大正昭和にかけて生涯を尺八にかけた中塚竹禅。虚無僧関係の膨大な史料を収集し、「慶長の掟書」を偽書と断じ、「普化禅師と虚無僧は関係が無かった」「法燈国師は普化宗と関係ない」との結論に達した。そして虚無僧の形態を八つに分類している。
その分類に私なりの補足を加えてみた。
1 普化禅の求道者 江戸時代には稀(まれ)。
現代の古典尺八愛好家には多い。海外にも多数。
現代では私一人か。
2 喰い詰めた浪人(失業者) 江戸初期はほとんど大部分。
3 尺八指南者 「尺八吹合所」が全国にいくつかあって、
尺八を教える師がいた。この系統の人たちが
明治になって尺八を楽器として興隆させた。
4 寺詰め虚無僧 剃髪得度授戒を受けていれば住職。しかし数人しかいない。
ほとんどの虚無僧は、有髪で正規の僧籍は無いため看主
(手)・院代などと称していた。
5 真面目な本則虚無僧 裕福な町人や庄屋(名主)の隠居で、虚無僧寺から本則を
もらい受けて、托鉢して回った。幕府は虚無僧寺の収入源を
断つため、「慶長の掟書」を逆手にとって、侍以外に本則を
出すことをしばしば禁止した。
6不逞悪徳虚無僧 幕末になると虚無僧寺には前科者。無宿人までが紛れ込んで
いた。
7 道楽虚無僧 江戸時代の中頃、派手な女物の着物を着た伊達虚無僧が横行し
多くは旗本のドラ息子か。現代でいうコスプレ虚無僧。
8 臨時虚無僧 脱藩、敵討など、故(ルビ:ゆえ)あって駈け込んできた者。
本来の虚無僧は、禅宗などと関係ない。食い詰めた浪人者。しかも
農業もできず、商売もできず、まともな仕事に就くこともできない
で、ただ尺八を 吹く以外に能のない連中。世間のあぶれ者、じゃ
ま者が虚無僧なのだ。
その意味で、私は “まともな、正真正銘の虚無僧” である。
ところが、現代の虚無僧尺八愛好家は、私を “ただの物乞い、インチキ虚無僧”だという。 物乞いこそが虚無僧の修行と私は心得る。