ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

徳川斉昭の歌(3)

2019-08-15 18:25:16 | 水戸
 徳川斉昭にとって、和歌も、日常会話や手紙のように自分の考えを相手に伝える伝達手段の一つだったようで、時勢歌とでもいったようなものをたくさん残しているようです。
 
 
ちりあくた 払いつくして 小石川 清き昔の流れをぞ見る
 斉昭が藩主に就任して改革の第一手として行った、藩政を停滞させていた重臣たちを処分したときの気持ちだそうです。小石川は、江戸・水戸藩邸のある場所で、ごみで濁っていた川がきれいになったということでしょう。写真は以前見た東京・小石川町の解説板です。
 
 
今よりは 心のどかに 花を見む 夕ぐれつ(告)ぐる 鐘のなければ
 天保の改革で、寺の鐘などを大砲に鋳直す政策を推し進めたときの心境のようです。うるさい寺の鐘の音を聞かないで花が楽しめるということでしょう。若い頃に作った「釈迦めらは天竺国を暑いとて肌をぬいだり髪はちりちり」という今なら炎上しそうな歌もあるそうです。
 
 
遠近(おちこち)に 二ツの橋を かけおきて 危うかるべき 世を渡るとは
  斉昭が謹慎処分を受けていたとき、板橋源介は江戸から水戸に、高橋多一郎は水戸から江戸に情報を伝えて、藩主の無実をあかそうとしたそうです。それを聞いた斉昭が二つの橋のおかげで世を渡ることができるといった意味の歌を、名字に橋の字をもつ両者に与えたそうです。
 
 
幾年か わか(我が)憂へこし 危(あやう)さを 今は現(うつつ)に 見る世とそ(ぞ)なる
 嘉永2年(1849)にペリーが来たときに、「寄異国船(いこくせんによする)述懐」と前書きした歌だそうです。自分が憂えていたことが現実になった、それ見たことかといった心情でしょう。
 
 
安国(やすくに)と 治(おさま)る御代を 乱た(だ)しなは(ば) 二荒(ふたら)の神は いかゝ(が)見るらん
 これもペリーのことで、平和に治まっている国を乱す異国船を、日光の神(家康のことを思っているのでしょう)はどう見ていることだろうといった意味でしょう。
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 水戸の酒の話(9)  | トップ | 水戸にある古木の根元(4) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

水戸」カテゴリの最新記事