昭和四十九年と言うと、山口百恵が大スターになっていた。
太郎が東洋大学に入学した昭和四十七年に森昌子がデビューして、
「先生、先生、それは先生」
とあどけない顔をして歌を唄って人気を博していた。次に桜田淳子が登場してこれまた人気を博した。
そして山口百恵の登場となったのである。
太郎はこの山口百恵のデビューの日を自分の目で見たのだった。
昭和四十八年七月夏休みが始まろうとする時、太郎は今は無き後楽園プールにNTYの紅白歌のベストテンを見に行った。司会は堺正章と今陽子だ。
午後八時からの番組だったが、山口百恵はデビューの日とあって二時くらいからカメラリハーサルをしていた。
太郎はこの少女を見て、
「なんと物悲しい少女だなあ、これでアイドルが務まるかなあ」
と危惧を覚えた。
「全身から悲しみが漂うような女の子だったのだ」
太郎の心配通り、普通のアイドルのようなわけにはいかなかったが独自の路線を突っ走ってあっという間にスターの座を獲得した。
「東京大学生のアイドルとなりその座を不動のものにしたのだった」
太郎は笑いながら、
「東京大学生のアイドルになっても、東洋大学のアイドルにはなれないのだ」
と言って、仲間を笑わせた。
太郎が東洋大学に入学した昭和四十七年に森昌子がデビューして、
「先生、先生、それは先生」
とあどけない顔をして歌を唄って人気を博していた。次に桜田淳子が登場してこれまた人気を博した。
そして山口百恵の登場となったのである。
太郎はこの山口百恵のデビューの日を自分の目で見たのだった。
昭和四十八年七月夏休みが始まろうとする時、太郎は今は無き後楽園プールにNTYの紅白歌のベストテンを見に行った。司会は堺正章と今陽子だ。
午後八時からの番組だったが、山口百恵はデビューの日とあって二時くらいからカメラリハーサルをしていた。
太郎はこの少女を見て、
「なんと物悲しい少女だなあ、これでアイドルが務まるかなあ」
と危惧を覚えた。
「全身から悲しみが漂うような女の子だったのだ」
太郎の心配通り、普通のアイドルのようなわけにはいかなかったが独自の路線を突っ走ってあっという間にスターの座を獲得した。
「東京大学生のアイドルとなりその座を不動のものにしたのだった」
太郎は笑いながら、
「東京大学生のアイドルになっても、東洋大学のアイドルにはなれないのだ」
と言って、仲間を笑わせた。