アッツ島が全員玉砕したのに対して、全員無事撤退したのがキスカ島。
キスカ島はアッツ島よりさらに東、アラスカに近い島。
1943年(昭和18年)5月12日、アメリカ軍はアッツ島に上陸。
アッツ島の日本軍守備隊2600名は全滅、玉砕した。
キスカ島には 陸海軍あわせて6,000名余がいたが、、周囲をアメリカ軍に包囲され、完全に孤立してしまった。
陸軍大本営はアッツ島の救出は放棄したが、その代償として海軍と連携し、キスカの守備隊救出を決めた。
当初、潜水艦による救出を試みたが、アメリカ軍にレーダーで捕捉されて攻撃されたりで、成果は上がらなった。
日本軍はガダルカナルの撤退でも失敗しており、北に向かわせる船も重油も余裕が無いなか、駆逐艦10数隻でキスカに向かった。
途中、濃霧で艦船同士が衝突し離脱する船もあり、最終10隻で決行。
7月30日、濃霧で視界ゼロの中、船と船をロープでつなぎ、島の西側から岩づたいに東の湾に侵入。一時的に晴れ間も出、わずか55分で5200名を収容して帰還した。
当時、アメリカ側は、島を包囲していた巡洋艦等を、燃料補給のために一時的に撤退させていたことなど、偶然が重なっての奇跡の脱出だった。
その後、アメリカ軍は猛攻を開始、上陸を試みるが、日本軍のバンザイ突撃を警戒して、疑心暗鬼、同士討ちをするなど一時混乱したが、結果、島はモヌケの殻。
日本軍は米軍を撹乱させるため『ペスト患者収容所』と書かれた立て看板を兵舎前に残して行った。通訳官として従軍していたドナルド・キーンがこれを翻訳すると上陸部隊はパニック状態に陥ったという痛快話も。
なお、キーンはペスト感染を疑われ、検査のため後方に送られて、そのまま終戦を迎えたとのこと。