現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

デヴィ夫人、山崎朋子に怒り心頭

2022-07-18 09:28:17 | 虚無僧日記

いろいろ検索していたら、デヴイ夫人のブログに行きあたった。

「私をうんざりさせた田舎者の作家 山崎朋子さん」と題して
痛烈に山崎朋子を攻撃している。
(よく混同されるが、『大地の子』『沈まぬ太陽』の山崎豊子では
ない。山崎朋子は『サンダカン八番娼館』を書いたノンフェク
ション作家、女性史研究家)


デヴィ夫人のブログによれば、山崎朋子は「スカルノ大統領夫人
としての生き方を全うすべき」と書いたようだ。それに対して、
反論している。

「あなたは某月刊誌の『アジア女性交流史・昭和期篇』の中で、
『元大統領夫人として人生を全うすべきところ、全うしていない』と
いう事で私を誹謗、中傷、非難、攻撃、侮辱し続けていますが、私は
30才で未亡人になったのです。私が50才、60才で未亡人となっていたら、
そうした生き方をしたかもしれません。しかしながら私は19才で既に
名誉、地位、権力、財力を持った男性 (インドネシアのスカルノ大統領)
のもとに居たのです。

たった1人でインドネシアという誰一人知らない国へ行って、インド
ネシア語を身につけることから、国民に全力を尽くして愛される努力をし、
全身全霊を持ってスカルノ大統領に仕えながら、政変に遭い、国を追われて、
乳飲み子を抱えてパリへの亡命生活。その私が生まれた子供に父にかわる
存在を与えながら、共に協力し合って人生を築く伴侶を得たい、と思っても、
誰が私を責めることが出来ますでしょうか。まだ、30才の若さだったのです。

そう、実は実は、デヴィ夫人は、中学卒の15歳で千代田生命に雇われた。
「ショム(庶務)2」で話題になったが、書類を各部課へ届けるなどの
雑役だった。京橋旧本社ビルのエレベータガールだったとの話もある。
でも、家庭は貧しく、“これでは親兄弟の生活を支えられない”と、
ものすごい努力をして、わずか4年で、スカルノ大統領夫人にまで
登りつめたのだ。まだ、英語教室はあっても、インドネシア語など
教えてくれる人も辞書も無い時代である。ところが大統領の失脚、
死亡で運命は一転、20年ほど成りを潜めていたが、パリのブルジョア界に
華やかにデビュー。そして日本に帰国してからはマスコミにしばしば
登場するようになった。

いつかテレビで見たデヴィ夫人の発言。
「私は、日本に来て、(日本人の)平均寿命が80歳を超えた(今はもう88歳?)
というのに驚いた。私はまだ50歳。“人生もう一度やりなおせる”と思った。
だから、頑張った」という言葉に、当時40歳だった私は感動した。

デヴィ夫人のその努力に、私は敬意を表し、その後の活動も好感をもって
見ていた。だから、山崎朋子とのバトルには、デヴィ夫人の方に味方したい。

 「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

日記@BlogRanking

私のメールは goo3360_february@mail.goo.ne.jp




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。