南武線の宿河原に行ってきた。
鎌倉時代の最末期1333年に書かれたという『徒然草』の
115段に「宿河原」というのがある。「宿河原という所で
ボロが争って相い果てた」と言う話。ボロは虚無僧の
源流とされる。
「つれづれなるままに」で始まる吉田兼好の『徒然草』は
高校生でも知っているが、115段を知る人は少ない。
ネットで「宿河原」の碑があることを見知っていたが、
宿河原駅を下りて、駅員に聞いても、交番でも、お寺でも、
年配の人に尋ねても、誰も「知らない」という。がっかり。
町の人は全く無関心のようだ。
ひとまず多摩川の土手に出た。河原には 700年昔と同様、
ホームレスとおぼしき人々が小屋を建てて生活していた。
その身なりは結構まともな服装なのだ。決してボロボロの
汚れた格好ではない。
散歩している母娘二組が向こうから来たので訊いてみた。
「知っている」という。「散歩で見たが、内容が難しくて
判らなかった」と、若い母と中学生くらいの娘が教えて
くれた。
宿河原駅より1.5kmほど川下、もう隣りの久地 (くじ) 駅に近い。
東名高速道下の水路脇にあった。東名を走る車の騒音の中、
尺八を取り出して一曲。水路沿いの桜は5分咲き。散歩の
人もチラホラ。だが皆、尺八の音にも無関心を装う。
「吸江流尺八と一休語りの虚無僧・牧原一路」ホームページも見てください。
「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。
「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします。
16:00過ぎだともいます。友達の住む引揚者亜パ-トが川崎区であり、こちらの久地に越してきたので遊びに行った時の事です。
山の上を彷徨うように、しっぽを付けたように
流れていました。