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水戸の酒の話(5)

2018-01-27 20:56:46 | 水戸

 

わーほい
 根本町のどんど焼き・わーほいでは、竹筒の盃で御神酒を参加者に授与していました。写真のように、どんど焼き近くで御神酒をカッポ酒(写真中央)にしている風景も見られました。さぞかしおいしかったことでしょう。

 

林十江
 現在に通じる感性を持った画家である林十江は、本町の本七町目にあった酒蔵・升屋の主人高野惣兵衛の長男として安永6年(1769)に生まれたそうです。吉久保清三郎が、甕の月(みかのつき 現在の酒銘一品)を醸造したのが寛政2年(1790)だそうです。

 

落雷
 享和元年(1801)には落雷がたくさん発生して、岩根村(現・岩根町)の居酒屋で飲んでいた大勢の客が大やけどをして、精神にも障害がでたそうです。当時藩医だった原南陽が、トウモロコシから調合した薬を飲ませ、さらにそれを風呂の湯に入れて入浴させたところ、皆快癒したそうです。写真は水戸市植物公園にあった原南陽の表示です。

 

立原杏所
 武士として誇り高かった杏所は、絵はあくまでも余技だったようです。先代藩主・斉脩(なりのぶ)未亡人の願いで、徳川斉昭に席画(会合の席で注文に応じ即座に絵をかくこと)をせよと厳命されてでかけた杏所は、吸い物椀で4,5杯酒をひっかけてから、手拭いで紙面をぬり、手に墨をつけて手形を押し、その後、筆を使って、ぶどうの絵を描いてから諫言(かんげん)したそうです。本人は死を覚悟しての行動だったようですが、斉昭からは大悦、酒は慎めという手紙があったそうです。写真は柳町2の宅地跡です。

 

追鳥狩
 軍事演習の追鳥狩(おいとりがり)が終わって、御酒下されの儀式では、六位以上の者は追鳥狩本陣にいた斉昭の前で御酒・御肴が下され、物頭以上は旗柵の内側で、それ以下は旗柵の外で20樽が供応されたそうです。2万人を超えたという参加者に対してはちょっと少な目ではないでしょうか。写真は追鳥狩の本陣跡(元石川町2736-9)に建てられた常磐神社です。

水戸の酒の話(4)


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