ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の酒の話(16)

2022-05-13 18:34:02 | 水戸

雛人形飾り(護国神社 見川1-2-1)
 段飾りの雛人形には、酒の道具も並べられたようです。今年の護国神社で行われた、懐かしの雛人形展で見ました。写真は、右から角樽、銚子、三つ重ねの盃です。角樽は、樽に持ち手が付いた普段使いの酒容器であった柄樽(えだる)からできた、祝儀などに使われた樽のようです。銚子は、酒を盃に注ぐ容器で、三つ重ね盃は、昔からあった儀式や神饌具としてつかわれた、三三九度の飲み方をした盃だそうです。どれも、女の子の結婚式をイメージしたものなのでしょう。

 

徳川御三家地ビールと和のお酒(大手門ノ夜市)
 久々の、大手門前で行われたイベントの一つです。御三家である、紀伊・尾張・水戸3藩のビールや梅酒を飲み比べることができるようでした。清酒が水戸だけだったのは残念でしたが。水戸に元山町ブルワリー(元山町1-3-22)があって、水戸産の地ビールが飲めることを知りました。

 

ぐい飲み(友部桶製造店 末広町3-5-14)
 水戸やなか(谷中)の桶として知られる、友部桶製造店でつくられた、竹のタガで締めたぐい呑みです。写真はサワラ製だそうですが、サワラは杉のように木香が強くないので、吟醸酒などでも楽しめるそうです。飲む前にお湯をはって漏れを止めてから飲むようにとのことでした。材はスギ・ヒノキ・キリ、タガは、竹や銅、洋白、大きさは大小と色々あるようでした。こわれても直してもらえるそうです。

 

美酒八斗
 町奉行だった原兵助の二人の男子が、藤田東湖の家塾・青蘭舎(せいらんしゃ)に入るときの書類と、それに対する東湖の返事の一部だそうです。
「右御契約之印迄(みぎごけいやくのしるしまで)に、乍微少(びしょうながら わずかですが)一樽呈上仕候(ひとたるていじょうつかまつりそうろう)、此段可得貴意(このだんきいをえるべく)、如此に御座候(かくのごとくにござそうろう)、恐惶謹言(きょうこうきんげん) 嘉永二年己酉閏(きゆう うるう 1849年)二月二十六日 同 八次郎 原田八兵衛 茂徳 花押 藤田虎之助様(藤田東湖)
東湖の返事 「美酒八斗御投恵 不堪感謝之至(かんしゃのいたりにたえず)」
このように、四斗樽2本(144ℓ たぶん実際は126ℓくらい))という、たいへんな量の酒が、酒好きな東湖に贈られたようです。写真は常磐神社に奉納された4斗樽ですが、これが2本贈られたということです

 

楢林雑話
 彰考館総裁だった、立原翠軒(たちはらすいけん)の著書に、楢林雑話(ならばやしざつわ)という本があるそうです。その楢林重兵衛は、長崎のオランダ語通詞で、水戸を訪れたときに、翠軒が接待したそうで、楢林雑話は、そのとき翠軒が聞きとったことごとを書き並べた記録集のようです。その中にあった、酒に関したいくつかです。「焼酎に酔たるには、き瓜(キュウリ)を食して妙なり。なきときには兼(かね)て干しておきたるを、煎じて飲べし。」、「阿蘭(オランダ)の酒をポンスと云、これを製するには、焼酒(蒸留酒)一杯、水二杯沙糖(砂糖)宜(よろし)きほどに入、肉豆蔲(ニクズク)、香気あるために入 肉桂、木酢だい/\梅柚子(ユズ)枳殻(カラタチ)などの類(たぐい)水をと(取)り貯 等を入。」(これはポン酢の説明のようです。)、「竹を和らぐるには、水に酒を入れて煮るべし。」「細川家にて大石主税(ちから)預りたる時、或人(あるひと)大石に問けるは、士人四十七人に限るはあまり少分なりとありければ、大石云(いう)、なるほど四十七に限らず、いくらもありけれども、皆俳諧師と下戸ばかり多くて、用をなさずと答たり」等々あります。

水戸の酒の話(15)


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