曲線です。真ん中の曲線部分は使いにくそうですが、子どもなら何か考えて遊ぶことができるのでしょう。

 

妻側の梁(はり 小吹町)
 建物側面の妻側に見える梁ですが、現在の建物で、こういう曲がった材の使い方は、美観を意識しているのではないでしょうか。

水戸の曲線(6)

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水戸の工事(12)

2021-05-23 19:33:57 | 水戸

ケーズデンキ(城南2-7 )
 本社ビル建設の工事が始まったようです。巣ごもり需要による売上増も後押ししているのでしょうか。(撮影4/23)

 

プラウド(三の丸3-2-17 )
 野村不動産のマンション新築工事のようです。ここは江戸時代、諸生党の重鎮・朝比奈弥太郎の屋敷跡で、維新後は川崎財閥系の川崎倉庫になり、その後丸高製氷があったそうです。柚子の大木があり、そこに井戸があって、柚子井戸といわれたそうです。(撮影5/2)

 

三の丸ホテル(三の丸2-1-1)
 コロナ禍の時期を利用して全面的な改修工事に入っているようです。どのような新しい姿になるのでしょう。(撮影5/7)

 

サーパス水戸大町セントマークス(大町2-2-6)
 穴吹工務店による新築マンションのようです。まだ完成していないようですが、完売の表示が出ていました。リモートワークが増えていることも関係しているのでしょうか。コロナ不況とはいっても、いろいろな姿があるようです。(撮影5/20)

 

茨城県立図書館(三の丸1-5-38)
 図書館内にカフェを設置するということで、6月中旬まで工事が続くようです。(撮影5/23) 

水戸の工事(11)

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水戸の鉄門扉

2021-05-22 21:23:46 | 水戸

 最近はアルミ製の門扉が多くなっているようですが、以前、鉄門扉は洋風建物の入口に欠かせないアイテムだったようです。とくに、公共建築などではよく見られたように思いますが、今回はそうしたもので残っているもののいくつかです。

 

遺徳之碑(偕楽園 常盤町1-3-3)
 関新平は、幕末の悲惨な対立を引きずった明治初期の水戸へ明治5年に今の知事として来任したそうです。関が来たことに対する反発から水戸城を放火した人たちの釈放や、明治になって身分を失った武士階級への授産をはかったりしたそうです。そうしたことをたたえて明治30年に建てられた碑だそうです。その周囲には伝統的な鉄門扉と鉄の垣根が設置されてています。

 

鯉淵小学校(鯉淵町3000)
 小学校の裏門のようです。以前は、学校などには、鉄門扉がよく見られたように思います。校章がつけられていて、どちらかというと重々しさを感じさせるデザインのようです。

 

旧芦山浄水場(渡里町921-1)
 ロケ地カードがある、映画のロケ地としてよく使われるらしい、かつての浄水場です。入口にモダンなデザインの鉄門扉がありました。浄水場は、昭和7年に建設されたそうです。

 

妻里小学校(中原町682)
 校庭側の入口に、これもモダンなスタイルの鉄門扉がありました。両側の柱に細いベルト状の鉄で固定されているようです。

 

大串貝塚ふれあい公園(塩崎町1064-1)
 これは新しいもののようですが、中央に縄文土器や、大串貝塚の貝殻があしらわれています。

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