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水戸の見て歩き

水戸の月待塔

2018-09-18 20:47:59 | 水戸

 月の出は、1日50分ずつ遅くなるのだそうで、満月(十五夜)は、ほぼ日の入り頃で、それ以降、夜明けに出ても見えない晦日(みそか 三十日 新月)の月まで、夜間に次第に遅く出てくるのだそうです。
 講などを立てて夜集まって月の出を待つという宗教行事が少し前までどこでも見られたようです。月待行事は、十三夜から、十九夜、二十三夜のほかにも、たくさんの種類があったようです。
 水戸の石塔で見かけた、そうした行事を記念して建てた月待塔は、十九夜、二十二夜、二十三夜、二十六夜で、今のところ4種類です。

 

十九夜塔
 数では二十三夜塔に次いで2番目に多いようです。石碑には、十九夜のあとに、「観世音」、「念仏」、「供養(塔)」、「塔」がついていました。如意輪観音を本尊としたそうで、念仏講と刻まれた塔にはすべて如意輪観音がありました。一方、二十三夜塔には念仏講と刻まれたものはありませんでした。十九夜の行事は、月待講ではないという説もあるそうですから、この項の立て方は余りよくないかもしれません。写真は遠木共有墓地(イオンモール水戸内原近く)にある文久元年(1861)建立の十九夜観世音です。

 

二十二夜塔
 水戸で見られたのはこの一つだけです。しかも、見方によっては「二」の文字が「三」にも見えそうで、二十二夜とみたい私の願望が多少入っています。これは「尊」となっています。女人講や念仏講がほとんどだったそうで、如意輪観音を本尊としたそうです。写真は、有賀町・遠木公民館の脇にある石仏群の中の一つです。

 

二十三夜塔
 これが一番多く見られます。桂岸寺が二十三夜尊といわれますので、そうしたことも関係しているのでしょうか。二十三夜のあとに、「供養(塔、塚)」、「塔」、「尊」、「塚」などがついていました。勢至菩薩を本尊としたそうですが、水戸で仏像が刻まれた二十三夜塔は今のところ見られません。写真は萱場町十字路交差点南東約150mにある二十三夜供養塔です。上部に二十三夜の下弦の月と日が刻まれています。

 

二十六夜塔
 水戸では2か所で見ました。二十六夜のあとには「尊」、「念仏」がついていました。愛染明王を本尊としたようですが、もう一か所の信願寺(緑町1-2-1)にある二十六夜念仏塔は地蔵が刻まれているようでした。写真は八坂神社(杉崎町818-1)にある天明4年(1784)に建立された二十六夜尊です。上にある記号はウンと読む、愛染明王を表わす梵字だそうです。


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