つれづれなるままに

70代突入!
人生100年時代どう生きる?

邸宅レストラン

2015-01-22 | 日記
独身時代からの友人が宝塚と大阪に住んでいます。

年に1~2回会います。

今日は1年振り位に会って、女子会シルバー会?しました~

邸宅レストランでランチですぅ



築100年近い西洋建築で、県の指定文化財に認定されているとか・・



私はお肉料理(勿論神戸牛) 友人二人はお魚料理。



一人が宝塚から来ました~と言うと、デザートの後、こんなサービスが

このプレートを持って、3人の記念写真まで頂きました~

小雨降る中、話は尽きず、古い友達っていいな

感謝、感謝の一日でした



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我が家の震災記 そのⅢ

2015-01-20 | 日記
(震災記、今日で終わりにしよう思い出すと次から次へと出てきてキリがないので)

水貰い 星仰ぎつつ かへり来ぬ 地震揺りし朝よりの 永き日は果て(新聞の短歌欄より)

大阪の親戚宅へ到着すると「一番何をして欲しい?(何をしたい?」と聞かれ

思わず「お風呂に入りたい」と言いました~

ご馳走も用意して下さっていましたが、余り食欲はありませんでした。

(余震がきても、すぐ逃げられるように普段着のまま寝ていましたので疲れていたのでしょう)

その夜、ホッとしたせいか、張りつめていた弦が緩んだのか、夢の中で幽体離脱したようです。

事実だったのかも知れません???

月明かりに照らされている地球が見えました。グレー色の悲しそうな色です。

わたしはと言えば、漆黒の宇宙にいます。愛のエネルギーの中に漂っているというか

至福感で一杯です。地球に帰りたくない、でも、帰らなくてはいけないんだろうなぁ・・

と思ったところで目が覚めました~

ライフラインが正常に戻るまで(1ヵ月半近く)親戚宅でお世話になりました。

夫は大阪の会社へ勤務し、私は自宅と親戚宅を行き来しながら・・・

自宅へ一人で帰った時に、精神科のお医者さんに睡眠導入剤をもらいに行ったことがあります。

曲がったままの私鉄の線路を歩きながら・・・。

救出さるる老はぽつりとつぶやきぬ 質素に真面目に 生きていくよと

私の知った人で亡くなった方はいませんが、人生観が大きく変わりました。

当時ワタクシ、45歳。  20年前の阪神淡路大震災の出来事です。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました~







      

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我が家の震災記 そのⅡ

2015-01-19 | 日記
当時、夫の勤務先が大阪だったので何とか大阪の親戚宅へ行こうとしましたが

手段がありません。道路は車で大渋滞

駐車場には大きな亀裂が走っています。

周辺の商店街の古い家は軒並みつぶれています。

夜になると真っ暗で、火災が起きた長田区の赤い炎の色だけが見えました。

水を汲みに、歩いて行ける所に並んでいますと、前に並んでいたお爺さんが新聞を読んでいます。

高速道路の橋桁が倒れている写真を見て「こんなにひどい地震だったのか」と初めて分かりました。

カーラジオで情報を知るしかなく(みなさん非常時にはトランジスタラジオが必需品ですぅ)

地震発生3日後の20日、神戸港(昔のメリケン波止場)から大阪天保山まで船(観光船)が出るとの

情報が近所の方から入りました~

身のまわりの物をリュックにつめ、夫と二人神戸港まで歩いて行く途中

火災現場の長田区を通りました。  “あー広島と同じだー”

広島生まれの私は小学校の時、授業で、図書館で、原爆で焼け野原になった写真を何回も見ていました。

夫も私も無言でした。

ようやく、船に乗り、船内のトイレに入った時水が流れます。

「うわー水が流れる~」 アチコチで歓声が上がりました。

大阪へ行くまでの3日間、何を食べていたのかよく覚えていません。

(最初のレトルトのカレーだけは覚えていますが 笑)

避難所になっていた小学校で、おにぎりを頂いた記憶はあります。

覚えているのは、散乱した台所を片づけていた時、割れた食器に交じって、つぶれた豆腐が目につきました~

「何でこんな所に豆腐が???」

多分、縦ゆれの後の横ゆれで冷蔵庫の扉が開き、豆腐が飛び出た後、扉が閉まったものと思われます。

                             ~つづく~



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我が家の震災記そのⅠ

2015-01-18 | 日記
おはよーございます!!

今日はおめめパッチリで書いてまーす

昨日はどうしちゃったかな

ここんとこ連日出掛けていて(仕事・ボランティア・白髪染めに・・etc)

いつも留守番してくれている夫は、家猫フクと大喧嘩するし

そのフクの認知症は、じょじょに進行しているようだし・・(年末にトイレシートなるものを

買って、部屋のアチコチに敷いていますが、効果の程はイマイチ

そんなこんなで気疲れ それとも「阪神・淡路大震災のこと書きまーす」と

宣言した手前、“ねばならない”モードになってしまったか???

どなたかもブログに書いておられましたよね

ブログ書くことが義務になってしまったら

そうそう、今年はひっそり行くぞーを実行するんでした

ってな訳でボチボチいきまっさ~

昨年のブログで震災当日、近所の人がドアを叩いて「避難所に」の声で

夫と二人マンションから飛び出したところまでは書きました。

外に出て見ると、静か~というより異様な静けさ

どうしたら良いのか分からず、お互いオロオロするのみ。

避難所(近くの小学校)に行く程でもないと判断してマンションに戻りました~

マンションの管理人さんがいち早く駆けつけてくれて「このマンションは新しいから大丈夫」

のお言葉に安心し、大阪の親戚からのいち早い電話(地震直後は通じましたが、

その後はなかなか通じなかったようです)で、大きな地震だったことが分かりました。

(水道・ガス・電気すべてストップ)

今から思えば、いつもお風呂の水を残しておいたこと(水洗トイレに使える)

石油ストーブがあったこと(暖房・料理に使える)

ローソクがあったこと(夜、灯りとして)

カセットコンロがあったこと(料理に使う)がとても役に立ちました。

やかんその他にお水を溜めれるだけためマンションの給水タンクの中にあるお水

石油ストーブでお湯を沸かし、グチャグチャだった台所を片づけ(電気釜も転がっていましたが

ふたを開けるとご飯が炊けていました~)顔を洗い

(このあたり、すべて20年前のことを一生懸命脳に聞きながら書いてますので不正確

とりあえず、腹ごしらえしてからと思い、レトルトのカレーがあったので

沸かしたお湯で温め、転がりながらもちゃんと炊けていた電気釜のご飯でカレーライス

夫いわく

「こんな時に、ようご飯食べる気になるな~

女子は弱し されど母は強し

子供のいない私は、母になれなかったけれど、しみじみ思いました~

“女ってイザとなると腹が据わるんだ”
                      ~つづく~





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眠くて・・・

2015-01-17 | 日記

今朝、阪神・淡路大震災の時刻(5:46)に合わせて、

せめて家の中でお祈りしようと、目覚ましをかけて昨夜寝たのですが

目覚ましが壊れていて起きたのは6:00頃

それも夫の起きた気配につられて・・・

急いでパジャマのまま、淡路島の方を向いて合掌

それから、それから、仏壇にお線香をあげて

6434名の御霊にお祈りしました~

そして又、寝間に入りました

スミマセン眠くて

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