松尾芭蕉は
1702年「奥の細道」の冒頭に「月日は百代の過客にして行(ゆき)かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯(しょうがい)をうかべ、馬の口をとらへて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂白の思ひやまず-。」
と綴っているそうです。
なるほど、この語りは「悟り」「達観」の人生哲学のピリオドから詠みは始まっているのではないか。。。
若い頃はさほどすごい句だとも思えなかったけれど・・・年を重ね振り返れば・・・まさにその通りの
普遍性に・・・・遅ればせながら感心してしまいます。
ドナルド・キーン氏が松尾芭蕉に魅かれたのも・・・ご自身との生き様にかなりの共通項を感じたからなのでしょうか。。。
人生・まさに・開眼す!であります。
芭蕉は半年をかけ、東北地方を旅したとされ、いろいろな逸話のある俳諧人だそうです。
伊賀生まれとは・・・イコール兵法と、情報収集と・忍者とを輩出した特異な地域であります。
司馬遼太郎氏の著書によれば・・・主君に命をかけておもねる生き様ではなく、
己のが命を生かすために・・・主君を見分けて己のがいのちを第一義にする事が
甲賀忍者とは正反対だったと書いてありました。
今の政権も、皆、伊賀思惑で絶対主君を作らないあやうさが・・・派閥の液状化となっているのでしょうか。。。
それは別として ドナルド・キーン氏が若かりし頃、中尊寺の金色堂の仏像を見ながら、 日本との絆がより深くなった・・・感動の直観の体験があったようです。。。
私も体験を重ねあらためて、独身時代に旅した中尊寺や、
その後20年過ぎて訪れた岩手県平泉毛越寺で「鼓童」のシンセサイザーコンサートを境内で聞かせていただいたり、次の日僧侶の方々と一緒に地元食材の心のこもった食事を堪能させていただいた思い出が・・・にわかに眼裏に想い浮かんできました。
キーン氏は金色堂に向い・・・運命的な何かがあったと特に思い入れの強い場所であるようです。。。
私は、私で日本で最古といわれている中尊寺の能楽堂を見つめながら・・・・
戦の前夜に主君はじめ武将小姓が明日の命ががあるかないか天のみぞ知る命の野分の夜に
謡をうたい能を舞い酒を振舞い・・・女房たちが最後の膳になるやもしれない宴の裏で、
勝利を信じて作ったと言われる懐石料理の光景をにわかに想像しながら・・・日本人同士「藩同士」のいのちの凌ぎ合いのはかなさ空しさをを思った。
また、すぐその近くに、
松尾芭蕉の「夏草やつわものどもが夢の跡」と刻まれた石碑がある。
その眼下に広がる古戦場の夏草が風に揺れる茫茫とした野原を見つめながら
「ここで、1年も2年も戦をするとは・・・・ずいぶんのんびりと碁を打つ、じわじわとノンスピードの世界で敵を見合っていたのだなー・・・・」と、芭蕉の碑にひとり呼応していた。
今、もし芭蕉がこの東北を旅して生きていたなら・・・福島の原発のむごい現実に
「ペンペン草つわものもどきが夢の跡」と、詠まれるのではないだろうか。。。。。
元禄時代でも、夏草や・・・と、体制批判を上から目線でしっかり詠んだ芭蕉の中のすごいジャーナリズムに
今更ながら斬新な思いがじんわりと馳せて来る。。。この体験もドナルド・キーン氏のおかげであります。
そして、忘れてはならないのが原発利権に群がった政財官に原発の安全性より国民の命より私腹の肥えが大事な方々へ・・・贈る句として
私なら 「ペンペン草つわものもどきの賄賂跡」
と、ぶっちゃけ・・・・詠ませて頂きます。
北海道も奥の細道に続く・・・水芭蕉の美しい季節となりました。
桜も見ごろ