今に残る歴史的遺物は石造物が多いようですが、数百年の風化でなくなっていくものがその大半なのでしょう。そうした中で、地元が大事なものとして復元させたものもわずかですが見かけます。以下はそのいくつかです。
できれば、残すべき石造物を選んで、積極的に保存活動をしていくのがよいのでしょう。また、復元したときは、それを示す言葉をどこかに刻んでおくのがいいように思います。
観音像(東前町 36°20'27.2"N 140°31'41.7"Eあたり)
あまり見かけないスタイルの観音像です。「旧記天正元年(1573)」「再建明治十八年」とあります。下部に見えるものは、馬の頭ようにも見えますので、馬乗り馬頭観音なのかもしれません。もしそうなら、慈悲相の馬頭観音なのでしょうか。水戸ではここだけで見ましたが、かつてはもっとあったのかもしれません。馬乗り馬頭観音は、千葉県に多い石仏のようです。
寒念仏供(養塔)(仏陀院 栗崎町1685-1)
「元禄六年」の年号が刻まれた寒念仏供(養塔)です。寒念仏は、寒い時期である、小寒から節分までの30日間、僧が山野で明け方に念仏を唱える苦行だそうですが、一般の人も行うようになった信仰行事だそうです。裏や側面に、9名の名前が並んでいますが、最後には道斎という僧か修験者らしい名前もあります。
光明真言百万遍供養塔(田谷共同墓地 36°25'57.9"N 140°27'02.0"Eあたり)
「文政五年」とあり、上部に光明真言の梵語の輪が刻まれ、その下に「百万遍供養塔」の文字があります。裏面に「平成十四年」「復刻」とあり、18名の女性名が並んでいます。
灯籠(見川稲荷 見川2-91)
令和1年に行ったときには、笠が落ちて全体が傾いていましたが、その後、プラスチックを使って修理復元したようです。笠はプラスチックのようで、その他の部分は、プラスチックで外側を固めたように見えます。「天保十四年」とあります。
笠原水道石樋(逆川緑地笠原水道水源池近く)
下市に飲料水を供給するための笠原水道は、約1年の工事期間で、寛文3年(1663)に完成したそうです。延べ約2万5千人がたずさわり、約554両かかったそうです。写真は地下に埋められていた石樋(せきひ)を復元したもののようです。凝灰質砂岩の神崎石(かみさきいし)でつくられ、蓋石を上に置くような形をしています。偕楽園の南崖などに、石を掘り出した穴が今も残っています。