仰景碑(常磐神社本殿裏 常磐町1-3-1)
徳川斉昭を偲ぶ旧常葉(ときわ)村の村民が御陰講(みかげこう)を組織していて、明治7年に常磐神社(祭神が斉昭と光圀)が創建された時に、その蓄え金でスギの苗木3,000本を奉納して植樹したことなどが刻まれているそうです。
加藤寛斎(定善寺 酒門町363)
加藤寛斎は、地方の一下級役人とて農村に寄りそって働き、幕末の藩内抗争にまきこまれず、「寛斎随筆」等多くの記録をのこしたそうです。その業績の中で、植林の奨励は大きな柱の一つだったそうです。写真の定善寺にある過去帳に名前が残るだけで、墓はみつからないそうです。
高野市太郎君功績顕彰之碑(香取神社前 島田町)
明治15年に旧常澄(つねずみ)村に生まれた人で、日露戦争から帰郷後に国土緑化を志し、地元ばかりでなく全国の寺社、学校、役場等に献木を続け、およそ40年間に98ヶ所、10万本の植樹をおこなったそうです。この碑文を書いたのは大洗磯前神社の宮司です。
三の丸お堀端(シダレザクラ 三の丸1)
幕臣から新政府の役人になった人見寧(やすし)が茨城県令(現在の県知事)のときに、三の丸に明治の茨城県庁が建設されたそうです。その記念に植えられたのが写真のシダレザクラだそうです。そこには石製角柱の門があり、ガス灯がともっていたそうです。
ヒノキ林(見川稲荷 見川2-91)
都市化等による影響で、境内のスギの木が危険木になりそうなことから、70数本のスギを伐採し、新たにみどりの日にヒノキの苗300本を植えたことが石碑に刻まれています。碑は平成8年4月29日の日が刻まれていますから、多分植林が行われたみどりの日に石碑も除幕式が行われたのでしょう。ヒノキは立派な林になりつつあるようです。